百二十八、小平津を目指して
董卓は河東にいた。
ここはかつて太守として駐屯していた場所であり、土地勘もあるし、協力者もいる。
そしてなにより、洛陽に近い。
かつてない異変に見舞われている漢帝国の首都を、それに巻き込まれることなく観察できる場所だ。
「父からの連絡によると、洛陽は大混乱でまったく統制がとれてないとのこと」
「白然殿は無事か?」
「はい、なんとか」
娘婿の白泰はそのように報告してきた。
白泰の父の白然は董卓の友人であり、洛陽と長安で商売をしている。
董卓の重要な後援者であり情報源の一人だ。
「まったく予想もできぬことが起こることだ」
董卓の予想では中央ではしばらく目に見えぬ暗闘が続くはずだった。
そして、武力衝突に至る。
その時点で董卓は大将軍側に参戦し、武功によって大将軍側の重鎮に一気にのしあがる気でいた。
大将軍の配下ではなく、同盟者として、だ。
配下になってしまうと、大将軍以上にはなれない。
それ以上を目指すとなると、何進を追い落とさなくてはならなくなる。
何進を慕う者が多ければその行動には大きな反発があるだろう。
それらを鎮めるのには時間と手間がかかる。
その間に、宦官側が息を吹き返すようなことがあれば天下の静謐は遠退くだろう。
そうならぬために、董卓がいなければ勝てない状況で参戦する必要があった。
そのための河東駐屯であった。
のだが。
「何進殿暗殺は読める。いずれはそうなることは誰でもわかる」
武力衝突か、どちらかの首魁の死。
この政争が終息するにはそのどちらかしかないのだ。
暗殺というある意味安易な手か取られる可能性は大いにあった。
そしてやるなら、武力に乏しい宦官側だろうな、とも予測していた。
だが問題はその後だ。
「まさか宮廷に武装して突入するとはな。袁紹、尋常でない男だ」
宦官を殺し尽くすという手段は、常識的に無理だと誰もが思う。
思うことすらしないだろう。
袁家というのはそういうことをする家柄であったのかもしれない。
四世三公の家と袁家は言われる。
四世代に渡って、三公の位に就く者を排出したという袁家は、時代時代の世渡りに長けている。
それは流されていく才能ではなく、時代に適した者を生み出す才能なのかもしれない。
その中で生まれた袁紹は、常識に捕らわれず時代を動かす人物なのだろう。
という董卓の人物予測は半ば当たり、半ば外れだったりする。
袁紹の宦官鏖殺は暴走の結果である。
袁紹自体は保守的な人物で、優柔不断な面がある。
だが一度決めると果断なまでにそれを成す面もある。
ならばなぜ董卓が袁紹を革新的な人物だと思い違いしたのか。
それは袁紹の友人の一人がかなりの影響を与えているのだが、それを董卓はまだ知らない。
董卓の予測能力は確度がかなり高いが、知らない情報があると当てにならなくなることもある。
ともあれ、袁紹勢力が常識外れのことをしたのは確かだ。
「義父上、どう動きますか」
「もし、まわりが敵に囲まれ逃げねばならぬ時、お主ならどうする?」
「は?」
これからどうするか聞いているのに謎の質問をされた白泰は戸惑いながらも考え答えた。
義父のこういった問いは、今の状況に通じる何かである、と白泰は理解していた。
「う、うんとその状況を脱し、味方のいるところへ急行します」
「うむ。俺でもそうする」
「それはつまり……?」
白泰の問いに董卓は答えず、何かを考えている様子だ。
「そうか河南尹から北上し河内を経由し、済陰に行くならば」
「義父上?」
「出陣するぞ」
「え?洛陽へですか?」
「いや、東進し桓城で体勢を整え、北から河南尹へ入る」
「???」
白泰には董卓の言うことがまったくわからなかった。
洛陽が混乱している時に軍を率いて上洛することで主導権を握るのが常道ではないのだろうか?
「それでは足りぬ。俺と同じ事を考えているような奴がいるなら、そいつに遅れをとることになる」
「遅れ?足りない?」
洛陽に早く入らぬことで不足を埋め、早い手を打ち、主導権を握る方法かある、ということだ。
「小平津。目指すのはそこだ」
「そこに一体なにが?」
「もし、俺の予測が正しければ、それは俺に天意がある、という証左になるだろうな」
「天意」
白泰は、ときたま義父が天意という言葉を口にするのを聞いたことがある。
そういった時の義父は神がかった行動で、己が望んだことを成し遂げていた。
今回もそうなのだろうか。
まったく繋がらないような道を駆け抜けて、誰よりも高みに登る。
そうなるのだろうか。
白泰の前で董卓は河東からの出陣の準備を始めた。
張譲は予州潁川で生まれた。
家は貧しく、日々食うものに困る生活をしていた。
弟が一人いた。
二人で協力して生きていた。
決断をしたのはいつだったか。
二十になるかならないか。
張譲は自ら男根を切り落とした。
けして低くない確率で死ぬような施術に、張譲は挑み生を掴みとった。
そして張譲は宦官となったのだ。
宦官は後宮において雑事を行うために、不貞を成さぬように生殖機能を失った男性だ。
後宮で生まれた男子、すなわち皇子たちの世話をするのは宦官の仕事だった。
そのため、幼いころより親身になって世話をしてくれた宦官に懐く、あるいはその影響を未来の皇帝が受けるのは当然の摂理だった。
後宮に菌糸のように拡がる宦官の網は、後宮内のあらゆる情報を集め利用することができる。
それは皇帝が絶大な権力を持つ外戚を排除するために使えたし、右も左もわからない皇后が権力を握るのにも使えた。
皇帝の意向とは宦官の意向であり、最高政治機関である朝廷は宦官の影響を強く受けていた。
張譲はその中に入っていった。
後宮の中では皇帝の寵妃たちが寵愛を独占しようと確執を繰り返していた。
そして、その裏で宦官は宦官で暗闘を繰り返している。
男根を切り落とすだけで入ることができる権力の網の中、そこは無数の同じ野心を抱く者たちがいる。
外の世界と同じように頭角を現すことができるのは一握りだ。
だが張譲はその中で笑みを浮かべていた。
食うや食わずの生活をしていたことを考えたら、ここは天上楽土だ。
そこで生き抜き、のしあがることなど容易いことだ。
桓帝の時代に小黄門となった。
これは皇帝の側に仕え、伝達を行う仕事だ。
重要な仕事ではある。
だが最も大事なことは、この役目は宦官の出世街道に乗ったということを示している。
有象無象の宦官たちの中から認められ、のしあがることを選択できるようになったということだ。
また桓帝はその権力の奪取の仕方から宦官を重用した。
重用せざるを得なかったとも言うが。
やがて桓帝は無くなり、霊帝の時代が来た。
張譲は霊帝の最も近い場所を占め、霊帝に我が父とまで呼ばれるほどの権力を得た。
それから二十年近く、張譲の栄華は続いた。
霊帝が死に新たにその子が皇帝となった。
対抗相手である何進を暗殺し、これからという時に袁家の若者が軍を率い宮廷を襲った。
反則だ。
そんなことは許されない。
宮中が右往左往する中、張譲は誰よりも早く動いた。
敵が規則を破るのなら、こちらもそうするまで、とばかりに張譲は皇帝とその弟の陳留王劉協を連れ、宮廷を、そして洛陽を脱出した。
震えるこの国の最高権力者とその弟を抱き、張譲は馬車に揺られていた。
そして御者に尋ねた。
「ここはどこらあたりかね?」
張譲に服従している御者は答えた。
「ここは小平津のあたりです」
と。




