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董卓伝暴狼記  作者: サトウロン
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百一、大乱に立つ者たち

 中央が黄巾の乱の余波でいまだ安寧を取り戻してはいない中平元年の冬。

 漢の最果て、涼州が大きく揺れた。


 羌族は北宮伯玉と李文侯を盟主とし、漢に対し反乱の兵を挙げた。

 表向き漢に従い、湟中義従という役職に任ぜられていた北宮伯玉は、しかし誰より反乱の機をうかがっていた。

 相次ぐ反乱、宦官と外戚による腐敗、そして黄巾の乱。

 漢帝国が乱れに乱れたこの機に乗じて、十万に至ろうかという兵が集った。

 湟中義従だけではない。

 かつて乱を起こし敗れた岸尾ガンビの先零羌の残党や、長らく漢に反乱し続け逼迫していた諸氏族の戦士が続々と旗下に参じた。


 湟中より侵攻を始めた反乱軍は金城郡に侵入、臨羌りんきょう城、安夷あんい城、破羌はきょう城を次々に落とした。

 そして、金城の郡治所である允吾いんごの城はもう目の前にあった。


 さて、反乱軍の指揮官を務めるのは李文侯である。

 彼は戦巧者であり、いかに堅牢な城であろうと瞬く間に落としていく。

 地形を利用した戦いに滅法強く、その頭の中には涼州諸郡の地図が入っていると言われている。

 血筋、と言われるのは本人は気に入らないところだが、その先祖である飛将軍の血は確かに受け継がれている。

 しかし、今が最大の機であることは確かだが、彼らにとってそれは遅すぎた。

 シーエイと名乗っていた董卓と檀石槐と語り合っていたころより、何十年と時が流れていた。

 北宮伯玉も、李文侯も老いていたのだ。


 それでも、と李文は思う。

 頭の冴えは衰えていない。

 実際に槍を振るのは若人には劣るだろうが、指揮をとって軍略を競うならば負けはしない。

 けれど、己が身は一つ。

 そして、羌族からの支持はある。

 だが漢民族から見れば己は辺境の辺境で異民族に混じっている輩に過ぎない。

 もし、己に匹敵する軍才を持ち、そして漢民族を配下に持つ将がいればこの軍はもっと動かすことができる。


 十万の兵とはいえ、まともな指揮官は李文一人。

 羌族の族長らは自分の氏族の戦士の指揮はできる。

 だがそれを有機的に組み合わせて、戦場で活用する指揮官が足りないのだ。


 もし、あの男がこちらにいれば、と少しだけ寂しくも思う。


「李文様、允吾城が内応により開城しました」


 涼州各地に北宮伯玉は間者を潜り込ませていた。

 これは友人の檀石槐のやってることの模倣である。

 かの鮮卑の大人は、鮮卑の小部隊を漢帝国の中に少しずつ浸透させていて、いざというときに呼応できるようにしていた。

 これは雁門関を突破する時や相対した敵の後方から攻めるといった奇策をする時に使われたらしい。

 李文のやったことも同じだ。

 金城郡は特に在地の羌族が多く、半ば漢民族と化した彼らは雑役などで城に入り込み、その構造や兵の配置などを把握していた。

 反乱軍が攻め寄せた時に、簡単に落城していったのはこういう仕込みを長い年月をかけてやったからであった。


 この允吾城も同じだ。


「郡太守はいたか?」

「いえ。どうやら役所の中で籠城している様子で」

「兵を進める。民を二、三人見せしめに殺せ」

「了解」


 民を大事にする太守なら、民が殺されるところを見れば降伏する可能性が高い。

 まだ最初の郡で力攻めをするのは勿体ない。

 最速で涼州を掠めとることで、漢帝国に力を見せつけるのだ。


 允吾城の内部はかなり混沌としていた。

 湟中で兵を挙げた羌族のことは報告されていた。

 そして、あっという間に三城が落とされたことも。

 どうするか対応を協議し始めた時には、すでに城は包囲されていた。

 涼州刺史に援軍を求める使者を出すことを決めた時には、允吾城は開城していたのだった。


 城内の民は何人かが羌族に拐かされたくらいで、乱暴されたり物を奪われたりはほとんど無かった。

 これは指揮官の李文が一応は漢人で、羌人からは英雄視されているため統率が上手くいっているためである。

 問題は太守に近い役人たちである。

 太守は籠城しており武官はそちらにいる。

 そして、文官たちは捕まっていた。


 その捕まっていた文官の中に二人の青年がいた。

 一人は韓約かんやくと言い、計吏であった。

 一時期、洛陽におり何進に使えていたらしい。

 しかし宦官を除くという考えを拒否された時にそこを辞め、郷里に戻り郡治所で働いていた。

 もう一人は辺允へんいんと言い、端正な顔立ちの若者であるが計算に長けており郡の財務を任せられていた。

 この二人は涼州内外で名を知られており、李文もそれを知っていた。

 そのため、捕らわれた二人にわざわざ会いに来たのだった。


「韓約殿、辺允殿だな?」


 韓約の見た目はいかにも凡庸な感じで、評判になるような才気は見えなかった。

 隣にいる辺允はこちらを鋭い目付きで睨んでいる。


「李文侯とお見受けする」

「いかにも李文孟卿だ」


 韓約の目から見た李文は、老いている鷲だ。

 だがそれは衰えた、ではなく年経た老獪さを感じさせるものだ。


「例えば、軍を三つに分け武威郡、漢陽郡、隴西郡を同時に襲うのはどうだろうか」


 韓約が言ったのは命乞いでも、媚びへつらいでも、潔い死を望む、そのいずれでもなかった。

 それは金城郡を落とした後の軍略について、だ。


「ほう。なぜだ?」


 李文はその言に興味をそそられたように続きを促した。


「なぜ、と申されましても金城郡に隣接する三つの郡を一つずつ落とすのは手間と時間がかかりまする。せっかく数が揃っているのですから同時に落とすべき、かと」

「それは私も考えていた。しかし悲しいかな、我が軍には指揮官が足りぬ」

「李文侯は精兵三万を率いて漢陽を落とせばよい。見たところ、この軍の主力は羌人、李文侯の言うことをよく聞くはずなので涼州の中心たる漢陽を落とすにはうってつけかと」

「ほうほう。ならば武威郡と隴西郡はいかがする?指揮官のいない軍などいかに数があろうと烏合の衆にしかならぬぞ」

「武威郡は辺允・・に任せましょう。西域への街道のある武威、酒泉、張掖を押さえれば交易の利を握ることができまする。そして隴西へはが向かいます。隴西は無理に押さえずにその南の武都郡を落とせば南の益州から羌の別氏族を迎え入れることができましょう」


 すらすらと述べる韓約はその見た目とはまったく違う理知を感じさせた。


「では君たちは我が軍に下り、漢帝国に逆らう、と?」

「そこは少し悩みました。しかし、今の漢帝国は中心から腐っております。そこを除くか、あるいは木ごと切り落とすかを考えねばなりますまい。今回の乱はそのきっかけとなるやもしれません」


 韓約の言葉に辺允も頷いた。

 どうやら両者は乱の側に回ることを決めたらしい。


「よかろう。君たちを我が軍の将として迎え入れよう」


 李文は手ずから二人の戒めをほどいた。


 韓約と辺允は早速、役所の掌握をはじめた。

 従う者はすぐに動かし、逆らう者は獄に繋いだ。

 さらには羌族の兵を馴らすかのように率いて、太守の籠る櫓を襲った。

 配下の寝返りに郡太守の陳懿ちんいは驚き、そして諦めた。

 共に籠っていた護羌校尉の伶徴れいちょうと共に自害し、允吾城は陥落した。


 その躊躇の無さと軍の指揮の巧みさに、李文はわずかな懸念を覚えたが、それよりも有能な将の参入を喜ぶのだった。


 二人の投降と、将への登用には総大将である北宮伯玉は喜んで賛成し、早速軍を預けて三方面同時侵攻が開始されたのだった。

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