百九、SN185
夜空に輝く星々を繋げて、そこに何かの意味や形を見いだすことはあらゆる場所で行われたようだ。
それらは例えば船旅の目印であったし、未来を占う指標となったりした。
地上で董卓ら漢軍と李文ら反乱軍が戦っている。
その遥か上天。
希蠟の国では半人半馬を見出だし、中華では東方青竜に属する氐宿としてその星座は知られている。
その星座の少しばかり南の空に異変が起こった。
後にSN185と呼ばれることになるその恒星が爆発した。
後の言葉で超新星爆発とそれは呼ばれる。
光の速さでも何年もかかる長い距離を、その爆発の輝きは星の海を駆け抜けた。
そして現代の暦では十二月七日。
漢帝国の暦ならばその一月前の日付。
夜にも関わらず、煌々と輝くその星は美陽の地でも見えていた。
羌族の信仰というものは、精霊信仰であると言われている。
中でも天の神が最も尊い信仰対象であった。
そんな彼らにとって、夜空に月と同じくらい、あるいはそれよりも明るく輝く星は不吉であった。
羌族の祭事の取り纏めである許は軍事には関わらなかったが、許の弟子というものは何人か参加していた。
弟子たちは氏族を越えて話し合い、あれは凶兆だという結論を出した。
漢人たちはそれが何を示す星の動きなのかを判断できなかった。
天文の知識がある者はそれが氐宿の騎官、あるいは車騎の星でありそれに対する吉兆か凶兆のしるしでしょうと言った。
問題は漢人と羌人でその星に対する認識が違うことだった。
羌人はそれを凶兆だと言い、漢人はよくわからないと言った。
そして反乱軍では指揮官を漢人である李文、韓遂、辺章、宋建らが担っており、兵卒のほとんどは羌人である。
羌人らはこの戦いそのものが何かの凶事の前触れだと考え、指揮官らの制止を聞かず撤収を始めた。
漢人のよりも圧倒的に羌人が多いことで李文や韓遂らは止めることができなかった。
李文の名声も、韓遂の頭脳もまったく役に立たないほどの恐慌が起こっていた。
「無理に止めることはできぬ」
「李文殿、何人か見せしめに斬ってしまうのはいかがか?」
韓遂の案に李文は首を横にふった。
陣の外から不規則に撤退が始まっており、反乱軍の陣中は大混乱であった。
韓遂はようやく李文に会えたがどうにもできそうにない。
「無理だ。天の時を逸した。止めようとして斬ればその憎悪はたちまち我らに向かうだろう」
「そんな……我々は勝っているのですぞ!」
それが韓遂の本音だ。
勝っていた。
十万の兵をさして堅牢でもない城に閉じ込め、補給路を断ち、援兵の可能性も潰した。
そして今から冬が来る。
どう考えても勝っていたのだ。
「我々も退くよりあるまい」
そう言って李文は馬にまたがり、私兵化した湟中義従の兵を連れ西の方へ去っていった。
「天の時……か。天は我らに味方せぬ、と」
韓遂はそう呟いて、自身の直下の兵と辺章と合流し撤退することにした。
波が退くように反乱軍の陣営が撤退していく報告を受けると、董卓は部将たちを叩き起こし、武装させ整列させた。
「将軍、全員揃いました」
「うむ」
張済の報告を受けると董卓は天を指した。
その先には煌々と輝く客星がある。
「天祐である。乱を起こした者より、我らの方に正義があるという天の意志だ」
ざわり、と兵らが揺れる。
月の明かりにも似た星の光を受けて董卓はぐるりと兵を見渡す。
「あの、逃げていく反乱軍を討つ」
「し、将軍!そのような指示があった、と?」
誰かが聞いた。
「無い。俺の独断だ」
「そんな」
「俺から言わせれば天の時が来たのに惰眠を貪るほうが悪」
いまだ車騎将軍の張温からの指示は無い。
他の隊もざわついてはいるが、統制は取れていない。
「それに、我らのみで敵を討てば大功となろう」
董卓が功に報いる大将であることは、董卓軍の者なら分かっていることだ。
「義父上、牛輔隊出陣いたす」
最初に進み出たのは牛輔だ。
最も武辺者である彼は勇んで前に出た。
「兄上、董旻隊出陣いたす」
続いて董旻、そして董璜の親族が前に出た。
「しゃあねえ。張済隊出るぞ」
「王方隊、準備完了でございます」
「よっしゃあ、李傕隊出る!」
「郭汜隊も出ます」
「うし、樊稠隊も出る!」
「華雄隊出陣いたす」
「胡軫隊出ます」
「徐栄隊参ります」
「李蒙隊出撃します」
「まったく董将軍のところは意気軒昂だな」
「義兄上」
武装を整えた鮑鴻が右扶風軍を連れてやってきた。
「追撃するのだろう?我らも参戦する」
「それはありがたい。ですが」
「命令違反になるのは、董卓軍だけでよい、と?」
「ええ」
「ふふふ。我らはこの軍に与してはいるものの、右扶風の正規軍だ。この美陽ももちろん、我らの統治範囲。そこを正規軍が往来するのに何の罪があろうか」
「なるほど。義兄上もなかなか機転のきく御仁ですな」
「義弟ほどではないぞ」
「わかりました。では参りましょう」
「うむ」
董卓軍と鮑鴻率いる右扶風軍は、独断で追撃を開始した。
西へ西へと退いていく反乱軍は、客星への恐怖で統率の取れない状態であった。
そこにいるのは軍ではなく、十万の恐怖に支配された個人であった。
董卓軍の各部隊はそれぞれが狼の牙のごとく、逃げる者たちの背後へ襲いかかった。
董卓自身も馬上槍を振るい突撃していく。
麦をなぎ倒すがごとく、あるいは草刈りのごとくに董卓たちは散々に暴れまわった。
閧の声をあげながら、振るう槍に幾つもの命が散っていく。
今までの包囲された戦いの鬱憤が、確かにあったのだと董卓は自覚し、それが晴らされていく思いだった。
鮑鴻が後方から「漢の本隊が動いた!十万が襲いかかるぞ!」と叫んでいる。
もちろん、ハッタリだろうが戦意喪失している敵の心をさらに折るのに相応しい言葉だろう。
董卓もそれにならって「涼州の討伐軍が到着したぞ!五万の軍勢だ!」と叫ぶ。
両方から大軍から挟み撃ちされる、と考えたらもう心が折れるどころかバッキバキに粉砕されてしまうのではないだろうか。
幾多の戦を重ね生き残った歴戦の将だろうが、初めて戦に出た初々しい新兵だろうが関係なかった。
恐怖に支配された逃走、そこに襲いかかる董卓はその“目”で相手の動きを正確に予測、槍を突き立てていく。
深く突き刺しはしない。
相手の命を奪うのに充分な最低限の力で突き、絶命を見届けることはせずに抜く。
運が良ければ生き残るかもしれないが、そんなことは些細なことだ。
一人でも多く戦闘不能にすれば、それは後の勝ちに繋がる。
負けがほぼ確定していたところからの大逆転である。
少しでも点数を稼ぎたい。
それは後の理屈ではあるが、董卓軍は凄まじい追撃を続けた。
日が落ちてから夜が明けるまで、頭の中で疲れを忘れ去れるような気が満ちているような、そんな状態で董卓たちは戦い続けた。
美陽から西進し、日が昇るころには董卓軍の先端は陳倉城まで届いていた。
そこに至る街道や周囲は亡骸と血で満ちていた。
幾万が命を落としたかはわからない。
しかし、これだけは言える。
董卓は勝った。
反乱軍十万は、少なくない数が命を落とし、同じくらい軍を抜け逃亡し、そして残り全てが右扶風、ひいては長安近辺から出ていった。
星明かりの下、天祐を掴み、戦局は決したのだった。




