CHAPTER 23
探しまわっていたら、いつの間にか日は暮れ出した。もしかしたら帰ってきているかもしれないと思って、家へ帰ると、今度は娘まで居なくなっていた。
里香は夫を探しながら、不吉なことを考えた。自分が居なくなったら、惣弥は探してくれるだろうか。もしかして、これ幸いにと里香を追い出すだろうか。里香は、自分は確かめもしないくせに、考えだけ先走っていると思い直した。帰ったらちゃんと聞こう。でも、ずっと帰ってこなかったら?
先ほどまで娘に気丈にも答えた母親の姿は影をひそめていた。別れを切り出されても取り乱したりしないと誓ったのに、考えれば考えるほど、里香は泣いて縋りついてしまいそうだった。つまりは、自分は夫が好きなのだろう。正体を無くしてしまうほど。思い当って、悔し涙が出た。どうして、私は素直にいかないのかしら?
徳次郎のところで一晩考えては、後悔ばかりが渦巻いた。惣弥にとって自分はさぞ退屈な女だったろう。なにかいいところを探しても、思い浮かばなかった。なにもかもが「ない」尽くしで、一つもいいところなんて無い気すらする。朝に飛び起きて、膝を抱えた。なんてこと。
里香はしかたがないので、惣弥の好いところと悪いところを上げてみた。するとどうしても、好きなところをあげていけばきりがない。そして嫌いなところも。里香は徳次郎に土下座する勢いで謝った。彼は許してくれたが、もう引きとめはしない。
走った。この足に豆を作って探しまわったことが全てだった。
娘も出ていったことで、里香の中の緊張が切れた。自分は何だったんだろう。やってきたこと全てが無駄に感じた。
家では番頭が店を切り盛りしている。よろよろと家に転がり込み、着物が汚れるのも、髪が乱れるのも構わず、声を上げて泣いた。
私はどうしてあなた好みに変われないのかしら?折れないのかしら?
辺りはすっかり暗かった。提灯の光がないから、足元も暗く、千代は惣右衛門と一緒に何度も小石に躓いた。千代は家を出てきたことを詫び、袴姿の経緯も話す。そして又三郎父娘に会ったことも話した。
代わりに惣右衛門も、妻には言えないと決心したことを娘にだけ話し、不安げに尋ねた。
「お母さんには内緒にしてくれる?」
千代は朗らかに笑って、頷いた。
「お父さんと千代だけの秘密よ」
芳吉も一之助もいたが、彼らは聞いていないふりをしてくれた。薄暗いまま根岸から帰って、家では店仕舞いをした番頭が、提灯を持って店の前に立っていた。突然に自責の念にとらわれた惣右衛門は、小走りで彼らに近づく。
「すまない」
「本当ですよ!お内儀なんて、先ほど帰って来たんですけど、ずっと泣きっぱなしだし…」
それを聞いて、彼を放って家の中に入った。番頭は娘と消えた芳吉に狙いを切り替えるようだ。芳吉の悪びれない声が聞こえてきた。
部屋にはうっすらと光が灯っていた。障子から透けている。勢いよく障子を開けると、口を一文字に締めて、声も立てずに泣いている里香が居た。夫の姿を見に顔を上げたため、次に流れる筈だった涙は時間を押して流れてしまった。
「里香」
「私は、しゃべりすぎた?でも、そうなってしまうのは、あなたが好きだからよ」
話すために口を開けたのに、里香の目からは涙がとめどなく流れ出て邪魔をしている。口を開けることが着火点になっているように。感慨深い気持ちになって、惣右衛門は里香の質問に答えたためにではなく、何度も頷いた。
「君は帰って来たんだ…」
母も、義母も出て行ったきり帰ってこなかった。でも、里香は帰って来たのだ。
たくさんの誘惑が夫婦の和順を妨げようとする。人だけでなく過ぎ去る時も強敵だ。愛情を持ち続けることは難しく、優しい目を向けることすらできなくなってしまう。
いつかは努力も虚しく仲が壊れてしまうかもしれない。でも、今はその時じゃない。
足を崩すこともなく、その上に置かれた手を取った。片方の手で引き寄せて、放さないためにきつく抱きしめる。里香は背中に手を回して、爪を立てるほど強く抱きしめ返した。
芳吉が番頭の彦兵衛に怒られている最中に、千代は一之助に提灯を渡した。これで八丁堀までたりるだろう。
「今日はもう夜だし、取り込んでるみたいだから」
「ええ。お気を付けて」
「明日は来ても大丈夫?」
「はい」
千代はその時間さえもったいなくて、一之助に手に自分の手を絡めた。そして、指を絡めたくせに、別れを告げようと口を開ける。が、音を発する前に、唇は塞がれた。
にこりと微笑した一之助は、絡めてある千代の手を自分の頬に擦り付けて言った。
「やきもち焼いたけど、夜だから」
千代はにっこりと笑って、一之助の首に飛びついた。提灯が落ちて、燃え尽きて、一つ無駄にしてしまった。
寄合の席で惣右衛門は瀬戸屋さんに断りを入れた。息子を連れてきていた主人はにこにこした顔をだんだんと強張らせ、次第に声を荒げそうになった。
「どういうことです?栄次郎は…」
「父さん!」
息子が父親を制止した。次男の思わぬ反抗に、瀬戸屋は驚いて二の句が繋げなかった。惣右衛門はその間に話を進めた。
「ただ、娘を嫁がせるとなると、養子をとらなくちゃいけません。もし、栄次郎さんがよろしければ、うちに養子に来てもらえませんか?」
その言葉で瀬戸屋は機嫌をすっかり直した。父親のほうは千代との婚儀より、店のほうが重要のようだった。だが、栄次郎は眉を八の字にして、力なく呟いた。
「それじゃあ、意味がない…」
おみよは父に断って、料理屋に来ていた。あまり高くはないが、酒と豆腐料理を頼み、なにかふっきれたように貪る。自分の金でする贅沢は気持ちがよかった。二合目の酒を注文しようとした時、暖簾を潜って身形の良い坊ちゃんが現れた。入って来るなり、酒と言うだけで、賑わう店の片隅、おみよの傍に腰を下ろした。
「ちょいと、あんた。なにか食い物でも頼んだ方がいいんじゃないの?すぐ酔っ払っちまうよ」
「酔っ払いたい…」
同類め。すでに酔いのまわっていたおみよは坊ちゃんに酒を飲ませた。するとこの男、すぐに酔っ払った。おみよは面白くなって、げらげら笑いながら、坊ちゃん―栄次郎に酒を飲ませた。そうすると、栄次郎は女に振られたことを白状して、何も入っていない胃の府の中のものを店内に吐き散らした。悲鳴、阿鼻叫喚を聞いて、震える手で栄次郎は財布を出す。多めの代金を払い、水を飲みながら、栄次郎はおみよに支えられて店を出た。まだ半刻しか経ってない!
「ねえ、飲み直そうよ」
「もう、無理」
だらしねえやつだ。おみよはとりあえず、家に連れて帰り、父と協力して布団に栄次郎を入れて、ひもで縛った。
「なあ、結構な金持ちだな」
「そうみたい」
「今のうちに既成事実をつくっといたほうがよくねえか?」
父は栄次郎の財布の中身を確認しながら、おみよに提案した。我が父ながら、まことに悪知恵が働く。おみよはそれもいいだろうと思って、ひもで縛られている栄次郎の隣に雑魚寝した。
秋。
千代は南町同心の見習い守口一之助と夫婦になる。それも、今日!
駕籠の中から住み慣れた我が家を最後に見て、千代は同心組屋敷に着くと、父に手を引かれて足を踏み入れた。白無垢の長い裾には可愛い椿の柄が散りばめられた当て布がしてある。一之助と出会った日に着ていた布と同じだった。
父は千代の手を一之助に渡すと、一歩後ろに下がった。妻の隣で穏やかに微笑んでいる。母は目を潤ませていた。
友達たちが祝福に訪れ、母の友達の徳次郎の家からは美しい声で唄を歌う三姉妹が来ていた。一之助の弟たちも、友達の主馬も来ていたし、千代の友達たちや香織ちゃんは生まれたばかりの赤ん坊を抱いて出席している。善吉が親戚の席から身を乗り出していた。相変わらず人相の悪い善吉は、この時ばかりは、極悪人から悪人くらいになっていた。
叔父夫婦が千代に向けてお猪口を掲げていた。店のものたちが言葉をかけていくなか、芳吉が最後に声をかけた。彼は涙を流しながら笑っている。
「お嬢さん、お幸せに!」
千代も泣いていた。白粉が禿げてしまったかも。千代は自分たちに視線を送る人々に向かって、振り向いて言った。大きな笑顔だった。
「ありがとう」
ここまで読んでくださってありがとうございます!
ところどころ突っ込みどころ満載の話になってしまいましたが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
今後の予定などブログや活動報告に載せています。
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