CHAPTER 18
すっかり聞きこんでしまった千代と芳吉だったが、日が傾いてきたのでそろそろお暇しなくてはいけない。千代は又三郎とおみよにお礼を言って、長屋を出た。芳吉はまだぼんやりしているので、千代が引っ張っていく。
表通りでは夕暮れの忙しない時間の中、二人を残して急ぎ足で過ぎていく。
「驚いた。でも、お父さんにも友達がいて安心ね」
「そうですね…」
芳吉は惣右衛門のことを尊敬していたから、驚きが千代より大きかったかもしれない。千代は芳吉と違い、惣右衛門は千代の父であった。一緒に寝たり、風呂に入った記憶があったから、真実を聞いても、少し経てばそういうものかとくらいにしか思わない。
「芳吉も私の友達でしょ?」
「ええ、そりゃ」
話を逸らすと、芳吉も段々と戻って来た。目をぱちくりと動かして、いつもと変わらない微笑みを浮かべた。
「同じ好きなのに、友達と恋人じゃ大違いなのね。又三郎さんは、一度酷い目を見たのに、またお父さんとつるんでる」
「まあ、彼が悪いと言えば悪いんですけどね」
「お母さんとお父さんを仲直りさせるのは、事の外、難しいわ」
千代には漠然とした区分けしかない。つまり一之助への好意と、芳吉や友達たちへの好意は、いったいなにが違うのだろう。偏りで例えるなら、同じ店の味の濃いそばつゆと、味の薄いそばつゆ。前者は一之助で、後者は友達たちだ。でも、ただ水で薄めただけで、同じそばつゆの材料から出来ていることに変わりはない。
芳吉はにっこりと笑って、千代のつたない説明を簡潔に締めくくる。父がいれば決して口にしないことを言ってのけた。
「ようはヤりたいか、ヤりたくないかでしょ」
「もうっ」
それは濾紙を通してみる物事みたい。魂とか精神が順番待ちをしているのに、急に躯が割り込みを働いたくらい乱暴な話だ。
「それに…」
なんの構えもなく、無邪気に芳吉の横を歩く千代のお尻を叩いた。
「ちょっと!」
そう言いつつ、千代は口元が笑みを作るのを止められなかった。小さいころは取っ組み合いの喧嘩とまではいかないけど、遊びはやっていたし、兄弟がいないからと両親は芳吉と遊ばせるのを止めなかった。
町を行く人々たちは千代が女の子丸出しで芳吉に殴りかかるのを見て見ぬふりをしていた。芳吉は痛がって見せて、次に千代の肩を抱き寄せて、無遠慮に自分の唇を千代の同じところに押しつけた。
「おい!まだ日が出てるぞ」
野次が飛んだが、口を放した芳吉は、彼らに笑いかけた。
「やっぱり、兄弟ね」
千代もけらけらと笑った。
「お嬢さんも結婚しちゃうんですね。なんだか兄の気分だ」
「弟じゃない?」
「どっちも」
だが、その破廉恥な二人を眺める群衆の中に、一之助がいた。彼は几帳面にも一度自宅へ戻って、千代たちを探しに来たのだ。
「今日はどうしちゃったんだ?偶然にしちゃ、上手く行き過ぎてる」
芳吉が呟く前に、千代は一之助を追って、駆けだしていた。
「待って!」
「嫌だ!待たない!」
町方ってどうしてこんなに足が速いの?いつもより断然走りやすいとはいえ、天狗の生まれ変わりかと思わせるほど、一之助は足が速く、追いつけそうにない。
千代は足を絡まらないように懸命に動かしたが、一之助との距離は広がるばかりだ。そして、突然小道から飛び出した老婦人を避けようとして、千代は派手に転んだ。音を聞いて、一之助は止まり振り返るが、すぐに駆けよってこなかった。
「あらあら、ごめんなさい」
「痛い…」
「男の子が泣くんじゃありません」
初めて会ったくせに、しかも彼女が悪いのに、千代に婆は説教を垂れた。
「とっておきの時のためにとっておきなさい。女を口説くときとか」
私は女だもん。千代は痛みを堪えて、婆を見た。品の良い婆。婆はちり紙で砂を拭い、擦り剥いた足を見てくれた。
「唾でもつけときゃ直る。ほら、立って、まあ立派な小さむらいだこと」
一之助が恐る恐る近づいてきた。千代は婆を放っておいて、一之助に弁明する。
「違うの。ただの遊びよ。勘違いすることじゃないわ」
だけど、一之助は下唇を噛んだ。どうやら信じていないようだった。
「俺は千代に口付けするのに二年かかった。それなのに遊びだなんて…昔からやってたの?」
どっちが女かわからない。一之助は女々しく訴え、千代は彼を宥めるのに、言葉も選ぶ暇もなしに続けた。
「違うよ。アレはあなたが初めてだけど、口付けは叔父さんが初めて」
その一言で一之助は顔が奇妙に歪んだ。芳吉ならこう言えばすぐに納得するのに、一之助は左目から涙が一粒流れた。婆が口をはさむ。
「男が泣くもんじゃない。女を…」
「今がその時なんだ!」
うるさいと言わんばかりに怒鳴る一之助に婆はフン!鼻息を音を立ててした。
「一之助さま、私たちがこんな言い争いしてる場合じゃないんですよ」
「こんなこと!?」
千代はだんだん面倒臭くなってきた。女のように泣きごとを言う一之助を黙らせるために、千代は芳吉と同じことをした。唇を覆い、それも寝る前にするような、舌も入れるようなやつ。婆はもとより群衆たちは、この淫売侍を見て、最近の者たちはとため息をつくに違いない。
「……ン」
腰に手を回してお尻を何回か叩いた。ちなみに声を出したのは一之助だった。
「その叔父さんって話、本当?」
「まあ、今度聞いてみて」
一之助は落ち着きを取り戻し、頬を染めた。嫉妬するのは見苦しいという風潮があったからかもしれない。
「ちょっと、あなた、よく顔をみせてごらんなさい」
今度はなに?婆が千代の顎を力強く掴み、振り向かせる。千代が痛みに顔を顰めていると、婆は眉間を寄せて呻った。
「あらあ、似ているわ」
一話ごとの長さがバラバラですみません。
最初は7千字くらいで一話、全十話くらいを予定していたのですが、携帯からみたら長くて見にくかったので分割した結果です…
あと残り五話ほどです。よろしくお願いします!




