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CHAPTER 22


「それはあんたの願望でしょ」


 婆改めおばあちゃんは叔父の頭をひっぱたいた。父は困惑を通り越して、ただ二人のやり取りを見ている。


「お父さん!」


 気付いてない父に千代は飛び出していった。娘の見慣れない姿に、父はぎょっとしている。


「はは、やっぱり父娘だったのねえ、そっくりだわ」


 なぜ母と娘が一緒にいるのか分からないようだ。千代にもわからない。偶然出会った婆が自分のおばあちゃんなんて。百万の江戸の人口から出会う確率なんて計算できる?

 かすれた父の声が千代の隣から聞こえてきた。叔父も続いた。


「なんで…」

「江戸に?」


 二人の母親はげらげら笑って、千代に話したようなことを掻い摘んで話した。


「わたしも死ぬ時くらいは江戸の地で死にたい。心配しないでちょうだい。迷惑はかけない。王子のあたりに家を買いました。友達とそこで暮らすつもりよ」


 おばあちゃんはそのまま、謙太郎のほうを向いて言った。


「ただあんたがいるっていうから顔を見に来たのよ。私も年を取ったもんだ」

「頭巾を…」


 惣右衛門の呼びかけに、おばあちゃんは首を振った。


「息子には会いに来たけど、二度とあなたに会うつもりはなかった。わたしの自尊心をまだ認めてくれるなら、どうか顔を隠させて。老体を晒すには及ばないわ」

「そんなことは」


 そこでおばあちゃんは手さえも隠すようにすり合わせた。目尻の皺は隠しようもない。ただ、彼女にはそれすら耐えがたかったに違いなく、伸ばした惣右衛門の手を避けた。もしかしておばあちゃんの好きだった人って、と千代は背筋がゾッとした。こんなことってあるかしら?


「しほさん…」


 父の左腕を掴んだ千代は訳が分からなかった。もはや何に驚いていいか分からず、父や叔父が誰なのかもわからない。ただ義務のように父の袖を掴んでいるだけだ。その感触に気が付いたように父は千代の手を取った。


「積もる話もあるから、お嬢さんと一緒に帰ってくれると助かる」


 その一言に父は直立し、叔父は声をあげる。


「話なんてない」

「こっちにはある」


 婆というのは強いものでぐいぐいと息子の首を掴み引っ張る。おばあちゃんは千代に向かって、片目をつぶって見せた。


「お父さん、お母さんが探してるよ。帰らなきゃ」

「千代、なんでそんな格好してるんだ…」


 父は気の抜けた声で、それだけ呟くと、くしゃりと顔を歪ませた。


「聞いてただろ?」

「昔の話でしょ?昔男の人と寝たって、お父さんは私のお父さんよ」


 痩せた父の背中に千代は手を回した。父も千代の肩に掴んだ。少し派手に鼻をすする音が、父からした。不思議と父にも、父になる以前の人生があると納得できた。それは娘の千代に考えが及びもしないほど、たくさんの思い出や感情が交錯している。もし、思い出として話してくれる時がきたら、いつまでも聞こう。


「そうだ。私、お琴さんにお願いがあったの」


 忘れていたが、もし白無垢衣装を縫ってもらうなら、お琴に頼もうと思っていた。母も裁縫が上手いお琴のほうがいいだろうと言っていた。


「なに?千代ちゃん」


 お琴は引っ張られていく謙太郎に気を取られながらも、千代のお願いを聞こうと止まった。


「白無垢を縫って欲しいの」


 時が止まったかのように動かなかったお琴だったが、千代の言葉を理解するにつれて、深く頷く。


「ええ、ええ。でも、許してもらえたの?」


 千代は大きく笑った。いいでしょ?千代は父のほうを向いた。口をへの字に曲げながらも、すぐに仕方ないと息を吐いた。隅のほうでやりとりを見守っていた一之助も笑みを見せた。やった!


「さっそく仕立てなきゃね。日取りはいつかしら?」

「まあ、おめでたい日だったのね」


 おばあちゃんもにっこりと目を綻ばせた。


「祝言の日に来てくれる?」

「ええ。その時はおばあちゃんとしてね」

「叔父さんも来てくれるでしょ?」

「招待してくれるなら」


 叔父さんもおばあちゃんも休戦して笑った。


 今まで黙っていた芳吉も、帰りを促した。千代は父の手を取って、芳吉や一之助の居る門まで歩いた。祖母や叔父やお琴に手を振る。


***


 孫が去った門をしばし見つめていた母は、くるりと向きを変えた。


「変わるもんだ」

「あの兄貴がだ…」

「あの子が…」


 名残惜しかったのか、また門のほうに視線を向ける。謙太郎は意地悪も込めて母に聞いた。


「いいの?恋敵の子供だぜ」

「馬鹿たれ。諸行無常だ。でも、記憶のほうがよっぽど綺麗ね。ただの子煩悩の親父になっちまって。それに、あたしには今付き合ってる人がいるんだから」

「六十の婆が色気づきやがって」

「まだ五十九よ」


 謙太郎は目の前にいるのが母だとは信じられなかった。この婆が、母親?記憶とは違う母は、節くれ立った指で頭巾を取り去った。白髪のほうが多くなった髪。皺が増えている顔。


「暑い」

「頭巾なんかかぶってるからだよ」


 針を見に部屋へ戻ったお琴を尻目に、母は昔と変わらない減らず口で謙太郎を責め立てる。


「あんたも子供を育てたら?ねじ曲がった根性も直るんじゃない」


 謙太郎は笑いだしそうになった。自分は全然育ててない癖に!


「俺だっていろいろあるんだよ。第一もう四十一だ。無理だよ」

「あんたはいつもそうだ。頭でっかちで、考えばっかり捏ね繰り回してる。少しは体を動かしたらいいのよ。女を見つけるとか、ガキを拾ってくれば」


 子供のころは苦手だった母の奔放さが、すっと体に滲んだ。なにがそんなに気に入らなかったのだろう。年を取ったからかもしれないし、母が自分とは切り離された存在になったからかもしれない。一歩下がって彼女の人生を眺めることができる。一緒に暮らすわけでもない。

謙太郎は笑いながら驚いていた。




次で終わります!


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