百十一、紙上兵談
董卓は張温の指揮下についた。
陳倉城から西方に出陣した漢軍が進軍していく。
張温は二正面作戦を諸将に命じた。
盪冦将軍周慎と参軍事孫堅に三万を率いさせ、金城郡へ逃走した敵本隊を討たせる。
そして、張温自ら軍を率い涼州の中心たる漢陽郡を反乱軍残党から解放する。
この二つの作戦を同時に行うのだ。
二正面にはリスクもあるがメリットもある。
金城に逃げた韓遂らは漢人であり、漢陽に割拠する残党は羌人である。
反乱軍の枠組みの中で兵法に長けた韓遂が率いる勇猛果敢な羌族の軍隊は恐るべき相手だった。
それに勝つには、両者の連携を断ちきるよりあるまい。
そのために二つと同時に戦うのだ。
金城方面へ向かう周慎、孫堅隊とは漢陽郡に到着した時点で別れた。
漢陽郡を席巻していた反乱軍は、小規模な残党を残して撤退あるいは逃散しており涼州の州治所の冀県はついに落ちることは無かった。
漢軍到着の報を受け、指揮官としての役目が無くなった涼州刺史左昌は横領の罪に改めて問われ、捕縛されていた。
そして、そのまま長安に送られている。
涼州の州軍を統率していたのは、漢陽長史の蓋勲である。
張温はその功をたたえ、そのまま軍の統率を任せた。
金城方面軍の出陣の後、張温は董卓らを召集して軍議を始めた。
「漢陽郡の秩序を取り戻す。そのために諸城を解放するのが肝要と思うが諸将の意見を聞きたい」
との張温の言葉に、はじめは誰も答えなかった。
執金吾の袁滂は温和な性格ゆえに先に意見を述べるのを遠慮した。
陶謙は何か考えはあるかもしれないが、張温と不仲のままのため口を閉じたままだ。
そうなると、董卓が口火を切る雰囲気になってくる。
董卓の心中は、当たり前だろう、だ。
敵の撃滅と占領地の解放を同時にする、というのは難しいが戦力と士気に余裕がある現在ならなし得ないことではない。
やれるならやるだろう。
「反乱軍の残党は渭水の北に潜んでいるようです。そのため、渡河し、漢陽北部のいずれかの城を拠点とし解放戦を仕掛けるのがよいか、と」
と当たり前のことを言う。
張温はうむ、と頷き「他の者は何か意見はあるか?」と聞く。
「河を渡ったところで襲われた場合はいかがする?」
と陶謙が聞いてきた。
それは董卓も懸念していたところだ。
河を背にして戦う、いわゆる背水の陣は“国士無双”韓信将軍のような激烈な才能を持つ者ならともかく常人では退路を断たれ、包囲され負ける。
「渡河地点を複数用意し、同時に河を渡ればよいのでは?」
袁滂が続ける。
「そもそも反乱軍の残党にそれほどの戦力はあるのか?」
張温がややのんきにそう言った。
陶謙や董卓が懸念していたことを無にするような発言である。
「万単位で敵を討ったことは確かです。しかし、反乱軍はその兵十万と称していました。数万の羌族が潜んでいる可能性は充分にあります」
「う、うむ」
「渭水を複数地点で渡河、敵の襲撃があれば合流してこれに当たり、なければ漢陽の諸城を分散して解放していく、それでよろしいですな?」
陶謙がまとめ、張温は頷く。
二人は仲は悪いが、公務であれば協力できる程度には常識を弁えている大人である。
ともあれ方針はまとまった。
が張温の様子に不審を覚えた董卓は陶謙を呼び止めた。
「恭祖殿、一つ教えていただきたい」
「何かな、董将軍」
「大尉殿の本当の軍師はどなたですか?」
陶謙は答えこそしなかったが、びくりと体を震わせた。
おかしい、とはこの戦の最中ずっと思っていた。
張温は文官であり、武勇や戦争に関しての才能は皆無だ。
それは本人も言っていたし、董卓も確認している。
そのため、討伐軍の長として車騎将軍に任じられた後に軍才を補うとして二人の将を連れてきたのだ。
しかし、孫堅の言は苛烈と退け、陶謙とは不仲であるゆえ話もしない。
それなのに、拙いとはいえ策を出したり、真っ当な布陣を指示したり、と最低限のことはしているのだ。
任命されてから学習した可能性は無くもないが、それにしてはまともなのだ。
これは誰かが後ろで指示しているのでは、と董卓は感じたのだ。
陶謙はふうっと息を吐き口を開いた。
「貴殿にのみ話す。なにせ、董将軍なければ我らは負けていたのだからな」
「やはり誰かが」
「大尉の側に控えておる若者がおろう。名を程球と言う」
張温の側に控えている、と聞いて董卓は確かにそのような者がいたか、と思い起こした。
軍議の時にもいたことも思い出した。
「程球、聞いたことはありませぬな」
「武将としては無名の人物ゆえな」
「そんな者が軍師、と?」
「大尉の友人に黄琬という人物がおる。彼も大尉や何大将軍と同じ荊州の出だ。彼は一時、政界から離れていたが復帰して九卿に登っておる」
「偉い人の友人はやはり偉い人なのですな」
「その黄琬殿は追放される前に光録勲の中郎将を勤めていた時期があって、その時配下にいた人物の子弟が程球らしい」
光録勲は宮中の警護や皇帝の護衛を勤める部署であり、かつて董卓が所属していた羽林騎もそこに含まれていた。
どこの部署に所属していたかはわからない。
後から、父親が元羽林中郎将であった華雄に聞いてみたが程球なる人物は知らなかった。
ともかく、張温の軍師はその男のようだ。
「その程球の軍の才は……」
「中央にいた時に武経六書を修め、軍事を問われればすらすらと答え、歴戦の将の言すら論破したという」
「話だけを聞けば名将の器にも思えますが、私には紙上兵談に感じますな」
陶謙の眉がピクリと動き、そして軽く彼は頷いた。
陶謙も同じように感じた、ということだろう。
紙上兵談とは、紙の上で兵法を談するという故事成語で、丸暗記するだけで応用を知らない、頭でっかちという意味に使われる言葉だ。
春秋戦国時代にできた言葉とされ、戦国七雄の一国である趙国の武将“趙括”に由来する。
この趙括は、趙国の名将“趙奢”の子で、“軍事を問われればすらすらと答え、父である趙奢ですら論破した”とされた。
彼は秦国との戦いで、更迭された廉頗将軍の後任として参戦。
しかし秦国の名将である白起の用兵に振り回され、大敗を喫し戦死した。
降伏した趙兵は数十万にのぼり、そのほとんどが生き埋めにされた。
この戦いは“長平の戦い”として知られている。
董卓は程球を“趙括”と同じ口先だけだと感じ、陶謙も同意したということだ。
「しかしな。大尉が奴を信任し二正面作戦など行おうと思ったのは貴殿のせいでもあるぞ」
陶謙はそう言った。
「それはどういうことで?」
「その過程はどうあれ、程球の敷いた布陣で勝った。大勝利だ。出世もした。ならば次も程球の言うとおりにすれば勝てる」
「その過程が大事なのでは?私は大尉の指示を待たず期に乗じたゆえに敵の背を討つことができただけで、程なにがしの策で動いたわけではありませぬ」
「仕方あるまいよ。不測の事態すら大尉の中では策の一環として認識されてしまった」
「私の行動も策の内だった、と?」
「少なくとも大尉はそれを信じた」
「呆れて何も言えませぬ」
「ゆえに、私も大尉殿と仲良くしようと思えぬのだ」
この戦いの後、陶謙は酒宴の最中張温を侮辱したとして左遷させられる。
その後、陶謙は許されるがその時も「大尉殿に謝るのではなく、朝廷に謝るのです」と剛直なところを見せた。
張温はそれを許し、はじめのように厚遇したのだという。




