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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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百十七、涼州失陥

 馬騰ばとうはその戦場にいた。


 年は三十を過ぎたあたり、容貌は勇壮で背は高い。

 その勇壮さゆえに、仕官して間もないにもかかわらず軍従事に任命された。

 そして、いくつかの戦いで功を挙げたため、すぐに軍司馬に引き上げられ一隊を率いることとなった。


 どうやら自分には軍才があるらしい、と彼はそのころ気付いた。


 馬騰は字を寿成と言う。

 漢人の父と羌人の母の間に生まれた。

 父の馬平は、楚漢戦争のころ活躍した名将馬援の子孫であると常々言っていた。

 しかし先祖の名声もいつしか衰え、馬平はようやく漢陽郡は蘭干らんかん県の丞(副官)の官職を得たが、それも長くは務められず官位を失ってしまったのだという。

 あまりにも貧しいため、ずっと独身であったので羌人の娘を娶った。

 それが馬騰の母である。

 そのころ涼州は滇那の乱の直後であり、乱に与した羌の氏族は立場が低かったようだ。

 そのため、落ちぶれたとはいえ漢人の、それも名将の子孫と縁を繋ぐことで羌族の側も生き残りを図ろうとしたのだろう。


 馬家には家業が無かった。

 馬平の父祖はある程度の官職についていたようだが、それも無くなり若いころの馬騰は山で木を切り、それを市場で売ることで糊口をしのいでいた。

 そういった生活ゆえか、馬騰は鍛えられた肉体を持ち、そして温厚な人柄であったらしい。

 そのためか、多くの人に尊敬されていたようだ。


 襲撃が起こった時、彼は手勢を取り纏めることしかしなかった。

 何かが襲ってきたのはわかる。

 しかし、それが前方からやってくる前に後方から声があがった。

 それは応戦の反応ではなく、同意の反応であった。

 刺史軍の中に、反乱軍と同調する人間が少なからずいたことに馬騰は驚くことは無かった。

 そのような雰囲気は軍内部に蔓延していたし、自分のような新人が軍司馬のような仕事につけるのは刺史を拒否して参軍しなかった者が多かったという証拠でもあった。

 どこまで軍の中に反乱軍がいるのかわからない現状で、隊を動かすことはできない。

 むしろ。


 馬騰は半分羌族だった。

 羌族の母、彼女は漢人への反抗によって落ちぶれた氏族の出身だった。

 ゆえに、漢人の馬平に嫁いでからも漢人への憎悪をつのらせ、それを幼い馬騰に教え込んだ。

 押し込めた。

 縫い込んだ。


 馬騰はその暗黒を隠したまま成長した。

 憎悪を押し付けた母と、それに気付かぬ父のために二つの仮面を付け替えて生活するようになった。

 人に尊敬される馬騰と、その中に蠢く憎悪の馬騰。

 両者は彼の中にいて、齟齬なく共生していた。


 憎悪の馬騰は囁く。

 漢人の刺史など殺してしまえよ。

 あれは羌人を虐げる。

 お前の妻も子も何もかもを奪ってしまうぞ。


 それは母の声にも似て、しかし己の声だった。

 いつしか表面にいて尊敬を集めていた仮面の馬騰は引っ込み、暗い怨念そのものである馬騰が彼を支配していた。

 しかしそれは恐ろしくはなく、どこか充足感を覚えさせた。


「刺史軍司馬の岳容がくよう彭冉ほうぜん、及び程球隊を討ち、反乱軍と合流する」


 静かに、重い声で下された命令に編成されてから間もないはずの隊にもかかわらず反対の声はあがらなかった。

 馬騰の軍才は皆知っていたし、その声が兵卒らを虜にし従わせていたのだった。


 馬騰隊は進軍し、前方から来るはずの反乱軍へ警戒しきっていた岳容、彭冉の二隊をなんなく打ち破った。

 勢いのまま程球へ突撃し、後方からさっきまで仲間だった精兵を次々に討ち取っていく。

 だが、目標の程球は討ち取れなかった。

 なぜなら、攻撃していた反乱軍の韓遂が討ってしまっていたからだ。


 戦場で相対した同年代の二人は直前まで敵同士であったとは思えぬ行動をした。


 二人同時に頷き、韓遂は刺史の耿鄙に向かい、馬騰は混乱しつつも刺史側につくと決めた刺史軍の残存兵のもとへ向かった。


 程球に続き、耿鄙も討ち取られ、涼州刺史軍は総崩れとなった。

 そして馬騰らは韓遂に合流し、反乱軍となった。

 韓遂は馬騰の才覚を見抜き、将軍職として指揮下においた。


 反乱軍はそのまま刺史軍の残党を討ちつつ、漢陽郡へ向かった。

 起きた乱の勢いのままに、かつて成し得なかった涼州の征服と関中への侵攻を再度試みようというのだ。



 漢陽の太守傅燮は迫り来る反乱軍を迎え撃った。

 刺史亡き後、この郡が落ちるということは涼州の陥落と同義なのだ。


 傅燮は籠城を決めた。


 だがその間にも、反乱軍に同調する者は増えていった。


 もちろん、隴西は枹罕に割拠する宋建は真っ先に立ち上がった。

 もはや枹罕は彼の支配下になっており、税も兵も彼の思うままであった。


 その宋建に説得され、隴西太守の李相如りしょうじょも反乱軍に与した。

 隴西郡は韓遂の本拠である金城郡と漢陽郡に接しており、その郡太守が造反したということは傅燮が隴西側からの攻撃にも備えねばならなくなったということだ。

 兵を分ければ守りがおろそかになり、守らなければ漢陽の諸城は落ちてしまう。

 傅燮の用兵にも限界が来ており、防衛線はどんどんと後退していく。


 さらに反乱軍に呼応して、北地郡の異民族の騎兵らが数千、漢陽郡に侵入した。

 本来、漢陽と北地の間には安定郡があるため攻めるのは難しいのだが、安定郡の兵は刺史軍に動員されており、その兵らが敗北により逃走した結果、まともな防御もできない状態であった。

 また北地郡は南端を右扶風と隣接しており、漢陽郡を通らずとも関中に攻めこむ経路を反乱軍が確保したということでもある。


 だめ押し、とばかりに酒泉太守の黄衍こうえんも反乱軍に降服し、その尖兵となった。

 西域への通行路である酒泉の支配権を反乱軍が握り、西域との交易も封鎖された。


 とどめに韓遂は新たな盟主を擁立した。

 王国おうこくである。


 彼はもともと湟中義従の一員として李文に仕えていた。

 董卓に援軍として協力し、共に羌族の大軍とぶつかりあったこともある。

 その後は、一度湟中義従に戻ったが、しばらくして漢陽に移った。

 彼は自身の私兵を集め、鍛え、来るべき時に備えていた。

 彼に変化があったのは今から十年ほど前だ。

 彼の両親が亡くなり、遺品を整理していると古い書が出てきた。

 そこには王国の先祖がかつて漢帝国から国を簒奪した王莽であること、奇跡的に生き延びた末子が涼州に移り住んで起こした家であることが記されていた。


 私は国を統べる血統に生まれたのだ。


 そう王国は理解した。

 辺境の辺境で、降服した羌人や、逃げた漢人に仕えるべきではない。

 先祖の遺志を汲み、偽りの王朝を打破し、新たなる“新”帝国を再興する。


 それは妄執である。

 齢五十を過ぎて無位無官の男の、自身への惨めさ、情けなさに背を向け、自尊心を保つための。


 おそらく、王莽の子孫であることは嘘であるし、たとえそれが本当であっても彼は簒奪者としてしか評価されぬ。

 それでも他にすがるものの無い王国は、それを最後のよすがにして立ち上がった。


 合衆将軍と号し、王国は韓遂、宋建、馬騰、李相如、黄衍を率いて、まずは一気に傅燮のこもる隴県の城を落とした。

 傅燮は最期まで降服せず、戦いの中で死んだ。


 漢陽郡の陥落、すなわち涼州の失陥。

 十万の大軍となった反乱軍は、四月、ついに関中へ侵入した。

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