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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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百三、漢帝国の混乱

 涼州の長い冬があけて、中平二年(185)。

 三月。

 涼州をほぼ落とした反乱軍は三輔地方に侵入した。

 三輔地方とは右扶風、左馮翊、京兆尹の三郡のことであり、総称して関中と言う。

 この関は函国関のことであり、かつての秦帝国の領土の内外を分ける関所であった。

 京兆尹は長安を擁し、またこの地方は漢帝国の穀倉庫とも言える大耕作地である。

 ここを襲われるというのは、漢の食料庫を襲われるというのと同義であり、羌族をはじめとした異民族はここを襲うのを一つの戦略目標としていた。


 羌族が母体である反乱軍ももちろんそれを踏襲していた。


 この冬の間に、韓約と辺允は改名をしている。

 涼州各地を襲撃しているのが金城の役人であった二名であることが露見し、反逆者として手配されたからである。

 もちろん、いまさら手配されても二人の覚悟は変わらないが、そこは心機一転という気持ちも含めてのことだろう。

 韓約は韓遂かんすい、辺允は辺章へんしょうと名を変えた。


 涼州のほぼ失陥、関中ひいては漢帝国の中心たる司隷への侵入は帝国を動かすのに充分な事態であった。

 幸い、というか大将軍何進が自由に動かすことのできる軍が残っていた。

 先の黄巾の乱で武功第一等であり、左車騎将軍を拝命していた皇甫嵩の軍である。


 皇甫嵩、字を義真。

 涼州安定郡朝那県の人である。

 黄巾の乱で活躍し、左車騎将軍の他に槐里侯、冀州刺史に任命され乱の後の冀州の鎮撫を励んでいたところの動員だった。


 さらに朝廷は涼州及び三輔地方で待機していた董卓を再び中郎将に任じ、皇甫嵩の副将として反乱軍討伐に向かわせた。


「これが朝廷のやり方よ」


 と董卓は届けられた命令を見て、そう言った。


「どういうことでしょう、義父上」


 共にいた牛輔が聞いてくる。


 一旦、隴西へ戻った董卓軍だったが戦局の危うさに董家を引き払い、父母を長安に連れていくことになった。

 無官の身ではあったが、金銭に余裕はあったし長安にも白然の店はある。

 奴婢らは解き放ち、父母だけ連れて一行は長安に向かった。

 冬の山越えは老いた両親には辛いものであったが、後方から届いてくる報せは隴西へ留まることをできなくさせるものばかりだった。

 反乱軍が隴西を通過し武都にまで進出した、とか宋建が合流し付近を略奪した、などだ。

 そして長安についたと思ったら、この命令である。


「朝廷、いや宦官どもは誣告によって簡単に官職を付けたり剥がしたりできるゆえ、それによって何が起きているかをわからぬのよ」

「義父上がやられたように、でしょうか?」

「そうだ。俺は東中郎将と河東太守を兼任していたが、それを賄賂を贈らぬことで罷免した。それでどうなった?」

「冀州方面の指揮官が不在ゆえに黄巾賊の跋扈を許してしまいましたな」

「左様。そして太守の不在となった河東郡では楊奉ようほうらが黄巾の残党を集め白波賊はくはぞくを名乗り略奪を繰り返した」

「確かに、我らが治めていた時は大人しくしていたのですが」

「秩序なき場所には混沌が蔓延るのだ。それを宦官どもは、己で引き起こしていることを気づいておらぬ」

「義父上はそれに従うのですか?」

「従わぬ、という選択はない。俺も漢帝国の臣であるからな」

「漢帝国の臣、ですか……?」

「俺が中郎将として、軍権を握って兵をこき使い、民も食えない糧食を食らい、街道を武器を持ったまま行軍できるのはなぜだ?」

「なぜ、と申されましても」

「漢帝国が俺の身分を保証しているからだ」

「身分の保証?」


 牛輔は首をひねった。

 武家に育って、武器を持ち戦うのが当たり前の彼に、身分を保証されているから軍権を使える、とか言ってもよくわからないようだ。


「保証なく兵をこき使えば反感を買う、飯を食えば恨みを買う、武器を持って徒党を組めば討伐される。それを無くすのが身分の保証だ。それができるだけの権威をまだ漢帝国は持っている」

「漢帝国にはまだ力がある、と」

「ゆえに、俺はその臣でいるということを選んでいる」

「腐っても漢帝国は漢帝国ということですか」

「そういうことだ」


 ともあれ、董卓は軍を整え、三輔地方に侵入してきた羌族を撃退しつつ、上官である皇甫嵩の到着を待った。


 しかし、彼の到着と前後して大きな問題が起こった。


 皇甫嵩は元来、文武に優れ、詩経と書経を好んだという。

 つまりは儒の教えを重視している。

 どちらかといえば清流派の人物であった。

 かつての大将軍竇武や大尉陳蕃に招かれるもそれを断り、皇帝から招かれてようやく出仕するほど強情と言える性格でもあった。

 そんな彼が宦官と相性がよいわけもなく、対立すらしていた。


 黄巾の乱の時に、盧植や董卓がやられた宦官の賄賂要求を皇甫嵩はかわしていた。

 それは彼が居なければ黄巾の乱をおさめられないと大将軍の何進が庇っていたからであり、皇甫嵩本人が転戦し続けていたため、宦官が追えなかったからでもある。


 剛直な彼は長安赴任と同時に一つの上奏をした。


 十常侍の一人、趙忠の法令違反である。

 黄巾の乱の時点で、趙忠が規定以上の豪華な邸宅を建てたことを糾弾したのだ。


 確かに趙忠のやったことは悪事である。

 その上奏は効果を発揮して、趙忠はその邸宅を没収されている。


 だが趙忠は皇帝に「我が母」と呼ばれるほど信頼篤い人物であり、典型的な宦官である。

 そして「我が父」と呼ばれたもう一人の代表的宦官の張譲と共に讒言をした。


 特に軍事的な行動をする前に皇甫嵩は、反乱軍に対処できない

 という判断を下さられて罷免させられた。

 左車騎将軍、冀州刺史を取り上げられ、食邑六千戸を没収、侯の地位も格下げされた。


 困ったのは大将軍の何進である。

 涼州は無くなってはいないものの、州治所の漢陽郡すらほとんど失われ、西域との交易は滞り、司隷にまでその手は伸びている。

 宦官が勢力争いや賄賂などで争っている間に、漢帝国の領土は縮まっている。

 何進は分かっている。

 元々、肉屋である彼は商売人としても大成している。

 それゆえに武人としての才は無いはずだが、そこは有能な人を登用して補っているのが現状だ。

 そのための盧植であり、皇甫嵩であった。

 それがどんどんもぎ取られていくような気分は大変よくない。

 一流の若手を登用はしている。

 例えば、袁家の庶子である袁紹などは何進の属官である。

 だが彼らが超一流の武将、政治家になるにはまだ時間がかかる。

 宦官に迎合できない皇甫嵩らのことを苦々しく思いながら、彼は自分の地位を守るために次なる手を打ちはじめる。


 一方、現地で困っているのは董卓である。

 やっと赴任してきた上官は、すぐに罷免された。

 これは十何年も前の張奐の時と一緒である。

 であるが、問題はこれがまだ戦う前だと言うことだ。

 以前の時は張奐のもと、岸尾率いる羌族と戦い勝ったあとだった。

 次の上官がいつ来るのかわからないが、その間この羌族との戦いは董卓が仕切らなければならない。

 それも宦官の不興を買わないように、だ。


 まあ董卓も歴戦の軍人である。

 小規模な侵攻は騎兵で急行して叩き、羌族への人脈を活かして反乱軍の動きを牽制し、涼州と連絡を取り合うような行動を続けていた。


 その状況が変わるまで夏を待たなければならなかった。

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