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CHAPTER 2


 叔父の顔を見た父は露骨に嫌そうな顔した。自室で帳簿の確認をしていたとはいえ、客には見せられない。


「おいおい、せっかく目に入れても痛くねえ娘が帰ってきたんだ。義姉さんといちゃつけないからってそんな顔するなよ」

「私は、千代ではなくお前に嫌な顔しているんだ」

「厄介払いしてるくせに」


 言い返そうとしたが、止めて父は千代のほうを見た。千代はバレるんじゃないかと、どきどきとする。


「お帰り、千代。無事だったか」

「兄さんの及ばないくらい、ずっと賢くなってるさ。そのうち私塾の先生になれる」

「悪の巣窟よりよく戻ってきた」

「昔から、冗談が好きだ」


 いつもの言い合いも叔父が助惣焼きを差し出したから、収まった。父の好物だったからだ。番頭や女中、小僧の分まで買ってきたから重かったが、冷めぬうちにと千代は父や叔父がいる部屋を出て配りに行く。


「お嬢さん、お帰りで」


 番頭も手代も小僧も女中も千代の顔を見ると、苦笑した。やっと反抗期がきたと、やれやれとしている。鈍くさい千代の反抗期は周りの子より遅い、というかまだきていないのだ。周りが親に口応えする年頃になってもそんな素振りをみせない千代を両親は心配していた。だから、赤い目を見れば、千代が両親の愚痴を叔父に訴えているとも見えた。うちのお嬢さんはまだ十だからと、口の悪い小僧が千代をからかっていた。

 だが今日だけは余裕で、その小僧・寛太にも助惣焼きを渡す。


「どうしたんですか?」

「どうもしません。いらないの?」

「いります。ありがとうございます」


 寛太は助惣焼きを受け取ると、おいしそうに頬張った。憎まれ口を叩くこ憎たらしいガキだが、これで中々利発で、父が珍しく酒に酔った時にもうちょっと早く生まれていたら千代と娶わせて家を継がせたのに、と言って千代をぞっとさせた。


「そこまで機嫌が良さそうだったら、誰だってなんかあったかなって思いますよ。誰かに口説かれたんですか?」

「もうっ、これは叔父さんがお店のみんなに買ってきたものよ。あんたにだけじゃないんだから」


 千代がすごんだところで元々おっとりとした声や顔では迫力に欠ける。寛太は怖がるどころか笑った。


「お嬢さんに好いた人でもできたら大変だ。おいらの店が乗っ取られちまいますからね」

「え?」

「お嬢さんはおいらと夫婦になるんでしょ。それを横から現れたどこの馬の骨とも分からねえ奴にやれるかってんだ」

「子供のくせに、何言ってるの」


 一之助さまのことは黙っておこう。寛太の夢を壊したら悪い。千代は寛太が寛左衛門とか立派な名前になって、この店の主人になるのを想像してみた。やっぱり、笑っちゃう。


「だから、旦那さまにも、お嬢さんの見合いは取りやめてくれって言ってきたばかりなんですよ」


 聞き捨てならなかった。


「どういうこと?」

「あれ、聞いていなかったんですか?」


 千代はその話を聞いて、怒った。本人に内緒でお見合いを決めてしまうなんて。両親は千代の性質を知っているから、多少強引に進めても嫌とはいえないだろうと分かっている。相手と我が家の面子を潰す度胸もない。千代は知っているから、この時ばかりは大好きな父も母も憎らしく思う。


「ひどい」

「それか、おいらと夫婦になるしかありませんね」

「八つも年が違うのよ」

「それくらい。二十歳こえちまえば、みんな一緒でしょ」

「そ、そうね。叔父さんとお琴さんだって…」


 だが、寛太が二十歳になれば千代は二十八歳。三十路に踏み込みそうな女房と並んで歩いてくれるかしらん。


「駄目よ!だって、私は…」


 昨日、一之助さまのご新造さまと呼ばれたいと、彼に抱き締められた時思ったのではなくって?千代は慌てて、首を振った。いけない。流されるところだった。


「何が駄目なんです?」


 いつの間にか母が後ろに立っていた。寛太の邪魔になっていることを注意したかったのかもしれない。


「あの…」

「じゃあ、おいらはこれで」


 お説教のとばっちりはごめんだとばかりに逃げ出した寛太を許した母だが、千代のことは見逃してはくれないようだ。


「千代、あなた最近、叔父上の家に入り浸りではありませんか?嫁入り前の娘が、関心しませんね」


 ここで説教を始めるの?と千代はうんざりしたが、武家の出の母の眼光は異常に強い。逆らえるはずもなかった。

母の部屋は片づけられ過ぎていて、化粧台や机が奥に鎮座している以外はないにもない。殺風景とすら言える部屋だった。そんな部屋に連れ込まれ、母の相手を追い詰めるようなお叱りに、千代は泣いてしまうこともある。


「でも、叔父さんは身内です…」

「ですが、お琴さんとの暮らしがあるでしょう」


 母は言うのを遠慮したが、不道徳な弟夫婦を嫌がっていた。なんせかんせ、叔父やお琴はよなよな吉原に二人して繰り出しているなんて噂だし、母にしてみれば上方に店を持つ叔父の素性自体怪しんでいた。


「で、でも、叔父さんは子供がいるみたいで、賑やかになるって…」


 母は止まった。千代はしめた、と思ったが些か居心地が悪い。

 叔父やお琴に子供がいないのは確かだ。五十がらみのお琴にもう子供は産めないだろうし、いままで四回も結婚していて一度も出来たことがないのだから、そういう体なのだろうと本人は笑っていたが、時々千代を見る視線がふと穏やかになる時があった。叔父とも違うそれは、見ていれば切なくなるものだったが、千代は言及したことはない。


「また今度にして、今日は家にいなさい」


 千代は項垂れた。別に、お見合いの話を聞かなければ今日は帰ってくる予定だった。無駄なことで怒られたのだ。ちょっと、損した気分になった。


「お母さん、あの、お見合いの話が来ているって本当ですか?」

「…ええ、そうですが、お父さんから聞いたのですか?」

「ま、まあそうです」


 寛太が口が軽いと叱られたら可哀想だから、千代は咄嗟に嘘をつく。千代を思ってのことに違いないからだ。母は、夕食の時にでも話そうと思ったのですが、と前置きしてから言った。


「実は、二方から来ています」

「ええ?」


 千代はてっきり戸瀬屋さんの次男坊だけかと思っていたが、違うらしい。


「あなたを町で見かけて、お見初めされたとか……ふふ、あなたも喜びなさい。お母さんは褒められて、鼻高々でしたよ」


 母は余程嬉しいのだろう。普段めったに声を出してはしゃがないタチだが、まるで我が事のように喜んでいる。

 どうやらコシアンとかなんとかいう医者で、馴染みの菓子屋で叔父を待っていた時をみられたらしいのだが、持っていた本がこれまた叔父に借りた小難しい本で、好学の女性だと勘違いして惚れたらしいのだ。本は暇つぶしのものだったし、外で黄表紙は読めないから、しかたがなしに読んでいただけなのだ。内容はさっぱり分からなかった。

 母は商いに関係のない人物でも、娘がベタ褒めされては、見合いだけでもと思ったに違いない。千代はすぐさまに正直に話して、相手に諦めてもらおうと思った。初夜にがっかりされては、こちらもたまらない。

 次はやっぱり瀬戸屋さんの次男坊だった。彼は幼馴染だし、同じ商いをやっていることもあって、婿にと父は願ったに違いない。だが、千代は彼に兄以外の感情を持つことはできなかった。きっと彼だって、同じなのに。

 すると、残りは必然と寛太になる。

 八方ふさがり。千代は、こんな時も両親に嘘をつけない自分が悔しい。これじゃあ、寛太の言う通り、十の子供ね。ここは、怖いけれど、勇気を出すしかない。


「あの、お母さん、その、そのお話は嬉しいのですが…」




 好きな人がいます。

 あの後、千代は耳から血がでるのではないかと思うほど、母から糾弾され、父に諭された。耐えかねて、もう閨を共にしたと言ったら、手引きをした叔父を絞殺さんばかりに父は怒り狂い、慌てて番頭が止めに来る始末だった。


「認めませんよ。不浄役人なんて」


 母は危険な言葉さえ使って、腹を立てている。父はずっと押し黙ったままだし、叔父は殺されぬうちに逃げ帰った。千代はお仕置きとして、十日間外出禁止だという。もちろん叔父の家なんて論外だった。

 こうなったら、家出してやる。千代は一世一代の賭けでもしてみようと、荷物をまとめた。だが千代の持っていくものは時間が増すごとに増え、どうやら一人では持てそうにもない。飼っている猫五匹や犬、金魚や亀や雀なんて、一人で連れて行けない。また、櫛や着物から化粧水やら紅やら鏡なんて、片っ端から加えていったからだ。そのうちに部屋まで汚くなってしまった。

 荷物は諦めることにする。身一つで家を出て、暗い夜道を猫のように根岸まで行くのは辛そうだ。初夏だったが、単衣では少し肌寒い?

 が、部屋をこっそりと抜け出して、裏門をくぐろうとすると、最近手代になったばかりの芳吉が火を持って声をかけた。よく見れば、寛太が芳吉を引っ張っているようにも見えた。


「お嬢さん、よしてください。眠い中、行きたくねえんですから」


 一人で行くと言っても、芳吉や寛太は付いてくる。両親も気がついてないのだから、気がつかなかったことにすればいいのにわざわざ来てくれたのは、千代が心配だったからだろう。


「寛太が、今晩はずっと起きてるっていうから、何事だろうと思ったら…」


 芳吉は寛太より年上だが、いいように使われている感がある。たぶん、千代と同じくややおっとりしているからなのだ。


「さあ、寝床に戻ってください」

「ごめんなさい」


 千代は結局、この二人の情に負けて、家から出る前に引き返すことになった。


「謝んないで下さいよ」


「だって、寛太はもうお店を継げないかもしれない。私は生娘じゃないし、このままずっと家に監禁されていたら…」

「お嬢さんはこの家の跡取りですよ。誰も気にしません」


 芳吉は優しいから千代を労わり慰めた。


「そうですよ、お嬢さん。おいらも芳ちゃんも、お嬢さんが誰と寝たって、相変わらず好きですからね」





 部屋に戻ったが、千代は布団に入る気にはなれなかった。そこで、母の部屋へ行こうと、寝巻のまま部屋を出る。

 母はもう休んでいた。情けない声で母に一緒に寝てもいいかと尋ねると、簡単に夜具をめくった。


「めずらしい。どうしたの?」

「ちょっと…」


 神経質な母が一緒に寝てくれるのは久しぶりだった。夫婦の寝室が別なので年頃の時は随分と気を揉んだものだが、どうってことない。母は寝化粧が嫌いなのだ。一日ならまだしも、一週間も続けば熱を出す始末。幼い千代は父と一緒に眠ったことのほうが多かった。


「お母さんは怒ってる?」

「ええ」


 そんなあっさりと。千代はがっくりと気を落とし、母と同じ夜具にくるまったものの、暗い部屋の中で母の寝息が聞こえてくる気配はない。だが、母はもう千代を責めも怒りもしなかった。


「お母さん、お母さんはなぜお父さんと夫婦になったの?」


 千代は母の実家というものに行ったことがない。母はいつも家にいて、千代もこの家で産んだのだという。母の家族にも会ったことがなかった。


「なんてこと聞くの」


 声は笑っていた。何を突然、と母は本気にしなかったのかもしれない。だが、千代は真剣に聞いているのだ。


「だって、私も、もしかしたら、もうすぐ誰かの内儀になるのよ。両親の慣れ染めを聞きたいと思っては駄目なの?」

「もう二十年以上も前の話よ」

「お父さんのこと好きで、お嫁に来たのでしょ?」

「それは、そうだけど…」


 両親が好き合って夫婦となったのは有名であった。いろいろな噂は外から聞くものの、本人たちからは恥ずかしがっているのか、なにも聞いてはいない。

 


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