CHAPTER 14
おみよはぐずらなかった。頷いて、涙を流していたが、了承したようだった。彼女を家に送る道すがら、昔のことを話した。誰にも話したことがなかったことも。おみよは父親から聞いていることもあったが、知らないこともあったようだ。
とても話しきれる長さではなかったが、噛み砕き話した。包み隠さずとは言えないが、随分と話した方だと思う。
又三郎はどちらに言ったの分からないが、小さな声で謝っていた。
「すまない」
親子に別れを告げて、集会へ向かおうとすると、一之助を見かけた。おぼろげにしか知らなかったのに、すぐ一之助だと気が付いたのは、相手が惣右衛門から視線を逸らして逃げようとしたからだ。
「もしかして、一之助さまですか?」
話しかけてしまったが、彼も惣右衛門が怒っていることに気が付いたよう。こころなしかぎこちない動きで、返事をした。
「ええ」
惣右衛門は実際とても腹が立っている。勝手に人の娘に手を付けて、挨拶にも来ない。そう認識すると、さらに腹が立った。
一之助が来ても何かと理由を付けて逃げ回っていた惣右衛門が悪いのだが、自分のことは棚に上げた。
「一之助さま、今、ちょっとお暇はありますか?」
大方、千代に探索を頼まれて、惣右衛門を付けていたのだろう。今月の月番は北町だし、一之助はまだ見習いだった。
「…ええ、まあ」
「あの、こんなことお願いするのもどうかと思いますが……殴っても?」
こんな笑顔作ったのは久しぶりだ。口角がきゅっと上がって、目尻に鳥の足のような皺が深くできるような笑顔だ。不自然過ぎる。
「え?」
同心に手をあげたとなっては、惣右衛門もただでは済まないだろうが、そんなことどうでもよかった。惣右衛門は彼が戸惑っている隙に、一之助の整った顔を張り倒していた。
「人の娘に手えつけやがって!ただじゃあすまねえぞッ」
驚いた人達が慌てて惣右衛門を止めに入ったが、無駄なようだった。騒ぎを聞き付けた人達が、定町廻りの同心たちを連れてきて、惣右衛門は自身番に連れてかれた。
一之助が理由を説明していたが、自身番にいた北町の同心は見習いの話なんてきいていないようだ。袖の下でも渡せば、一之助が誤解だと訴えているのだから、解放してくれるはずだった。だけど、惣右衛門の態度が悪いことが災いした。何が気に食わないのか、一之助を無視して、柱に括りつけられている。
「だから、違うんです!その人は誤解していて、悪くないんですってば」
「だけど、そうはいかねえよ。お前、ぶん殴られてんじゃねえか」
「ちょっと、手がぶつかっただけじゃないですか!」
「その男前が腫れあがっている。血も出てるぞ」
一之助も必死だった。未来の父を罪人にするわけにはいかないと思っているのだろう。惣右衛門はその様子をぼんやりと眺めていた。
そこへ極悪人面の岡っ引きと、八丁堀結いの男性が自身番に入って来た。一之助がはっとして、助けを求めた。
「父上!」
「なにやってんだ。お前がしょっ引かれたって、教えに来てくれた人がいるぞ」
「そんなことより、惣右衛門さんが…」
「守口さんか。この大店の旦那が、息子さんをぶん殴っていたよ」
守口は差配や同心たちを見まわして、その息子とずいぶん違う顔を惣右衛門にも向けた。
「“親子”喧嘩だよ。よくあることでしょう。別に罪人扱いすることでもない」
何を言っているのだという顔をした北町の同心たちに、守口はごつごつした顔を精一杯ゆるめた。岩が笑ったようだと惣右衛門は思った。失礼だが。
「一之助の未来の父親です。丁重にほどいて差し上げないと、ほら、一之助!」
お尻を叩かれた一之助が慌てて、縄に手をかけた。どうやら、相手方では千代はもう嫁になることに決まっているらしい。
程なくして、惣右衛門は解放された。守口の親のほうは、息子が勝手なことをしたと、頭を下げた。
「でも、この子は本当に千代さんのことが好きなんです。毎晩うなされるほど。それに、三年、三年ですよ。遊びたい盛りなのに、他の女に目もくれず、三年も我慢していた。あんたはその容姿だし、初めて抱いた女なんて忘れちまってるだろうけど、うちの息子は違う」
「父さん!」
惣右衛門も何か言おうとしたが、言葉に出来なかった。口元が引きつる。
一之助は父親の意外と滑らかに動く口に驚いている。もともと無口で陰険な男だが、乙女なところもあった。先ほどは気が付かなかったが、どうしたって八丁堀の組屋敷からだとすると、到着が早いような気がする。
「…千代も好きなようです」
やっとそれだけ言い終わると、父守口はそうでしょう、そうでしょうと頷く。
「我が息子は、親が言うのもなんだけど、この通りの美男です。千代さんと歩いていても遜色しないでしょう?」
「はあ」
惣右衛門はどんな時も口が達者だったはずだが、この時ばかりは声がでなかった。
「ここは、親の私たちが認めて、信じてやるべきでは?」
一之助はぎょっととして父親の顔を見ている。この様子だと、今まで散々ケチ付けてきたのだろう。
惣右衛門は項垂れた。ここが観念する時なのだと悟ったからだ。先ほどの相談事は一つ、削らなくてはならない。
「少し、時間をください」
まず、娘の問題よりも、自分たちの問題をなんとかしなければいけなかった。里香とも話し合わなければいけない。そういえば、彼女は千代の結婚についてなんて言っていただろう。
***
「嘘でしょう?叔父さまに、こんな綺麗な方、不釣り合いよ!」
娘一人でもだいぶうるさいと思っていたが、三人なると手が付けられない。意地で徳次郎の家に付いてきてしまったものの、里香はすぐに感傷を吹き飛ばすような、三人姉妹のおしゃべりに後悔し始めていた。正直、舐めていた。物凄い破壊力だった。
「だから!違うんだって…すいません」
「い、いえ」
上から春、夏、秋と名付けられた姉妹は、上の子から十八、十六、十四と二つずつ年が違う。恭太郎にあまり似ていなくて、奥方に似たのだろうか、なかなか三人とも可愛い顔をしている。
「里香さんはお疲れだから、うるさくするんじゃない!」
「まあ、叔父さまの大声のほうが疲れるわ。里香さんと仰るのですか?」
「お茶は飲みますか?」
「あ、ありがとうございます」
「叔父さまとは、いったいどういう関係なんです?」
いちいち返事をして、合間にお茶菓子を用意する徳次郎は流石というべきだった。武家の子も変わってきたよう。里香も一つ一つの質問に答えようとしたが、駄目だった。
「叔父さまって、根暗でしょ?だから、当主になった時も、結婚できるのに女性を連れてこなかったんです」
「まあ」
「私たちに遠慮したんでしょうけど、私たちとしては叔父さまに早く結婚して欲しいんです」
「あー!もしかして、里香さんって、叔父さまの書いた最初の話の人に似てる?それは出版されなかったんですけど…」
もう誰が何を喋ったのかわからない。里香は子供は千代だけでよかったと胸をなでおろした。こんな姉妹が家にいたらさぞかし賑やかでうるさいだろう。
「さ、俺のことを心配してくれるなら、自室に退室してくださると助かるんですが」
徳次郎は三人のお姫様たちを追い出すべく、障子を開けた。三姫たちはぶーとかえーとか言いながら出て行った。
「すみません」
「い、いえ、賑やかで楽しそうですわ」
徳次郎の家は相も変わらずあった。かつての里香の家には別の武家が住んでいた。庭の畑は庭師がはさみを入れるような園庭に変わっていた。金持ちなのだろうか。
徳次郎は現在無役で、時々くる本の出版で家計をやりくりしているらしい。婿に取る男は有能だといいと、ぼやいた。
「武家も楽ではありませんねえ」
「そうなんですよ。とにかく、婿を一人貰って、あとの二人をどうにか嫁に出さないと」
娘も三人いると感慨に耽る暇もない。娘が好きな男が出来たと言って不貞腐れる惣弥とは大違いだった。
「寂しくなりませんか?」
「そうでしょうねえ。殆ど娘みたいなものですから。それに、花嫁姿を兄が見られなかったのは残念ですが、その分父親面して花嫁の隣に座れます」
千代の花嫁姿を想像した。自分の後を付いて回って来た小さな子が、いつの間にか大きくなり、当たり前のように好きな人と結婚する。どの親も経験することだろう。だけど、里香には信じられなかった。信じ硬い、特別なことに感じる。それは、里香が千代の母親だからだ。
「千代ちゃん、花嫁姿がきれいでしょうね」
「私はまだ、寂しいです。だって、あの子、どんどん私から離れて行ってしまって…最近は小さいころをよく思い出します。ずいぶんと年月がたってしまったわ、私も年を取るはずですね」
「そうですね。私も、つい昨日まで少年だった気がします。…でも、里香さんは年をとってもお綺麗です。ご亭主がやきもちを焼かれるのも分かります」
「まあ、そんなふうに褒められても困ってしまいます」
徳次郎は里香のことを綺麗だと言ってくれる。だが、確実に白髪は増え、はだにはシミやしわが増えた。朝、おきたてに鏡を見て、誰が映っているのか分からなくなるほどに、年をとってしまった。過ぎ去った若さは、本当にあったものかと疑ってしまう。あったのだったら、なんて短い期間だったのだろう。
「あの、それで、どういたしますか?」
徳次郎は少しのおしゃべりの後に、本題を切りだしてきた。
そうだ。里香は惣弥から逃げてきたのだ。ただ、里香は母親の義務から、千代のほうを先に片付けてしまわなければと頭が働く。自分たちのほうは、後回しでもいい。かりそめの夫婦でも、千代が巣立つ前までは、いたほうがいいだろう。
「千代が、好き合っている方がいるようなんです。そのことでもめていたのに、私たちのほうに問題がで
てきてしまって、ややこしいことになっているんです。先に、千代のほうをなんとかしなければ…相手方さえよければ、私はその結婚に賛成したいと思っているんです」
「そうだったんですか。それで、千代さんの相手というのは?」
里香は手短に説明した。町方同心だというと、ちょっと複雑そうな顔をして、一人娘を嫁に出すことにも難色を示した。
「ご主人は、千代さんに跡を継いで欲しいと思われているのではありませんか?赤の他人よりは」
「そうだと思います。でも、私たちは、心底反対はできないんですよ。説得することは出来ても…私たちも親を振り切って一緒になってますから」
里香の母なんて、里香が惣弥と会うようになって、目くじら立てて怒った。惣弥の義母も、家のためにこんな無愛想な武家女は止めろと反対したらしい。
それに、と里香は思い出して笑いそうになる。母は惣弥が庶子であることを知って、彼に向って塩を投げかけていた。幽霊じゃないんだから。
「出て行け!」
その後に続くのは、とても口に出来ないような罵詈雑言たちだった。よくめげなかったものだ。二人とも若く、体力も気力も、彼女たちよりあったから、争って反抗もできた。
「それは、反対されるでしょう」
「ええ。母なんて、私のことを『淫売の恥知らず』って終始罵っていました」
「そ、それは」
まだいい方だ。その後には必ず、「ご先祖様に申し訳が立たない」と父の位牌に手を合わせていた。世が世なら、里香は姫様なのだ。母は商人なんかに嫁がせたら末代までの恥だと、なかなか結婚に賛成しなかった。
「私たちが末代じゃないの」
里香は母に反駁して、逆鱗に触れた。怒った母は手が付けられない。匕首を振り回しながら怒り狂う姿は修羅だった。千代は、里香のことも武家育ちの怖い母と思っているだろうが、自分なんてまだまだ甘い。千代が謝ったらすぐ許してしまう。母は決して許さなかった。
最終的に母が許ざる負えなかった。惣弥の義母が箱根に蟄居なさって、家に上げられたからだ。半ば強引だったが、母は次第に商家に馴れていった。なんせ大内家より生活が豊かであり、惣弥は優しくよく気が付いた。男の顔に騙されないややこしい母は、惣弥が顔だけの男ではないと、次第に態度を軟化させていった。最後には二人は和解して、母は温かい布団で死んでいった。今、母は父の隣、谷中の墓で一緒に眠っている。
「千代のことが決まらないと、なかなか…今日一晩頭を冷やして、明日話し合いに行こうと思います」
彼には悪いことをした。感情が先走って、利用するようになってしまった。徳次郎の好意に甘え過ぎた。
「里香さん…」
「子供のことです。それなら夫も口を利くはずです」
じっと視線を注がれ、里香は思わず顔を逸らした。
「もし、千代ちゃんのことが済んだら、どうなさるつもりですか?」
「わかりません」
本当にわからない。里香には持参金もなにもなく、惣弥と離縁した後を、思い描くことができなかった。私はどうなるのだろう。身一つで。
徳次郎は里香のことをお見通しのよう。彼の口から出てきた言葉は、いつも丁寧で優しさに満ちている。里香はそれが好きだ。
「話が早急すぎると仰らないでください。私は、あなたのことが好きです。あなたが、自由になりたいのなら、私は協力を惜しみません。でも、私には下心がある」
身を切るような告白に、里香ははっとなった。自分は宙ぶらりんな態度で、全力の彼に寄りかかっていた。失礼で、恥ずべき行為だった。でも、その好意に甘えたい。嬉しかったのだ。
「ありがとうございます。でも、私には時間が必要です。考える少しの時間が…」
少し、休みたい。誰だってそんな日があるでしょ?甘えていると分かっても、止められない時が。頭がガンガンと鳴り響いた。




