百二十三、君がいない世界で
戦勝の報はすぐに朝廷に届いた。
皇甫嵩は長安に戻り、董卓は槐里城に駐屯した。
功績により皇甫嵩は以前の罪が許され、董卓は少府に任ぜられた。
少府は九卿の一つであり、宮中の御物、衣服、宝物などの管理、御膳を担当する役目である。
朝廷の中では三公に次ぐ地位であり、名家出身ではない董卓にとって最大限の出世であるといえた。
だが董卓はこれを断った。
理由の一つは、この役につくために軍権を手放さなければいけなかったことだ。
董卓は軍人である。
その功績の全ては軍事行動で成し遂げたものであり、それ以外の方法など知らぬのだ。
しかも、その軍権は皇甫嵩に預けなければいけない。
子飼いの李傕たちくらいは手元に残せるだろうが、手塩にかけて育てた騎兵は手放さなくてはならないだろう。
それは嫌だ。
もう一つ理由がある。
それはこの少府に属する役人が関係している。
皇帝の文書を扱う尚書などに混じって、中常侍や黄門侍郎といったものがある。
これは宦官がつく役であった。
すなわち、少府の権力は分散しており、そのほとんどを宦官が握っていた。
それを董卓は嫌った。
宦官には苦労させられっぱなしであった。
賄賂を贈らぬことで罷免され、勝てる戦を潰された。
上官が罷免されたことは何度もある。
そんな奴らが蔓延るところに行きたくは無かった。
そして最も大きな理由は妻の、鮑犖の死である。
董卓が陳倉の戦いを終えて、帰還したのを待っていたかのように鮑犖は倒れた。
董卓は長安の薬師を呼ぶなど手は尽くしたが犖の容態は良くなることは無かった。
「そなたと初めてあったのもこういう初夏の日であったな」
董卓邸の風通しの良い部屋に鮑犖は横たわっていた。
董卓は外の様子を見ながら、誰ともなく語りかけている。
「そうでしたわね。私が、ふふ。董仲穎様との縁談を断ろうと隴西へ向かった時でした」
「まったく、大したお転婆であったな」
「でも、その旅が無ければシーエイ様とは出会うことはありませんでした」
「そうかな?」
「そうですとも」
「ずいぶんと長い旅をした心持ちだ」
「ええ、ええ。隴西へ行って、洛陽に行って、涼州や益州を転々として、河東にも行きました」
「苦労をかけた」
「そんなこと、全然苦労ではありませんでしたわ。娘ができて、息子ができて、もう孫まで」
「いつのまにやら姥姥か」
「お義母様のことは大切にしてくださいまし」
「ああ」
「娘たちはもう嫁いでます。心配することはございません」
「うむ」
「承を立派に育ててくださいまし」
「もちろんだ」
「後添えにあまり若い娘を娶ると面倒なことになります」
「それは……」
「あとはやりたいようにやってくださいまし」
「……まるでもう逝くみたいな言い草ではないか」
「ええ。寂しいですけれど、充分幸せでございましたゆえ」
「お前は俺の歯止めであったのだがなあ」
「ですから、やりたいようにやってくだされば」
「そうか……」
「関中の風はゆるくて、心地よい」
と鮑犖は言って、事切れた。
それはまるで眠っているようだった。
しばらく、董卓は妻の顔を見ていたが、やがて人を呼んだ。
息子の承に、三人の娘。
娘婿の白泰と牛輔の二人は部屋の外に控えていた。
子供らはわんわんと泣き、董卓はゆっくりと外に出た。
ゆるりとした風に誘われるままに城壁に登り、西を見た。
遠く、彼女の故郷である郿が見える。
「あそこに城を造ろう。いつか、お前のことを忘れる前に」
亡骸は家にあるが、彼女の魂は風にのって空にいる気がした。
彼女の葬儀はしめやかに執り行われた。
鮑家からは兄である鮑鴻が来ていた。
「犖の顔を見た」
「……」
「この半ば乱世ともいえる今、あれほど穏やかに逝けるなら、幸せであったのだろうさ」
「義兄上と語り合ったことがありましたな」
「犖をおいて二人で話をしたな。あの時、我らはただの若者であった」
「ですが今は」
「私は今度新設される皇帝陛下直属の軍団の指揮官に抜擢された。そして貴殿は前将軍だ。互いに立場ができた」
「犖はやりたいようにやれ、と言ってくれました」
「やればよいではないか。私は庇うことはできぬがな」
鮑鴻はどうやら本当に忙しい合間をぬって来てくれたらしい。
右扶風の相の引き継ぎと新設される軍団への調整の中からひねりだした日程はそうとうに無茶だったらしく、次の日には洛陽に出発していった。
葬儀は問題なく終わった。
亡骸が埋葬された後、牛輔は妻と話をしていた。
妻の祥は董卓と鮑犖の娘でもある。
母の死という悲しみは深く、涙が止まることはなかった。
牛輔も鮑犖には実の子のように世話になったため、その悲しみはわかる。
ただ。
「義父上は……泣いておらなんだな」
葬儀の最中、董卓は終始冷静にことを運び、弔問客の対応も完璧だった。
「お父様はそういう人なのですよ」
「そういう、人?」
「表だって感情を表すのを良し、としない人なの」
「そうか?訓練中はよく怒鳴るし、上手くやれば誉めてくれる」
「訓練の時は大げさにやってると思うわ。あと貴方は特別なのよ」
「特別?どういうことだ」
「張副長からちょっとだけ聞いたことがあるんだけど」
張済のことだ。
董卓軍の最古参で、実際の階級はともかく軍の中では副長と呼ばれている。
「うん?」
「なんでも貴方はお父様の友人の息子だとか」
「私の父は、義父上と知り合いではあるが、友人とまではいかない関係だと思う」
「んーと、よくわからないけど。あなたは牛家の養子だって」
「私が牛家の養子……」
「ちゃんと聞いたわけじゃないよ?」
沈黙した夫を見て、董祥は何かまずいことを言ったのかもしれない、と思った。
翌朝には牛輔は元に戻り、なんとも思ってないような態度をとった。
さて、鮑鴻が言った新設される軍団は西園軍と言い、八人の指揮官が抜擢され、西園八校尉と呼ばれた。
皇帝の寵愛厚い宦官の蹇碩に、何進配下で袁家一族の袁紹、そして鮑鴻の三人が中心である。
その他に黄巾の乱で功をたてた曹操や趙融、馮芳、夏牟、淳于瓊の八人である。
特筆すべきはこの軍の最高指揮官に“無上将軍”が置かれ、皇帝劉宏が就いたことだ。
すなわち皇帝が直接指揮する正真正銘の皇帝直属軍である。
この西園軍は八月に発足し、十月に式典が催され正式に誕生した。
この間、董卓に少府任命の連絡が来ている。
それを断ったのは先に述べた。
董卓は槐里に戻り兵の調練と募兵、将の登用に励んでいた。
反乱軍の残党を見つけては獄死か董卓軍への採用を選ばせ、多くの羌人を引き入れた。
董卓と先零羌との盟約は失われてはいたが、それを覚えている者も数多く残っていたため、降服する者も多かった。
この年の中で州の統治機構に大きな変化が起こった。
荊州出身の皇族である劉焉の提言により、刺史の権限を大幅に拡大した。
一部の州で臨時に行われていた郡太守の持つ軍権を、刺史が吸収し、州刺史が州内の治安維持を行うことができるようになった。
刺史が軍を持つことができるようになったのだ。
この軍権を持つ刺史は、“牧”と呼ばれることになる。提言した劉焉は、益州牧として赴任することになった。
その後、しばらく益州は漢帝国の戦乱の外にあり、劉玄徳が支配するまで豊かな富を蓄え続けることになる。




