百四、新指揮官赴任、そして再会
夏、八月。
三公の一人司空の張温は涼州へ赴任することになった。
皇甫嵩が讒言によって罷免された後、涼州の秩序は当然回復せず、三輔地方はなんとか侵攻から守られている。
これを漢帝国としてはそのままにしておけるはずもなく、新たに張温を車騎将軍に任命した。
張温、字を伯慎は荊州南陽郡穣県の人である。
先代の皇帝であった桓帝時代から尚書として皇帝に仕えた人物であり、前任の張済(董卓の部下とは同姓同名の別人)が病で司空の職を降りた時に宦官の曹騰から推薦され司空となった。
この曹騰は宦官であり、もちろん権力者であったが十常侍と称される張譲、趙忠らとは距離を置いている人物であり、宦官でありながら清流派の気質を持っていたらしい。
また張温は大将軍の何進とは同じ荊州南陽郡出身だ。
そのため、宦官勢力よりはどちらかといえば大将軍に近いため、今回の任命に至ったようだ。
何進としても朝廷の最高位である三公から息のかかった者を外すのは憚られたが他に打つ手もない。
仕方なく、張温を送り出したのだった。
さて、この張温だがもちろん軍事的な経験は皆無である。
ずっと尚書におり、尚書侍郎、尚書令を経ての司空任官からの車騎将軍だ。
重要な任務であることは承知している。
ということで張温は既知の者や武に長けた人物を討伐軍に誘いいれた。
自身の軍才の無さを、他の武人で補おうというのである。
彼はどうやら人物を選ぶのには長けていたようで、そうそうたる人物が集まった。
軍事の参謀として、孫堅、陶謙を参軍事に任命、京洛の警察を司る執金吾の袁滂と盪寇将軍の周慎を同行させて長安にやってきた。
孫堅、字を文台と言い、楊州呉郡富春県の出身である。
孫家はそれほど家格は高くないが、海賊討伐などで功績をたてた一族であった。
孫堅は次男で、長男は若くして太守職についたが早世している。
この孫堅は黄巾の乱で朱儁と共に荊州方面の黄巾賊の討伐に功があり別部司馬となっている。
年齢は三十、脂ののった武将である。
陶謙は字を恭祖と言い、楊州丹陽郡の人である。
郡の役人や県令を経て、幽州刺史となった。
黄巾の乱では任地である幽州から兵を進め、討伐に当たった。
剛直な性格をしていたといわれている。
歳は五十を過ぎているが、その剛直ゆえか勇猛であると噂されている。
周慎は涼州武威郡の出身で、盪寇将軍になる前は豫州刺史を勤めていた。
武の才は人並み以上と言われているが、頭が固く計略などを良しとしない性格だという。
袁滂は字を公煕、豫州陳国扶楽県の生まれだ。
袁姓ではあるが、袁隗や袁紹などの汝南袁家とは別系統の陳国袁氏の出身だ。
素朴な性格で、欲心が無いと言う。
その性格を買われての執金吾であり、後に三公の司徒に登ったという。
このように評価されつつ、一癖ある武将らが揃ったのだった。
また、董卓も将軍不在の三輔地方を堅守したことを評され、破虜将軍に任命されている。
この後漢という時代は、軍備の縮小と再編が進んだ時代であり、後の時代と比べて将軍に任命される者が少ない。
これから十年もたてば、各地の軍閥が独自に将軍号を称したり、配下に将軍職を与えたりしている。
だが、この時点では将軍号を与えられることは、大変な名誉であり実力の現れでもあった。
もちろん、今の時点でも将軍を自称する者もいたり、名誉職として将軍に任命される文官や宦官もいる。
すぐに返還したが、皇甫嵩を罷免した趙忠も車騎将軍に任命されていたりする。
その点で言えば、正式に将軍となった董卓の実力と朝廷での周知が一定以上であるという証明になるだろう。
ともあれ、長安に赴任した張温はすぐに行動を開始した。
前任の皇甫嵩より地位の高い彼は、その権力を持って大規模な徴兵を行った。
涼州に残っている漢帝国の残兵力、関中、并州よりかき集め、その兵力は11月には十万に達した。
赴任してわずか三ヶ月で、である。
この時代では神速と言っていい速さだ。
張温の才はけして軍事よりではないが、吏僚としての才は常人とは隔絶している。
情報を処理する能力とでも言おうか。
それによって才ある人を見極め、各地から抽出できる兵を見極めているのだ。
そのような才でもなければ司空になどなれぬ。
その兵力を張温は美陽に駐屯させた。
ここは長安より西、右扶風にある城の一つで、関中を流れる渭水の北にある。
近くには、董卓の妻の鮑犖の故郷である郿県がある。
水運によって兵糧や軍備などの兵坦が容易であり、郿や陳倉城の兵との連動も可能な要地だ。
季節はすでに冬であり、降雪はまだ無いが外は冷たい風が吹き、長くあれば凍えてしまうほどだ。
董卓は美陽の城の城壁に立って、西の方を眺めていた。
「将軍任官、まずはめでたいな」
と声をかけてきた者があった。
董卓は西の秦嶺山脈から目を離し、そちらを向いた。
「これは、義兄上」
声をかけたのは鮑鴻である。
董卓の妻、鮑犖の兄だ。
「久しぶりだな」
「それはそうですが、なにゆえここに?」
「それがな。右扶風の相になってな」
「それはおめでとうございます……と言ってよいのですかな?」
右扶風は隣の左馮翊、京兆尹と共に通常の郡太守より慣例的に一段上の扱いであった。
これは将来の高級官僚候補が付くためだ。
そうなれば、義兄鮑鴻も出世街道に乗ったことになる。
普段ならば。
「まったくめでたくないな。この涼州の乱は朝廷も不安に思っていてな。通常ならありえぬ近在の俺に右扶風の相がまわってきおった」
「義兄上の才が認められたということでしょう」
「将軍閣下に言われるとこそばゆいな。だがまあそういうことだろう。ここで武功をたてれば俺も中央で出世の目があるやもしれん」
「そうなれば、ぜひ俺も引き立ててもらいたいものだ」
「雑号とはいえ将軍号だ。武人としてはよいところまで来ていると思うが?」
「車騎将軍でも安楽に座しておられぬ世ですからな」
「皇甫将軍か……。あの方はむやみに宦官の相手をしたゆえだな」
「それは確かに」
「時に、妹は、いや奥方は息災か?」
「ええ。元気です」
「元気すぎぬか?」
「元気な方が家がなごみまする」
「ふうむ。時に仲穎は愛妾は持たぬのか」
「それは、どういう意で?」
「いや、そなたの家も太守や将軍になれる家だ。もちろん犖をないがしろにしろ、というわけではないが婚姻は家の勢力を強くする」
「名家の結びつき、ですか」
「左様。結びつきが強いほど、宦官の横暴から身を守ることができる命綱となる」
どうやら義兄は心配しているようだった。
董卓が鮑犖に遠慮して妾を持たないのか、と思っているかもしれない。
董卓もおそらく人並みに妻を抱いている。
さもなくば、一男三女をもうけることなどできぬ。
ただ董卓は、ある意味で呪われているのだ。
それは己の手で切り殺した彼女の、その感触をいまだ忘れられぬということだ。
鮑犖のようにそれを飛び越えてくるような女とは出会えぬ。
董卓自身も、執着の果てにそれが失われることを恐れている。
「そのための兵であるゆえ、心配は無用です。それに」
「それに?」
「宦官はもう七、八年もたてば誅殺されるでしょう」
「それはどういう?」
董卓は義兄をじっと見た。




