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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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百十二、反乱軍の再動

 董卓軍一万は漢陽郡の冀県の西にある望桓城へ進軍した。

 一時は反乱軍に奪われかけていたこの城も、今では漢人のもとに戻っており、戦闘らしい戦闘もないまま奪回に成功した。


 陶謙軍、袁滂軍、程球軍、張温軍本隊、張温軍別動隊の五軍もそれぞれ一万を率い漢陽郡各地の城を解放していった。


 それが辺章の思惑どおりだとは知らずに。


 反乱軍の四将の一人、辺章は逃走の際に金城には向かわなかった。

 これは韓遂も同意のことだった。

 辺章は逃げた羌族らを一冬かけて説得あるいは脅し、再度軍として編成しなおしたのだ。

 そして、その軍を万単位で漢陽各地に潜ませていた。

 反乱軍は客星が無ければ勝っていた。

 それは間違いないことだ。

 だからこそ、地の利がある涼州でやり直す。

 本当に勝つために。


 漢陽郡を流れ、南北に分断する大河“渭水”。

 この北側で待ち構えていた反乱軍は、渡河してきた漢軍を次々に包囲していった。


 もしも、韓遂らが逃げた金城へ全軍で向かわれれば反乱軍は今度こそ負けていただろう。


「しかし、我らは賭けに勝った」

「文約様にはどう伝えましょうか」


 韓遂の配下の成何せいかに辺章は答える。


「我らは勝った。成すべきことを成せ、と」

「かしこまりました」


 成何が金城へ向けて去ると、辺章は青白い顔に笑みを浮かべて呟いた。


「死ぬのは私一人でよいのだからな」



 張温、あるいはその軍師であった程球のたてた同時渡河策は、その全てが同時に襲撃されるというあり得ない反乱軍の行動によって失敗した。

 各軍団は、倍する兵数の敵に包囲され分断された。

 各軍は連絡もままならず、漢陽郡の各地で孤立してしまっていた。


 なぜ美陽で大敗し、四散したはずの反乱軍が辺章の命懸け、とはいえ説得だけでここまで兵数を増やせたのか。

 それは羌族以外の異民族の参戦による。

 西涼に跋扈する異民族は羌族だけではない。

 同じように漢帝国からの抑圧を受け、不満を覚え反乱を画策していた民族はいくらでもいる。

 代表的なのはてい族である。

 涼州一帯に居住し、遊牧生活を営む民族である。

 騎馬に長け、幾多の部族に分かれそれぞれ王を戴いている、という。

 その他にも鮮卑族の一部、南匈奴の一部なども参戦している。

 彼らの不満と不安を煽り、自軍に糾合するという才能を辺章は有していたということだ。


 もはや、己の命が長くないことを辺章は知っている。

 文字通り、血を吐くような覚悟。

 それがあり得ない反乱軍の再生を成し、再び漢軍を窮地に追い詰めることを成す原動力となったのだ。



 さて、漢軍の本隊が漢陽で拘束されているころ、金城郡に進出した周慎、孫堅隊は楡中ゆちゅう城を目前にしていた。

 この楡中城は漢陽と金城の境目にある城で、ここを抑えられると両郡の往来が出来なくなる。

 反乱軍の本拠地である金城郡、湟中へはそこから進めないということだ。

 反乱軍にとっては最後の砦と言ってもいい。


 城攻めに際して、漢軍では意見がぶつかりあっていた。

 三万の軍勢で一気呵成に城攻めし、早期に決着をつけたい周慎。

 周慎に二万で城を包囲、そして自分に一万を預けてもらえば兵糧攻めを兼ねながら遊撃策を取れると具申する孫堅。


 両者の意見は対立し、策はまとまらなかった。


 この二人、どちらもその策に理はある。

 この反乱自体が一昨年の暮れに始まり、二年目に突入している。

 十万の兵を運用し続けるには大変な労力と資源が必要で、それらは莫大なものとなっている。

 一昨年の黄巾の乱の損害すら補えないのに、さらにのしかかる費用に漢帝国の財務は破綻寸前であった。

 さらにこの頃から、漢帝国の官位が売られるようになった。

 売官によって大金を納めれば、どんな官位でも、それこそ三公の地位すらも得られるようになったのだ。

 これは一時的には財務が潤ったが、上下の規律の乱れを生むことになり、このあとの世に更なる戦乱の時代を呼び込むこととなる。


 周慎の意見はこれを根底にしている。

 早期決着こそ、朝廷が望んでいることなのだ。

 そこに周慎自体の武功もかかっている。


 孫堅の意見の理は、勝つことだ。

 周慎の言う城攻めは早く勝つために大きな犠牲を払う必要がある。


 孫堅の先祖である孫子曰く『上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む。城を攻むるの法は已むを得ざるが為なり』とある。

 一番良いのは謀略などで損害を生むことなく勝つこと、その次に敵の同盟や交流を断ち勝てる状況を作ること、それができなければ戦って勝つ。

 最も良くないのは敵の城を攻めること。

 城を攻めるのはやむを得ない時だけだ、とかの兵法家は言っている。

 孫堅のやり方は、既に城攻めという下策をとろうとしているがなんとか勝てる状況に持っていこうというものだ。

 兵糧攻めによって、敵の士気を落とし、無理なく開城させる。

 あるいは戦えば勝つ状態にする。

 それには時間がかかるだろう。

 こちらの根気もいるが、朝廷がどれだけ待てるかも勝敗を左右する。

 結局、朝廷にも金がないのだ。


 だが、どちらの策も取り入れられることは無かった。


 なぜなら、漢軍が逆に攻撃されてしまったからだ。


 韓遂は、敵が攻めてくることはわかっていた。

 この楡中が重要な防衛拠点であり、ここで追撃を迎え撃つことになるからだ。

 金城郡の地形を知り尽くした韓遂は、城を前に布陣する漢軍の後方に突如出現、散々に追いたてた。

 こちらが追ってきて攻撃するつもりだった漢軍は、韓遂の奇襲にあわてふためいた。

 よくよく観察すれば、韓遂の軍勢は万もおらず漢軍の方が兵力では上回っているのがわかっただろう。

 美陽の敗戦で羌族の大半は逃走し、直轄兵の半数を辺章に預けて漢陽方面に送り出したため、それくらいしか兵が残っていない。

 しかし、周慎も、孫堅もその正確な数を把握できなかった。

 彼らには、美陽で明け方に奇襲された記憶しかなかったからだ。

 突然襲われ、策を台無しにされ、そして包囲された。

 その経験しかない。


 その悪い記憶が甦り、彼らに逃走を促してしまった。

 目に見えぬ、こちらを包囲しようとする敵を幻視してしまったのだった。


 韓遂はその混乱する漢軍の輜重隊を狙った。

 糧食に火をかけ、あるいは奪った。

 その狙いに、周慎らが気付いた時には韓遂は退いたあとだった。


「賊め!我らを兵糧攻めにしようてか!」


 それが狙いだろうと孫堅も確信した。

 残兵をまとめ、反撃の体勢を整える。

 と同時に、彼らは気付くのだ。

 

 今が雪解けしたばかりだ、ということに。

 そして、去年は、いや去年もひどい凶作で例年以下の収穫だったことに。

 その収穫も、反乱軍討伐のために徴収され、どこにも兵糧など残っていないことを。


「周将軍、退きましょう。食い物が無ければ戦えませぬ」

「何を馬鹿なことを。我らはまともに戦っておらぬ」

「戦っていないからこそ、進言しておるのです」

「いや、我らの方が戦力として上のはず。戦えば勝てる!」


 それをさせぬための奇襲であり、輜重隊への攻撃であると周慎は気付かないのか、と孫堅は心中で嘆息した。

 反乱軍の方が戦力は少ない、それは確実だ。

 しかし、相手には城があり、こちらにはない。

 相手には飯があり、こちらにはない。

 これでは勝つ以前に、戦うこともできぬではないか。

 それならば、兵力を温存したまま退くのが最上のはず。


 孫堅はそう言うことを言ったが、周慎は聞き入れなかった。


 結局、韓遂の籠る楡中城に対し、有効な攻撃ができぬまま、周慎たちはいたずらに時を浪費し、ついには撤退した。

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