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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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百十五、反乱軍の首魁、韓遂

 美陽での敗戦後に、涼州全域を駆け回った辺章は董卓を逃がしたものの漢軍五軍を敗走させた後、倒れた。


 漢軍の圧力が薄まったことで、金城の楡中城から動けるようになった韓遂はすぐに辺章の待つ漢陽に向かった。


 韓遂が到着した時、辺章の意識はすでに無かった。

 將に寝かされた彼は浅い呼吸を繰り返している。

 生きている、ことにまず韓遂はホッとした。


 少し会わないうちに、辺章は痩せていた。

 涼州、あるいはその外を駆けて異民族の協力を取り付け、侵攻してきた漢軍を包囲したことで限界近くまで働いていたのではないだろうか。


 そんなことを考えながら韓遂は、じっと辺章を見ていた。


 不意に、辺章は大きく息を吸って吐いた。

 そして、かっと目を開く。


「允!」


 危地を脱したか、と韓遂は思わず呼び掛ける。


「何をしている、文約」


 倒れたことで呆けたのだろうか、と韓遂は辺章の言葉を推し量る。

 まれに倒れて、目を覚ました後、まるで別の人格に変わるようなことがある。

 彼もそうなのだろうか。


「お前が倒れた、と聞いたゆえ、こうしてここまで来たのだ」

「……ふう」


 と辺章は息を吐いた。

 それは命を削ってでも、大切なことを伝えるためだろうか。


「文約、貴様はすぐに金城に戻れ」

「辺章……?」

「そして、北宮伯玉と李文侯を倒せ」

「……」

「お前が、軍のただ一人の首魁となれ!」

「私一人でそんなことができようものか」

「できるできないではない。やるかやられるか、だ。私亡き後、お前の発言力は下がる。宋建は悪くないが格が落ちる。今だ」

「しかし」

「しかしもなにも、我らはすでに漢帝国にとっての反逆者。しかし、羌の風下に立つのもいやなのだろう?ならば、やるしかない」


 強い言葉だ、と韓遂は思った。

 これは辺章が残った命を少しずつ削って放つ意思だ。

 遺言とも言える。

 それを反故にすることは韓遂にはできなかった。

 たとえそれが、昨日までの仲間を討ち、真に梟雄と呼ばれることになろうとも。


「行く」

「うむ」

「いつも、お前の魂魄が私のもとにあることを願う」

「ふ。お前のような奴に死んでもつきまとうのはごめんだ」

「……そうか」

「精々、見守っているさ。我が友よ」


 この後、辺章は亡くなった。

 韓遂は金城郡に戻った。


 韓遂が行動を起こす前、漢帝国の中枢たる朝廷は一つの命を下した。


 大尉である張温の罷免である。

 それも当然だろう。

 反乱軍討伐の任を受け、長安に赴任し十万の兵を集めた。

 それまではよかったが、美陽の地で反乱軍に包囲されて討伐に向かうべき兵力を無為にした。

 だがそれは、客星の出現と董卓らの奮戦で打開できた。

 しかし、張温が程球の献策によって興した軍が敗北した。

 金城方面軍三万は敗走。

 漢陽方面軍六万の内五万が壊滅する大敗である。

 残る一万を率いる董卓が奇策をもって撤退に成功したことで、全滅こそ避けられたが、それは董卓の武功と知略の結果であって張温のものではない。


 敗戦の報告が洛陽の朝廷に届き、対応が為され、張温への命令が届くまでおおよそ二月。

 季節は夏となっていた。


 命令を聞いた張温は、わかっていたように、それでも肩を落とした。

 そして、その後撤収の準備をして長安から退いていった。

 その際、張温の連れてきた参軍事の孫堅、陶謙、執金吾の袁滂、盪冦将軍の周慎らは同じく退いていった。

 彼らは車騎将軍の権限で任命された軍事顧問であるため、張温がそれを罷免された今、ここにいる理由と資格がないのである。

 周慎は、敗戦という憤懣と涼州事情に対する義憤から残ると言い出した。

 彼は涼州の出身であるのも、その理由の一つであろう。

 しかし、彼は退かざるを得なかった。

 彼の息子である周毖しゅうひが今、出世街道に乗ってることを張温に指摘されたのだ。

 ここに父親がいて、息子の出世を妨げるのか、と言われれば彼も頷くしかなかった。


 これによって西涼から漢帝国の兵力がごっそりといなくなった。

 事実上、漢帝国は涼州を捨てたのだ。

 涼州は刺史の左昌が更迭され、無主の状態のまま。

 これを守る軍は無い。


 しかし、予想とは裏腹に涼州を反乱軍が統治することは無かった。


 反乱軍の内部で内乱が起こったのである。


 韓遂は己の私兵と辺章の私兵を集め、そして枹罕の本拠地に戻っていた宋建を再び加え、金城郡へ、そしてその先へ侵攻した。


「北宮伯玉と李文侯を除かねばならぬ」

「そして、貴殿が反乱軍を乗っとるわけか」


 と宋建は形の良い髭を撫でながら言った。

 韓遂と宋建は共に馬上にあり、吹き付ける風が互いの髪を揺らす。


「彼らは……満足している」

「で、あろうな。涼州をほぼ手中にし、漢帝国は兵を退いた。涼州独立まで後一歩だ」

「それでは足りぬ」

「私には理解できぬ。一県で満足する程度の器でしかないゆえな」


 韓遂はちらりと宋建を見る。


「貴殿は長生きするだろうな」

「死なぬ限りは」

「そうか……俺は不満だ」


 韓遂の一人称が“俺”になったことに宋建は気づいた。

 どういう心境の変化の現れか。


「何が不満か、と一応聞いておこうか」

「我らは勝った。しかし、それは辺章の犠牲によるものだ。そもそもあの星の出現が無ければその前に勝っていた」

「勝ちを忘れられぬか?」

「そうだ」

「賭博好きの言い分に似ているな」

「幸運に賭けるのは好きではないな。俺が好きなのは勝つ可能性を引き上げることだ」

「そのために、北宮伯玉と李文侯は死なねばならぬ、と?」

「……そうだ。現状に満足した者に羌族をはじめとした異民族を十万も寄せ集められる力を持たせるわけにはいかない」


 両者の率いる軍勢は金城郡を抜けた。

 これは即ち、漢帝国の外に出たということである。

 そこは湟中ツォンカ

 北宮伯玉の本拠地である。



 結論から言うと、北宮伯玉と李文侯は敗北し、亡くなった。



 もちろん、李文侯は湟中義従を率いて迎撃に出た。

 美陽の地で率いていたような大軍は無かった。

 あの客星を見て逃げていった者もいるし、辺章による漢陽での作戦で連れていかれた者もいる。

 そのため充分な兵力を持てなかった李文は、しかし強気に応じた。


「血迷ったようだな文約!」


 李文は攻めてきた韓遂の前に現れ、言った。

 李文の率いる湟中義従は騎乗のまま、弓を構えている。

 その矢は全て韓遂の方を向いていた。


「何も、迷ってはおらぬ」


 激昂する李文に対し、韓遂は静かに応じた。


「同じ軍の仲間に兵を向けることを、血迷うと言わずになんと言う!」


 李文は攻撃の合図を出そうとした。

 しかし、その号令は出されなかった。


 李文が号令を下す前に韓遂がやったことは手を挙げることだけだった。

 その合図に、潜んでいた韓遂の手勢が、一斉に李文に向けて矢を放つ。


「向かってきた敵に向かって、話をしようと言うのがそもそも愚かなのだ李文」

「韓……遂!」


 次から次へと矢が李文を貫いていく。


「発展すること、止まらぬこと、進み続けること。それが成せぬことを俺は選ばぬ」


 韓遂の兵が湟中義従を壊滅させるまで長く時間はかからなかった。

 李文の絶命を確認すると、韓遂はさらに兵を進め湟中へ侵攻した。


 そして、北宮伯玉は自身の居館に火を付けた。

 焼け跡から、彼の亡骸が発見されると韓遂は兵を引き上げた。


 こうして、羌族出身ながらも漢帝国に従属し、しかし乱を起こした北宮伯玉の勢力は消滅した。


 この湟中という街も忘れられ、十四世紀にチベット仏教の重要人物ツォンカパの出身地として知られるまでは歴史の中に埋もれることになる。


 韓遂が反乱軍をまとめあげ、再び兵を挙げるのは翌年のことである。

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