百十九、皇甫嵩到着
皇甫嵩は早速、長安へ向かった。
率いる直下兵は一万である。
これは黄巾の乱の時から皇甫嵩に付き従っている精兵である。
その他に左将軍としての兵が一万。
これは官軍であり、おおよそ徴兵された者であるが動乱続く涼州からの避難民が数多く含まれている。
そのため、涼州、故郷の奪還のため士気は旺盛である。
長安では董卓軍の副官である董旻が出迎えてきた。
「前将軍殿は息災か?」
「は、涼州奪還に向けて、ぜひとも皇甫将軍に指揮を取ってもらいたいと待ちかねております」
「ほう?形式的には前将軍の方が左将軍の私より上のはずだがな。それに同格の将ならば先任の方が優先されよう?」
「とは申せど、黄巾の乱の英雄、元とはいえ左車騎将軍の皇甫将軍の方が格上ゆえ、丁重にお出迎えせよ、と兄より言いつかっておりますれば」
「なるほど。そうであれば私がこの軍の指揮を取ることとする。して、董将軍はどう動いておる」
「は。董卓軍は右扶風への侵攻を防ぐため、隴山にある隴関を封鎖しております。また北地郡、安定郡からの侵入を防ぐため、街道を封鎖しております」
「うむ。そうなると、董将軍の兵はそれで手一杯だな?」
「左様でございます」
皇甫嵩の頭の中では右扶風と涼州諸郡の地図が展開されている。
漢陽郡からの出入口である隴関、それと北地、安定に兵を振り分けると一万程度の軍はそれで終わってしまう。
「ならば隴関を解放し、空いた軍を率いて董将軍には陳倉に向かってほしい。私もそこに向かおう」
「……隴関を開けるとそこから反乱軍が入って来ますぞ」
隴関は右扶風いや、関中あるいは司隷という漢帝国の中心部に反乱軍を入れぬための関所である。
そこを開けるとなると、こちらから敵を引き入れることになる。
「董将軍なら私の意図をわかってくれるはずだ」
「……わかりました。そのまま伝えまする」
「伯父上……敵を関中に入れるなど、正気ですか?」
従軍していた甥の皇甫酈が聞いてきた。
「正気かどうかで言うと、己でも確信は持てぬな」
「では」
「だが、こうするのが一番確実だ。一昨年、張温殿が画した美陽への誘引策。あれは敵をうまく引き付けたがその後が良くなかった」
美陽は長安に近く、張温はすぐに補給と退却ができるようそこに陣を敷いたのだが、あまりにも小城すぎて大軍を入れられなかった。
偶発的な要因により勝利したが、あのままいけば負けていた。
敗北の原因である城の大きさを補うには右扶風最大の城である陳倉城に依るしかない。
そしてそこで決戦するためには敵を陳倉まで入れなければならない。
だからこその隴関解放である。
しかし、北地や安定から入られると陳倉の裏手に布陣されるため、その経路は塞いでおく必要がある。
敵に攻勢の利を与えず、こちらの有利な拠点で戦うこと、それが勝利の要件だ。
「今度は勝たねばならぬ。敵の撤退や分裂、僥倖での勝利など勝利ではない。漢帝国未だ健在なりと見せつけることで次の反乱の芽を摘むことになる」
皇甫嵩は数日休息を取り、長安から出発した。
徴兵が間に合っていなかったが、それは行軍中に編成することとした。
さて、皇甫嵩からの指令を持った董旻は董卓の元に戻った。
それを一瞥して董卓は「ふん」とだけ言った。
「皇甫将軍は指揮権をどうも兄上から取り上げたいようでしたな」
「そうであろう。俺は言っても地元の豪族だ。俺が生き残り、中央からの将軍が続けて負けてしまうのは避けたいところだろう」
面子というやつだな、と董卓は言った。
その自尊心を満足させるために何人の兵を犠牲にすることか。
「皇甫将軍は兄上なら意図を理解してくれる、と」
「隴関を開けて陳倉にて決戦、というところだろう。だが今少し時が惜しい」
「短期決戦は兵糧の減りが抑えられます」
「俺が今、何をしているか。皇甫将軍は知るまい」
「董卓軍の世代交代、ですな」
董卓は頷く。
あえて、右扶風の涼州側の出入口を塞ぐことで羌族や鮮卑といった異民族との交流を董卓が一手に引き受けていた。
韓遂ら反乱軍に従う者も多いが、董卓に古くから盟を結んだ氏族も多いのだ。
董卓軍結成当時からの古参の騎兵も年をとった。
董卓自身が孫のできる年になっているのだ。
そのため希望する者は軍を抜け、そして新たに異民族の騎兵を登用している最中であった。
兵だけでなく将も世代交代をしつつあり、最古参の張済は甥の張繍を鍛えつつ軍権を譲る準備をしている。
また騎兵隊の隊長を、もはや若手とは言えない風格を備えた李傕、郭汜、樊稠らが務めている。
胡診や李蒙といったさらに若い将は隊の副官として活躍している。
董卓の馬廻りというか近衛は弟の董旻が務めていたが、それも一族衆として甥の董璜が仕切ることが多くなってきた。
また娘婿の牛輔も一族として遇し、次世代の中心として務めてもらうつもりでいる。
とはいえ、だ。
皇甫嵩は並の武将ではない。
そのような余計なことをしていては、こちらが不利益を被ることとなろう。
それにそろそろ反乱軍も目障りになってきた。
奴らに涼州をかき回されて続けるわけにはいかない。
董卓は軍備の刷新、増強をある程度のところで止めて隴関に配備した兵を撤収させ陳倉に向かうことにした。
隴関が開いたことは漢陽郡あたりにはすぐ知らされたようで、そこにいた一人の武将が関所を抜けやってきた。
「段煨、字を忠明と申す」
面会した董卓は「段……もしや紀明殿の縁者か?」と尋ねた。
段熲、字を紀明は涼州三明と呼ばれた英傑の一人だ。
董卓もいくつかの戦いで共にくつわをならべたこともある。
十年以上前に亡くなったが、宦官に与したことで死に際に名誉を落とした。
それでも西涼ではその名は抜群の知名度を誇る。
「不肖の甥ですな」
「涼州はどのような情勢か、聞いてもよいかね?」
段煨は頷く。
「漢陽、隴西、金城、北地、安定が反乱軍の手中ですな。武威郡、武都郡が耐えておりますが二郡では耐えきれず、遠からず陥落と噂されてます」
「そうか。そこまでひどいか」
「とはいえ、暴行略奪の類いはそれほどひどくありませんな。涼州の安定を向こうも望んでおるのでしょう」
「忠明殿は武威の出身であろう?なぜ留まり戦うことをしなかったのだ?」
「いやあ、どうにも面白くなさそうだったのでね。それなら官軍に入って反乱軍と戦う方が楽しそうかな、と」
「なれば、我が軍に入らぬか?」
「それは願ったりかなったりだが。兵卒からなどはごめんだがね」
「俺の直下の騎兵の一隊を預けよう。指揮官だ」
「……あんた、正気かね?」
「正気かどうかで言うと己でも確信はもてぬ」
「まあ、俺は楽しく戦ができればそれでよい。それに伯父上の認めた英雄が主君なら退屈することはないだろう」
「退屈させないことは約束しよう」
「わかった。この段忠明、董将軍を主君としてお仕えすることをここに宣じる」
「頼りにしよう」
段煨はこれほど簡単に主君を決めたことに、己の言動ながら驚いていた。
董卓が羌族の王候補……王帥であることは知っている。
異民族とここまでわかりあえることができるのか。
董卓の軸足が羌族側にあるのか、漢人側にあるのか、それはわからないが退屈な戦いにはならないだろう、という予感を段煨は覚えたのだった。




