百三十三、朝議開幕
翌朝、董卓は司空の権限で群臣を集め、朝議を開いた。
これは公式な会議であり、参加資格を持つ者は参加しなくてはならない。
強制的ではないが、不在の者に不利な決定がされることがあるし、政治がどのように動くか決まる場でもあるため、皆なるべく参加しようとする。
そのうえで朝議を開くことを決定した董卓の出現。
そしてその電撃的な司空任官は朝臣たちに驚きをもって伝わった。
昨日までの朝廷とはまったく違っているのだ、と。
古来、昨日まで居なかった者が急に権力を握ることはままある。
朝臣たちは、董卓という人物がどのような者であるかを見極めん、と集まった。
そもそも、宦官を排除してからの混乱で、今まで朝議が開かれなかったのだ。
宦官という権力者がいなくなったあと、誰が実権を握り、誰が排斥されるのか。
董卓はどちらなのか。
これを逃せば、今の権力の潮流に乗り遅れてしまうだろう。
「朝臣どもはそう考えていような」
「さようでございます。しかし所詮は朝廷という池でしか動けぬ小魚どもでありますゆえ」
董卓の感想に同意したのは李儒である。
董卓の朝廷工作を担当する学者だ。
董卓とは故郷が(比較的)近い、というだけでほとんど面識の無い人物であった。
それがなぜ、董卓に協力することになったのか。
後世に造られた物語では、李儒は董卓の娘婿だと言う。
悪どいことを提案し、それを躊躇わず実行する暗黒面の軍師という人物に描かれている。
しかし、実際の李儒は董卓と同年代である。
董卓の娘婿も白泰と牛輔の二人だ。
三女もいるがまだ婿を取るほどの年ではない。
あまりにも董卓の近かった人物であるために、後世に近親者として記されたのかもしれない。
ともあれ、李儒の目的はわからないが今のところは董卓と目標は一致している。
帝の廃立であり、陳留王の擁立である。
今回開かれた朝議もそのためであった。
群臣が集まる中、董卓は一番最後に登場した。
ざわついた朝堂が董卓の出現で、しん、と鎮まる。
彼は巨大である。
身長も高く、肉付きもよい。
亡くなった大将軍の何進も肥満体であったが、それとはまた違った武人の巨大さだ。
朝臣たちは、まともに武人を見たことがない。
辺境で戦いに明け暮れた将軍という存在は、彼らにとってまったく未知の生き物であったろう。
董卓は威圧するように歩き、皇帝の玉座の前に座した。
ある種の宣戦布告である。
俺が皇帝の次に座する存在だと主張したのだ。
「おのおのがた。新たに司空に任じられた董仲穎である」
「待たれよ。貴殿が司空などと信じられぬ。劉弘殿はいかがしたのだ!」
と挨拶もそこそこに、朝臣の一人が言った。
「劉弘殿は天命に背くところあり、潔斎して身を清める必要があると洛陽を去った。そこで主上の命により、この董卓が大任を任されたのだ」
「いったいいかなる理由で、劉司空に天命に背くことがあったというのだ!」
董卓は指を一本、天に向けた。
皆の視線が吸い寄せられるように上を向く。
天井が見える。
普段目にしないところにも豪華な装飾が施されている、とある朝臣は思った。
「貴公らの視線は天井に止まったであろう?だがさらに上を見よ。八月も末だというのにいまだ太陽の曇る事なきを」
「八月が……暑いのは当たり前ではないか」
「ならば、最後に雨が降ったのはいつだ」
「雨?」
何を言っているのか、という顔で朝臣は董卓の顔をまじまじと見た。
「司空は周礼に記された六卿の一つであり、治水と罪人を司る職だ。後世、罪人を司るために獄司空と別れてのち、天候と治水を担当するのがその仕事だ」
というのは建前で、後漢の司空はもともと官僚の監察と副丞相であった御史太夫がその前身である。
その御史太夫が改称され大司空となり、司空となったという経緯がある。
「それが成されておらぬ、というのか」
「しかり。年の半ば以上、雨が降らぬというのは治水の面からしても司空の働きが不十分と言える。ゆえに劉弘殿は自ら身を引かれ、この董卓が司空を任されたのである」
強引なやり方ではある。
しかし、皇帝に認められ、前任者が退任しているため手続きとしては正当であった。
三公の一つ、司空は董卓が任官していることは間違いのないことだ。
「ぬう……どうせ主上を利用して、得たものであろう」
「人聞きの悪いことをおっしゃる」
「西涼にいて、中央のことなど何もわからぬ者が、権力を握ろうなどと浅ましい」
浅ましい、ときたか。
宦官のいなくなった隙間を埋めようとやっきになって、任官を求めている奴らがいることは聞いている。
目の前の男がそうやって官職を得た類いであろうことは、董卓にはわかりきったことだった。
自分たちの知らない方法で官位を得た董卓が気に入らないのだろう。
そのうえで宣戦布告されたのだ、咎めぬわけにはいくまい。
「司空に対して浅ましいなど、口が過ぎるとは思わぬか?」
董卓は腰に手をかけた。
そこには刀がある。
本来、宮廷に武器を持って入ってはいけない。
だが、つい数日前に袁紹らが攻撃を仕掛け、そしてそれが罪に問われなかったことでその決まりは形骸化していた。
被害を受けた宦官らはほぼ全滅していたので罪を問うものもいなかったが。
武器を持つ武人の危険性を、ようやくその朝臣は気付いたらしく、口を閉ざした。
「さて、些事はともかく。此度、皆に集まってもらったのは漢帝国に関する大事を話し合ってもらうためだ」
反抗的な朝臣が黙ったことで、それに反発する者はいなかった。
董卓はそれを確認し、再度口を開いた。
「私は、現皇帝陛下を廃立し、弟君の陳留王殿下を擁立しようと思う」
その言葉の意味が脳裏に染み渡り、理解が深まるにつれ動揺が拡がっていった。
「な?」
「そんな馬鹿な」
「帝位を?」
という呟きがあちらこちらから漏れ出る。
そんな声に構わず、董卓は話を続けた。
「まずは天地があり、次に君臣がいる。それが統治をなす所以である。ただいま皇帝は暗愚であり、宗廟を奉り、天下の主たるに不足しておる。伊尹、霍光の故事にならって新たな皇帝を擁立しようと思うが、どうであろう?」
董卓が李儒から教えられた帝位を替えるための“前例”が伊尹と霍光であった。
伊尹は商国成立に大きな功があった人物である。
太甲という王が放蕩し国政を乱したために、王を追放し、自身が摂政となって国を統治したという。
その後は悔い改めた太甲に王位を返したとか、その太甲に討たれたとか伝えられる。
霍光は前漢の政治家で、百三十年ほど前の人物だ。
武帝、昭帝に信任された彼は大司馬大将軍となり、昭帝の死後に劉賀という人物を即位させたが行状が悪いために、即位してわずか二十七日で廃位させた。
そういう前例がある。
前例があることが人を安心させ、その行動がどんなに非道であろうと行わせてしまう。
それが董卓の狙いである。
そこに一人反対の声が上がった。
声をあげたのは盧植である。
黄巾の乱で活躍した武将であり、知識人でもある彼は宦官によって中郎将を罷免された。
その後、様々な人物に助けられ許され尚書になった。
大将軍の何進の側にも、宦官の側にもつかずに職務に励む彼は一定の支持を得ている人物である。
その盧植の言はかなりの効果を持つかもしれない。




