百六、朝駆け奇襲
そろそろ三輔地方にも雪が降り始めようかという十一月。
美陽に向かって、反乱軍が攻めてきた。
張温の目論見どおり、美陽という攻めやすい城に引っかかったのだ。
しかし、敵将韓遂らも無策で攻めてきたわけではない。
羌族らを中心とした反乱軍は騎馬隊によって構成されており、徒歩によらぬ高速の機動ができる。
その速さで敵の反撃の用意が整う前に襲おうというのである。
夜の内に反乱軍は到着し、漢軍が気付く前に十万の兵を四つの攻め手に分けた。
李文侯に三万、韓遂に三万、辺章に三万、そして宋建に五千である。
そして、五千を予備兵として待機させている。
夜明け、三万ずつの兵を率いた三将は北、西、南の三方向から襲いかかった。
起きたばかりで用意の整わぬ漢軍は、その騎兵の群れに突き破られていく。
また宋建は遊撃として巧みに戦場を往来しており、韓遂に目を向け無防備になった漢軍の部隊の背後を強襲するなどして敵を潰していく。
夜襲では敵味方の区別がつきにくいため、この明け方の奇襲となった。
その効果は抜群であり、待ち構えていたはずの漢軍が押し込まれている。
決定的な戦果こそないが、反乱軍は徐々に美陽の城を取り囲んでいく。
追いたてられた漢の諸軍は小城である美陽に集まるように誘導されていた。
なんとか包囲網を突破せん、と董卓は自軍を率いて当たっていた。
「まったく引き寄せるならばそれなりの策を用意しておけ、と」
愛馬の月騅を駆けさせ、振り下ろした刀で羌人の兵を両断する。
二つに別れた亡骸が地面に落ちるのを見ずに董卓は苦戦している自軍の方へ突進する。
そこはどうやら陶謙の率いる部隊のようで、武将が一人善戦し前線を保っているものの、押し込まれるのも時間の問題のようだった。
「董卓隊である。助力する!」
「助かります!陶謙隊騎都尉、臧覇と申します!」
精悍な顔をしたその若者は個人の武もさることながら、隊を率いるにふさわしい知勇を持っているように見える。
そのような将でこそ、効果のある連携ができるというものだ。
董卓はその臧覇と合流し、攻めてきた反乱軍を撃退する。
「臧騎都尉!」
敵を一隊退かせても、次から次へと敵の後軍が攻めよせてくる。
「はい!どうやら守備あたわぬ様子。退きますか?」
判断も早い。
「うむ。城の前に陣取り、なんとか迎撃せん」
「了解しました」
「よし。徐栄、李蒙、退く前に一当てし相手の気勢を削ぐぞ」
「かしこまりました」
陶謙隊が退いていくのを追わせぬように、董卓はすぐ動ける位置にいた二人に攻撃を指示した。
徐栄は仕官してから数年たつが、その戦いの才は群を抜いており突撃隊として活躍していた。
李蒙は突撃し過ぎる癖があり、徐栄と組み合わせることでその戦巧者ぶりを学ばせようとしている。
その二人の率いる隊は押し寄せる羌族とぶつかり、その勢いを跳ね返すように押し戻した。
徐栄はそこを頃合いと見て、李蒙に合図し退いていく。
董卓は彼らと合流し、敵の追撃がないことを確認しながら退いていった。
このように漢軍の良将らが局地的に前線を保ってはいるものの、全体で押されぎみであり苦戦といっても差し支えなかった。
「上の方はどう考えているのでしょうか?」
とさきほど見事な突撃をした李蒙が董卓に向けて言った。
包囲され、徐々に押されている現状はどうにも面白くない展開だ。
兵はあれど、それを有効活用できていない。
そんな感触を董卓は抱いた。
しかし、参軍事の陶謙も孫堅も名うての将だ。
いくら張温が文官畑の出身だからといって、無策でこの状況ではあるまい。
たっぷり一日戦い続け、壊滅的な被害こそないものの苦しい戦いを強いられた漢軍と攻めきれぬまでも押し続けた反乱軍。
お互いの士気の差を感じつつも、陽が落ちたことでそれぞれ兵を退くことになった。
その後、董卓や鮑鴻、臧覇といった前線指揮官たちは美陽の本陣へと召集された。
そこには同じく前線で戦っていた盪寇将軍の周慎、執金吾の袁滂らもいた。
どの顔も疲れている。
遅れて入ってきた車騎将軍張温、参軍事の陶謙、孫堅らの顔は更にこわばっていた。
「皆、今日一日ご苦労であった」
と張温が口を開く。
「それでは私より戦局を説明しよう」
と陶謙がこの辺りの地図を卓に拡げる。
そして幾つかの駒を並べていく。
中央の美陽城に張の駒と孫の駒、北に周、西に陶、南に董、東に袁と漢軍がどのような配置になっていたかを示している。
「本来、我々は長安方面に向かう反乱軍が美陽に攻め入るだろうと予測していた」
陶謙がそう続けた。
そうなると、街道の北にある美陽には南、もしくは西から攻めてくるはず。
なるほど激戦区に董卓隊を置いていた、と。
「だが、予測は外れた。三方向同時奇襲によって攻めてきた反乱軍によって我らの連携は途絶え、各軍バラバラに相対せねばならなくなった」
もともとの作戦では南西部から敵が攻めてくるので、陶謙隊、董卓隊で応戦しつつ北の周慎、東の袁滂が横槍を突く形で進軍。
さらに孫堅隊、張温隊が臨機応変に攻撃するつもりだったのだろう。
「結果的に我々は美陽周辺に押し込められ十万の兵がひしめき合う有り様というわけだ」
「何か打開策はあるのですか?」
と袁滂が聞いた。
三方向からの攻めだったので、袁滂の布陣していた東側は比較的損害が低い。
そのため、反撃するならこの隊が中心となるかもしれない。
「いや……」
と張温は首を横に振った。
董卓は顔色こそ変えなかったが、胸中は呆れていた。
十万の兵を擁して、敵を誘引してみすみす包囲され、打開策もないとは。
「では明日はどんな手立てで戦えと?」
「各軍、奮起し敵の包囲を打ち破るべし」
と陶謙が締めた。
張温はそれ以上何もしゃべらなかった。
軍議はそれで終わりのようだった。
張温と陶謙は出て行き、周慎や袁滂も退出した。
臧覇も主君の陶謙と出て行き、部屋には董卓、鮑鴻、孫堅が残った。
「董将軍。俺に腹案があるのだが、のらぬか?」
おもむろに孫堅が声をかけてきた。
孫堅は三十ほどでまだ若いが、故郷の楊州では海賊討伐で名を挙げ、黄巾の乱では荊州方面で活躍した。
そのためその武勇をかわれ、張温に勧誘された男だ。
だが董卓は気に入らなかった。
なにが、とは言えぬ。
その自信にあふれた態度とか、泥や傷のついていない甲冑とか、昔の隴西太守とどことなく似た風貌だとかが、組み合わさって琴線を乱しているのだ。
それに腹案とやらがあるのなら、さきほどの軍議で発言すれば良かったのだ。
あれほど苦悩している車騎将軍を安心させる策ならば、すぐにでも採用されただろう。
そうしなかったのは、無茶な策か、己だけで軍功を独占したいか、あるいはそのどちらもだろう。
董卓に話したのは、一人では難しい策なのかもれぬ。
董卓が答えずにいると孫堅は話を続けた。
「俺の見たところ、敵軍は三万の兵団が三つと五千の遊撃隊で構成されておる。それらが三方向から攻めてきているのだ。遊撃隊は自在に動き、兵団に集中した我らの背後から挟撃する役目をしているようだった」
孫堅は残された駒を使い示した。
陶の駒に羌の字が書かれた駒を相対させ、陶の後ろから羌の駒をもう一つ攻めさせる。
突然、背後から攻められればどんな強兵とて脆いもの。
敵の巧みさが強調されている。
「そこで俺は」
「執金吾隊と孫堅隊でさらに敵の後背を突こう、というのだろう?」
董卓の発言に孫堅はぎょっとした。




