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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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百十八、皇甫嵩復活

 涼州失陥。

 たとえ半ば見棄てていようとも、そこは紛れもなく漢帝国の領土であった。

 涼州刺史耿鄙戦死。

 漢陽太守傅燮戦死。

 隴西太守李相如造反。

 酒泉太守黄衍降服。


 刺史をはじめ複数の太守の戦死や寝返りによって、涼州はどうにもならぬ、と朝廷は判断した。

 そして、関中への進軍は防がねばならぬことも理解している。

 関中こそ漢帝国の急所、ここが落ちることがあれば帝国の存続すら危うい。


 おりしも、元中山太守の張純が盗賊や烏丸族と手を組み反乱を起こしていた。

 青州、徐州、幽州、冀州などで十万の大軍となり荒らし回っていた。

 張純の乱と呼ばれたこの反乱もいまだ鎮圧には至っていない。

 皇族の劉虞りゅうぐ、中郎将の孟益もうえき、騎都尉の公孫賛こうそんさんを派遣して硬軟様々な方法で対応している最中であった。


 また荊州南部の長沙郡では区星が乱を起こしており、これには長沙太守に任命された孫堅が当たっている。


 頻発する反乱に、人材は逼迫しており大将軍の何進はかなり強引な手を使わざるを得なくなった。


 それは数年前に宦官との政争に敗れ、将軍位を取り上げられた武将を再び登用することである。

 その将の名は皇甫嵩こうほすう

 黄巾の乱で名を馳せた当代最強の将である。


 宦官の趙忠、張譲らの不正を糾弾したことで戦うべき時に戦えなかった彼は半ば隠居したように過ごしていた。

 彼の住む屋敷は灯が消えたように静かで、召し使いもほとんど辞めてしまったようだった。


 朝廷より皇甫嵩へ左将軍任命が成され、その報を本人に知らせたのは甥の皇甫酈こうほりである。


 皇甫酈は常侍謁者じょうじえっしゃとして高官の任命について関わる仕事をしていたため、いち早く左将軍任命の事実を得ることができたようだ。


 ともかく、皇甫酈は伯父にそれを伝えた。


 皇甫嵩は薄暗い部屋にいた。


「伯父上!」


 返事はない。


 数年前に左車騎将軍の役を解かれて以来、ずっと引きこもっていた。

 もしや、駄目になったか、と皇甫酈は焦る。

 大役を失って気が抜けてしまう人間を、役目がら何人か見ていた。

 伯父がそうならない保証はない。


 結果的にそれは杞憂だったが。


 皇甫嵩のいた部屋の戸を開くと中の様子が露になる。

 そこには床一面に漢帝国の版図が記されており、洛陽や長安といった首都が四角で現され、各州の州治所や重要な城が丸で現されている。

 木で作った駒があらゆるところに置かれているが、それは無作為ではないようだ。

 例えば南の荊州には区の駒と孫の駒、東の徐州あたりには張純の駒と公孫の駒、西の涼州には韓の駒、その東の長安のあたりに董の駒が置かれている。

 おそらく、今の漢帝国である程度の戦力を持つ者を敵味方問わず把握しているようだ。


「この部屋に籠っていても、我が心は漢のありとあらゆる場所を想起し、武将たちの動きを想像し、それに対する軍略を練り、それに対する軍略を練り、それに対する軍略を練った」

「お、伯父上」

「何大将軍は張温殿を繰り出して失敗し、武官としての手駒はほぼ無くなった。盧植殿は尚書として文官の側から大将軍を補佐しており、朱儁殿は河内太守として黒山賊という賊と相対していて動けない」


 皇甫酈は冷や汗が出るのを感じた。

 外とほとんど交流の無かった皇甫嵩が正確に帝国の情勢を把握していることに。


 無言の甥に構わず、皇甫嵩は話を続ける。


「袁家の庶子である袁紹は才気煥発なれど大将軍はまだ外には出さないだろう。なれば彼は持っている手札、あるいは一度捨てた札を使うよりない」

「それが……伯父上だと?」


 ようやく皇甫酈は言葉を発した。

 それを聞いて初めて皇甫嵩は甥を見た。


「酈か……悪い子だな。正式な知らせの前に任官のことを報せるとは」

「いえ、それは……」

「わかっておる。大将軍殿に早く教えてやれ、とでも言われたのだろう?」


 何進自身に軍才は無い。

 それなのに大将軍なのだ。

 たとえその職が皇后の兄という立場でもたらされたものであったとしても。

 軍才は無くとも何進は無能ではない。

 少なくとも漢帝国を、妹を、その妹がもたらす権力を守ることに全力を尽くすことはできる。

 宦官に多少、負い目をおったとしても。

 有能な将を腐らせておくことなどできなかった。

 その気持ちがはやって、正式な任官を前に皇甫嵩に知らせることに繋がったのだった。


「ええ、まあ」

「私の他に、涼州へ向かうことになった者は……おらぬか。ああ、そこには確か董仲穎がいたか」

「董卓殿は前将軍に任じられることになっています」

「なるほど。西涼における軍功を考えれば彼を高位の将軍にした方がよい、と考えたか」


 董卓の任じられる前将軍と皇甫嵩の任じられる左将軍は、共に四方将軍あるいは前後左右将軍として同格だった。

 しかし、慣例的に前将軍の方が上に扱われている。

 前回の羌族の乱で戦えなかった皇甫嵩を復帰させ左将軍を与えるので何進には精一杯であった。

 というよりは、何進と対立する宦官の側が、何進の手駒である皇甫嵩に高位の将軍職を与えなかったとも言う。

 そのため、現地では董卓の方が上官として扱われる。

 慣例では。


「皇甫酈。将軍職としては董卓の方が上だが、侯としてはどうだ?」

「董卓殿は先の戦の功として斄郷侯りきょうこうとなっております」

「うむ。私は取り上げられたものの槐里侯かいりこうとなっていた。これならなんとかなるだろう」


 侯というのは戦の功績などで与えられる地位である。

 その中でも土地の名を冠して授けられる列侯の地位は高く、その土地を封土として納められた税を与えられる。

 その侯の中でも県級の槐里を与えられた皇甫嵩と、郷級の斄を与えられた董卓とでは地位の高さが異なるのだ。

 将軍の地位の高さでは董卓の方が上だが、侯としての地位の高さは皇甫嵩の方が上である、ということになる。

 ただし、皇甫嵩はその侯を取り上げられているため、厳密には董卓の方が上になるのだが。


「伯父上はそこまでして主導権を握りたいのですか?」

「戦を己が思うままに動かす、というのは軍人が願うことの一つだ。それに……」

「それに?」

「董卓に権力を与えすぎるのは危険だと私は思うのだよ」


 黄巾の乱での鮮やかな引き際。

 宦官の賄賂を理由に董卓自身の手勢には損害なく引いた手腕。

 そのことが皇甫嵩に警戒させるきっかけとなった。

 羌族の乱でも、張温らの本隊が壊滅する中、董卓だけが無事だったことも、警戒を引き上げた。

 奴に力を蓄えさせてはならない、と皇甫嵩は確信していた。


 とはいえ、涼州が反乱軍の手に落ちたの事実。

 そして現地での協力者は董卓だけである、というのも事実。

 ならばその力を借りつつ、まずは乱を早期に終息させる。

 皇甫嵩の方針は決まった。


 正式に左将軍に任命され、皇甫嵩は西へ向かった。


 かつて涼州三明と呼ばれた三人の武人がいた。

 段熲、字は紀明。

 張奐、字は然明。

 そして皇甫規こうほき、字を威明。

 字に全員明が入っていたために、三明と呼ばれた。

 皇甫嵩はこの皇甫規の甥に当たる。

 涼州三明のうち段熲、張奐は董卓と関わったが、皇甫規だけは時代のせいか会うことは無かった。

 だがその甥の皇甫嵩と、まさか共に戦うことになろうとは董卓もまだ知らぬことであった。


 彼の到着によって涼州の戦局が大きく動こうとしていた。

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