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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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百二十、中岳嵩山

 陳倉城で董卓と皇甫嵩が再会したのは、隴関を解放してすぐである。

 新たに配下に加えた段煨の部隊を整えた董卓は、陳倉へ間を空けずに向かったがすでに皇甫嵩は到着していた。


 皇甫嵩の印象は数年前とは変わっていた。


 黄巾の乱の時にちらりと会った。

 数年前の北宮伯玉らの反乱の際に長安で軍議まではした。

 それからすぐに左遷されたが。


 その時の彼は、確かに優秀な軍人であった。

 機略縦横、その頭の中にさまざまな軍略が詰まっており、それをその時々で柔軟に発揮できる。

 しかし、柔軟であることはその軍略が研ぎ澄まされていないとも言える。

 あらゆる局面に対応できるが、例えば敵が猛将であれば力負けするだろうし、知略に優れた軍師であれば策に負けるだろう。

 まあ、猛将ならば知略で倒し、軍師ならば力攻めできるとも言うことはできるが。


 董卓はどちらかといえば研ぎ澄まされた将である、と言える。

 董卓軍の基本戦略は騎兵だ。

 機動力で敵より早く動き、射撃で敵の防御を崩し、突進で反撃されることなく潰滅させる。

 羌族などの異民族の得意とする戦法を董卓もまた得意としていた。

 というよりは、董卓の配下の者が羌族出身者が多かったり、涼州生まれの者が多かったりしたため、自然とそういう戦法を多用するようになったと言う方が正しいかもしれない。


 そして、数年ぶりに会った皇甫嵩は、そのどちらでもなかった。

 いや、正確に言うなら変わってはいない。

 機略縦横の将だ。

 だが、その全てが研ぎ澄まされている。

 全ての軍略がその道の達人級と言ってもいい。

 この異常な進化は、左遷され全てを奪われた皇甫嵩がずっと引きこもっていたことによりもたらされた。

 暗い部屋の中、季節の移り変わりも知らず、ただひたすら軍略を練り続けてきた。

 外の情報を拒否し、世の動きがどうなるかを想像しつくした彼の推測は、現在の情勢と一致していた。


 正しく言うならば、皇甫嵩はありとあらゆる物事に即応できる将ではなく、今起きていること、起きようとしていることを知っている、ということだ。


「こことここだ」


 と皇甫嵩が指し示した場所は、陳倉城を攻めるはずの反乱軍の予想経路と陣を敷く場所だ。


「経路はわかります。しかし、ここに陣は敷かないでしょう」


 董卓はそう言った。

 そこは丘陵地の低い場所にあり、高所から見れば簡単に居ることがわかる場所だ。


「いや、ここだ」


 と皇甫嵩は力強く言った。

 董卓は反論する。


「孫子行軍篇曰く、およそ地に、絶澗ぜっかん天井てんせい天牢てんろう天羅てんら天陥てんかん天隙てんげきあらば、必ずすみやかにこれを去りて、近づくことなかれ、とあります。その場所は、天牢、牢のように三方を囲まれ、かつ天羅、あみにかけられたごとく草木が繁っており、行軍に支障をきたす場所です」

「その言い様、董将軍は現地を見たことがあるのだな?」


 董卓は頷く。

 張温ら漢軍のいわば本隊が撤退したあと、董卓は一軍で涼州からの侵攻に備えねばならなくなった。

 そのため、この右扶風の地形を調べ、陣をおける場所、伏兵に適した場所、交易路、河を使った水路などを調べつくした。

 ある意味、故郷の臨洮りんとうよりもこの右扶風の方が詳しくなっている。


 それでいえば、皇甫嵩が反乱軍の拠点になる、と指し示した場所は敵を誘い込めば一網打尽にできるが、逆にここに留まることなどあり得ない場所だ。


「皇甫将軍は見たことがない、と?」

「うむ。だが、ここだ」


 皇甫嵩はけして言を翻すことはなかった。


「なぜそう言いきれると?」

「韓遂は合理の将だ。洛陽で仕官し、一度は何進大将軍に仕えたが、理に合わざることあり故郷の金城に戻った。今の漢帝国の動静が理に合わざると見て乱を起こす側に回った。宋建は恐治の将だ。遥か商の宋氏の末裔である彼は半ば漢人半ば羌人として……」

「ま、待ってくだされ。皇甫将軍、もしや敵の将の全てを調べたので?」

「調べたのは彼らの来歴だ。そしてそこからのことは我が見識にて予想したに過ぎぬ。そして、その繋がりがもたらす結果が私には見えるだけだ」


 なにか、人では無いモノを見ているように董卓は感じた。

 それはかつて、羌族の秘技“神降ろし”をした彼女・・のようでわずかばかり不安を覚えた。


 ある意味、皇甫嵩はいま“神”が降りている状態である。

 人智を超えた中華世界の全てを知るその神を仮に名付けるとしたら“中岳嵩山ちゅうがくすうざん”とでも言おうか。

 これは中華にある五つの山を神格化した五岳神の一つで、世界の土地山川を司る神だと言う。


「そこまで言うのなら、そこを攻めましょう」

「いや、攻める場所はここだ」


 と皇甫嵩はまた違う場所、陳倉城の西側の一点を指した。


「もし仮に皇甫将軍の示す場所に敵がいるとしたら、そこは絶好の攻撃地点です。必ずや敵を撃滅できましょう。しかし、そこを無駄に放置し、この城までおびき寄せる、と?」

「敵の拠点を攻める未来は見えぬ。しかし、この城まで来たれば必ず勝てる」

「理由は……?そうなると確信するに足る証は何かあるのですか!」

「私にはわかる」

「……」


 皇甫嵩は確信をもって言った。

 その裏付けがないまま。



 董卓は皇甫嵩の言葉に何一つ納得できないが、それでも一度従うと言った手前、その指示通り布陣した。

 王方に命じ、秘密裏に丘陵地を調べたところ、確かに敵軍が野営地を築いていた。


「予測通り、か」

「殿、いかがしますか?独断をもって襲撃することは可能です。かつかなりの確度で敵将を討てますが」


 報告をよこした王方は、攻撃するべきだと遠回しに言った。

 鮮卑族出身の古参の将は髪に白いものが混じってきているが、まだ顔には若々しさが残っている。


「いや、止めておこう」

「臆したとは思いませぬが……」

「いや、臆しておるのよ。俺は」

「殿?」

「敵に、ではなく皇甫嵩という人物を、な」

「お味方を?」

「調べもせずに、敵のいる場所を当てるなど普通ではない」


 董卓の“眼”は攻撃や防御の効果的な位置が白い点として認識できる未来予知のような力だが、それは多くの情報を取り込んで高い処理能力で見ることができる、というものだ。

 皇甫嵩のそれは董卓のものを遥かに超える力だ。


「では命令どおりになさる、と」

「時折、人を超えたような存在が現れる。かつてのお前の主の檀石槐や羌族による大乱を引き起こした滇那のようにな」

「皇甫将軍も、そのような存在だ、と?」

「そういう相手に敵対するのは怖いことだ……。よし、俺は部下共に士気は上げさせつつ、逸ることなく備えろと命を出す。お前も部下にそうさせよ」

「かしこまりました」


 董卓はぐうっと背を伸ばし、自身の部屋から出ていった。


「郭汜!話がある。李傕はどうした?樊稠は?まったくあやつらはいつまでたっても落ち着かんな!」


 と大きな声が遠ざかっていく。


 去っていく主君の気配を感じながら王方はポツリと呟いた。


「私にとっては殿の方が人智を超えた存在だと思われます」


 かの檀石槐よりも、さらに上だと思っております、と声には出さずに王方は言った。


 陳倉城の手前に反乱軍が現れたのは、皇甫嵩の予測した時間と寸分違わなかった。

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