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CHAPTER 11


 千代と出会ったのは三年前、一之助が見習いとして上がってすぐだった。お嬢さんなのにお伴のものも連れずに歩いていたから、不審に思って声をかけたのが初めだ。

 だが、その前に驚いたのは、彼女が夢に出てきた飼い猫のひめ子と同じ着物をきていたからだ。

 ひめ子は一之助が幼いころから大切にしてきた猫で、一年前に大往生してこの世を去った。そのひめ子が一之助の夢につい先日彼女と同じ椿の柄の着物を着て出てきたのだった。ひめ子は足に下駄を履き、立ち上がって一之助に話しかけてきた。


「まあ坊ちゃま、お元気そうで。ひめ子が居なくてもしっかりやってらっしゃるようですねえ。また北町与力の息子に女男っていじめられてませんか?」

「ひめ子!」

「そうでございますよ、ひめ子です。坊ちゃま」

「ひめ子、会いにきてくれたんだ…なんでもっと早く来てくれなかったんだ?寂しかったのに」


 ひめ子は人間の婦人がするように、口に手を当てて笑った。ひめ子は武家風の話し方で、二人目の弟を生んで死んだ母よりずっと武士の内儀らしい。


「それに着物まで、下駄も履いてるじゃないか」

「そりゃ坊ちゃま、尻尾が裂ければ着物も着るし下駄も履きますよ」


 そういって振り回す尻尾は確かに二つあった。あれ、ひめ子尻尾は一つじゃなかった?でもそんな些細なことどうでもよかった。またひめ子と会えるなんて。


「うれしい。ひめ子とまた会って話ができるなんて」

「お庭に立派なお墓ありがとうございます。ひめ子の自慢でございますのよ」

「気に入ってくれた?」

「ええ。とても」

「よかった!そのあいつも手伝ってくれたんだよ、なんだかんだ言って」

「まあ、そうだったんですか。是非とも厚くお礼申し上げてくださいね」

「うん。いいやつだよ」

「じゃあ坊ちゃま。ひめ子は坊ちゃまの様子を伺えただけで満足です。この辺でお暇します」

「え、もっと話たいことがあるよ!もう会えないの?」

「まあ坊ちゃま。そんな風にひめ子を困らせないで下さいまし」


 ひめ子は緑金色の瞳を真っ直ぐ一之助にむけている。なんてきれいなんだろう。彼女のほっそりとした頬は気品を匂わせている。ひめ子は美しい猫だった。


「坊ちゃまはこれから町中でひめ子に生き写しのネコたちを見ますわ。その時は是非ともよしなに」

「うん。大事にするよ」

「ありがとうございます。坊ちゃま、ひめ子はもう行きますけど、坊ちゃまには素敵な奥さまやお子さまに恵まれますわ。お好き合った方とご一緒におなりなさい」

「ひめ子、俺」

「さあ、お別れは笑顔でしましょう」

「うん。ひめ子、じゃあ、元気でね」

「ええ、坊ちゃまも」


 ひめ子のゴロゴロと喉を鳴らす音が響くなか、彼女自身はひらりと身をかわし暗闇に紛れた。一之助が目覚めるまで、その喉を鳴らす音は続いた。一緒に日向ぼっこしていた時、ひめ子がよくしていたような、満足そうなゴロゴロだ。


 その後に会った北町与力の次男坊の主馬は、養子先が決まったり、婚約者が美人だったり、父が下手人の無罪を証明して褒美をもらったり、めでたいことが続いたそうだ。本人も奇妙がっていたが、一之助はこっそりと笑みをもらした。ひめ子だ。


 そんな夢を見た後で、数日経つと同じ着物だったか定かではなくなってきたが、千代に会ったのだ。一目惚れだったのかもしれない。

 新品の着物を着て、かんざしも高価そうなものだったから、一人で歩いていたら人攫いにも会ってしまうだろう。一之助はたまらなくなって自分と年の変わらない女の子に声をかけた。

 一之助の声に彼女はちょこんと首を傾げた。そうして、自分のお伴がいなくなっていることに初めて気が付いたように、声を上げた。


「いない」

「そのようだね」

「どうしよう、お父さんに怒られちゃう」


 一之助が苦笑して、送っていこうと提案した。彼女は頬を染めながら、差し出された手を取った。その頃、友達との間で流行ったのが、前髪を落としたてのふりをして婦女子の手を握るという遊びだった。一人の童顔の友人はよく女性を騙せていた。一之助も彼に次いで女性の手を多く握ったが、どちらかというと彼女たちから進んで体をくっつけてくる。

 道すがら、一之助は彼女に名前を訊ね、彼女が千代という名前で、お伴の女中と散歩していたところはぐれてしまったということは分かった。千代は色白で可愛くて、一之助は繋いでいる手だけ汗をかかないように気を付けた。彼女の手は本当に同じ人間かと思うほど華奢で繊細な手だった。指なんて一之助の半分くらいしか太さがないのである。

 千代の日課は地図の作成だという。変わった趣味だが、見せてもらうと売っている地図と見劣りしない出来だった。


「凄いな」

「あ、ありがとうございます。そんなふうに言ってもらえるのは初めてです」


 顔を真っ赤にして照れる彼女は可愛かった。たぶん、箱入り娘なんだ。

 京橋付近を北上していくと、小さな生まれたばかりの子猫が、二人の辺りを纏わりついてきた。生まれて一カ月くらいか?

 一之助はその猫を抱き上げた。


「かわいい」

「汚れているけど、白と黒だなあ。親猫はどうしたんだ?」


 ひめ子と同じブチ猫だ。千代は着物が汚れるのもかまわずに、子猫を一之助から受け取り抱きしめた。


「可哀想に、はぐれちゃったのかしら?」

「困ったな」


 子猫は千代に甘えるように顔を埋める。


「でも、一之助さまは猫にも優しいんですね」

「家訓で、動物は大事しろって言われてて」


 千代がうっとりとして一之助を見上げた。既に猫が四匹も家にいるから、と千代は言った。


「連れて帰ってしまいます」

「怒られない?」

「四匹も五匹も変わりません」

「じゃあ、いこうか。どれ、ネコは俺が抱っこするよ」


 千代は一之助に子猫を返した。少し暑いし、着物も汚れるのだが、一之助は構わず子猫を懐に入れた。こうしていれば子猫は疲れないだろう。

 夏の日差しが近づく中、千代の肌は白く反射していた。黒目がちの目の中に、自分の姿が映っている。目が会うと、自然と微笑み合った。

 もしかしたら、ひめ子が出会わせてくれたのかもしれない。今となっては、果たして着物の柄が椿だったのか、おぼろげにしか思い出せない。だけど、千代と会う回数を増していけば、ずっと好きになった。

 彼女のどこが好きか聞かれてもわからない。というかもう全てが完璧。彼女の笑顔、お菓子をつまむ口や、父親譲りの鼻。彼女は底の厚いお洒落下駄を履くから、あまり背の高くない一之助より若干高くなる。

 彼女の鼻緒が切れれば、跪いて見た。市中の男たちがするように。武士がするもんじゃないと注意されたが、気にしなかった。武士だって姫様には額ずくだろ。千代は一之助にとってお姫様だった。自分だけのお姫様だ。

 特別、彼女がわがままだとは思わないが、従がってしまいたくなる雰囲気を持っていた。一之助が尽くすのが嫌いじゃないからかもしれない。女性に三歩下がっていて欲しいと思う男は、彼女に寄りつかないだろう。

 というか、一之助は尽くすほうが好きなのだ。千代は一之助に優しい命令を矢継ぎ早に出してくれるし、それらをこなしていくことに無上の喜びを感じられる。案外、乱世に生まれていても美しい姫がいたら生き延びられるのではないかと錯覚してしまいそうなほど。そして、千代は自分が命令していることに気が付いてない。


 だが、その一之助にも恋敵はいた。手代の芳吉だった。加斗屋の親戚筋の男で、本人たちは気が付いていないが、その距離は一之助からはハラハラするものだ。お前仕事はどうした、と言いたくなる程、いっつも千代といるし、二人は同い年だった。ガキの寛太と違って、芳吉は一之助にとって頭が痛くなる存在だ。父親の惣右衛門は、将来家に帰ってしまう芳吉に千代はやらないと思うが、それは一之助に対しても同じだった。

 それに芳吉は剣術が強かった。一度、千代と歩いている時、旗本奴のようなやつらに絡まれたら、芳吉が飛んできた。一之助はどちらかというと剣術は得意ではなかったし、十手の出し方の練習しかしてこなかったから、内心、まずいなーこれ、と背中に汗が伝っていた。芳吉はその両人の中に無遠慮に入ってきて、相手に微笑みかける。


「うちのお嬢さんになにか」

「げっ、芳吉の知り合いかよ」


 旗本奴は芳吉と同じ道場に通っているらしく、一言二言、言葉を投げかけて、逃げて行った。芳吉はそのなんとか流の道場の新星で、どうして町人に生まれてきたんだと師範に悔やまれたほどの腕前らしい。養子に来ないかとも誘われたと、千代から聞いたのだが、人はみかけによらない。おっとりとしていて、いかにも商人の息子のように愛想がいいのに。時代が下るにしたがって、貧困にあえぐ武士たちが、金が払えないと店先で刀を振り回すことが多くなっていった。商家もそれではたまらないと、子供たちや店の者に剣術や柔術を習わせた。おかげで芳吉みたいなのが出てくる。

 そうなると、一之助の出る幕がない。よく見ると芳吉だって顔は悪くないし、頭も回る。よく二人が恋仲にならなかったものだ。一之助は何度も、何度も、千代と芳吉の恋物語が夢に出てきて、うなされた。一人娘と奉公人に恋なんて、腐るほどあったからだ。

 夢の中で千代は芳吉の胸に縋って、お願いだから私を連れて行ってと懇願する。芳吉も心に秘めていた想いを吐露する。このままでは二人は駆け落ちしてしまう。一之助は意地悪な同心の役なのだ。両家は二人の思いと覚悟を知り、晴れて二人は夫婦となる。一之助はいつもそこで悲鳴を上げた。


「う、うわぁああッ!!」

「一之助!うるさいッ」


 よく考えれば千代と芳吉の性格上、駆け落ちとか心中とかは考えられないのに、一之助の妄想は日々過激になっていった。そして嫉妬に胸がかきむしられるようだった。上の弟はそんな兄を冷めた目で見てくるし、散々だった。

 この間はついに二人に子供が生まれた。父がついに発狂したのかと、夜中に水をぶっ掛けに来た。翌日には収まったが、その不安は千代と肌を合わせるまで続いた。



 夜中に水をかけにきた父親がなにかよからぬこと、いつまでも千代を紹介しない一之助に焦れて、自ら会いに行こうとたくらんでいることを一之助は気が付くことができなかった。



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