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CHAPTER 13

 芳吉は仕事の合間を縫って、千代の頬を手ぬぐいで拭った。縁側に腰掛けて、千代の肩を抱いた。傍目から見れば、男女の仲を疑う人もいる。もうお嫁に行ってしまったけど、香織ちゃんという友達も芳吉との仲を茶化してきたほどだ。が、芳吉とは友達だった。兄弟とか同志に近かった。


「お母さん、このまま帰ってこなかったらどうしよう」

「お嬢さんを置いて、どこもいきませんよ」

「でも、お父さんとお母さんが離縁しちゃったら…」


 芳吉は千代の顔をのぞきこんだ。よく見れば整っている芳吉の顔は、随分と見慣れているはずなのに、はじめてみたように新しい発見があった。つまり、芳吉の少し大きめの鉤鼻は、欠点ではなく、長所なのだ。小作りな顔の造作と相まって不均等の美しさを醸し出していた。


「でも、お嬢さんのご両親であることに変わりはないでしょ?」

「二人は夫婦ではなくなるのに…私、二人の仲が終わってしまうということが、悲しい。自分のお母さんを好きじゃないお父さんの家に生まれた子は不幸だわ。お話の最後は、二人は末永く幸せに暮らしました、じゃなないと」

「お嬢さんの両親であることには変わりないけど、旦那さんもお内儀さんも、人間なんです。いつか、ほころびが見つかってしまうかもしれない。乗り越えられるかもしれないけど、駄目かもしれないんです。けれど、二人がした決断に、俺たちが何を言っても駄目だ。お嬢さんは、我慢し続ける旦那さんやお内儀さんを見たいですか?」


 千代は首を振った。もし、お母さんが悩んで泣いているのなら、我が事のように辛い。自分が悩むより辛いのだ。


「いいえ、私は二人に笑っていて欲しい。楽しんでいて欲しい。一緒だったら一番良いけど、別々でもまた笑っていられるならその選択に肯きたい」


 千代の背中を芳吉が軽く叩いた。杞憂であることを願いましょう、芳吉はそう言って千代を励ました。


 外が騒がしい。芳吉が、見てきますと、腰を浮かせた時だった。


「お嬢さん…あの、お嬢さんの知り合いだという、八丁堀の旦那と岡っ引きが」


 彦兵衛は冷や汗を浮かべているのだが、千代は姓を聞いて、飛び出した。


「守口さま?」

「あんたが千代さんか」


 一之助と似ていないが、彼の父親だった。彦兵衛は同心の表情が崩れたので、ほっと胸をなでおろしていた。なにか面倒なことに巻き込まれて、お調べ受けたり強請られるとでも思っていたのだろう。

 隣には極悪人面の善吉もいた。名前が善吉なのに、千代は善吉の顔を見るたび笑ってしまう。


「あの、今、父は不在でして…」

「いや、こっちもあんたに用があってね。一之助が家であんまりにうるさいものだから、そのくせちっとも紹介しない。それで、迷惑だろうけど、直接会いに来てみたんだ」

「そんな、迷惑だなんてとんでもない。店先ではなんですので、おあがりください」


 えー!一之助さまったら、家で私のこと、何て言ってるの?千代は一之助の父親を、客間に上げた。緊張してお茶を入れる手が震える。


「お嬢さん、俺が淹れるから!」


 見かねた芳吉が濃すぎるお茶を出そうとした千代を止めた。守口は笑いを噛みしめてる。お茶菓子は先ほどの高級過ぎるお菓子しかない。


「なんというか、一之助が面倒を見たくなるのも分かる気がする」

「旦那にそっくりですよ。あ、顔じゃなく」

「そんな馬鹿な」


 守口は善吉に絶句していたが、本当のところそうなのだ。一之助が面倒見がよくなったのも、この父親が家のことが全くできないからだった。掃除も料理も、母親が死んでからは一之助や、飯炊きの佐助がやってきた。


「でもどうして許す気になったんです?」

「町方と繋がりを持てば見廻りへの心象もよくなる…」


 そこへ千代がおっかなびっくりお茶を運んだ。どうやら善吉との会話は聞かれていないようだ。


「お待たせしました」


 ガチャガチャと湯のみを音立てながら、千代はなんとか未来の父にお茶を出した。


「すいません。濃い目になってしまいました…」

「いや、いや」


 守口は終始笑顔で、千代に二、三質問した。


「それで、ご両親は了承しているのかえ?」


 それは痛い質問だ。千代は正直に伝えることにした。守口は千代の話を我慢強く聞いてくれる。職業柄、人の話を聞くのは得意なようなようだ。


「人様に家の事情を話すのは情けないのですが、今、取り込んでるんです」


 母は出て行ってしまったし、父も出かけて行った。思い出すと涙が出てきそう。


「それで、千代さんは、うちの息子と結婚したいかい?」


 千代は顔を上げた。家のことは関係ないと、守口は言った。


「一之助は家であんたのことばっかりだ。あれには弟が二人いるのだが、どちらもいい迷惑している。今日は千代から手紙が着ただの、なんかそんなことばかり」


 千代は顔を赤くした。千代はなかなか家でそんな風に一之助のことを両親に話せなかったが、一之助は話してくれていたのだ。


「……はい」

「好きでたまらない?」

「はい」


 守口は満足したようだ。なんで一之助が好きなのかわからない。迷子だった時、助けてくれたから、それだけじゃないよ。一之助さまは、すごく優しい。千代の話を聞いてくれるだけじゃない。内からにじみ出てくるような、優しさがある。時には、その優しさが千代以外の大衆に向いてしまうだろう。でも、かまわない。だけど、みんな優しさを振りまいた後、自分にくれればいい。自分にだけ優しさを求めない。

 三歩下がって歩くことは千代にはできない。馬に乗る早さで飛び回る千代に、一之助は振り回されるかもしれない。疲れてしまうかもしれない。その都度、彼を探そう。

 私はあなたのことが好き。あなたは私のものよ、私があなたのもののように。


 千代が深く頷いた。それを待っていたように、寛太が咳を切って、部屋の障子を開けた。思わず、注意しようとした芳吉を押しのけて、寛太は口を開けた。


「た、大変です!旦那さまが…」




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