67.バニラエクストラクト
「――うえっ」
「大丈夫!? やっぱりそのままはきつかった?」
「ユーナ様はちゃんと止めていましたからね」
クライスはカップに入れた生卵――白身をちょっとだけ口に含んでから、顔をしかめつつ一気に飲んだ。
その後に、吐き出しそうになったのか、堪えて口を押さえ、どうにか飲み込んだみたい。
やっぱり食いしん坊クライスでも生卵を飲むのはきつかったか。
イケメンらしくない声が出てたもんね。
一応吐き出してもいいようにハンカチを差し出す。
ポンちゃんはきつい口調で言いながらも、クライスのチャイが入ったカップを渡した。
怒っているようでいて、優しいね。
クライスはポンちゃんからカップを受け取ってチャイを一口飲むと、私の差し出したハンカチは断るようにカップを持っていない方の手を横に振った。
大丈夫か心配したけれど、チャイを飲んだことで落ち着いたみたい。
「ありがとう、ユーナ。ポン太も助かった。想像とは違って、いや、想像通りと言うべきか……あまり生で食べるものではない気がするが……」
「うん、普通は生でそのままはいかないからね」
「だから、ユーナ様は止めていましたよね?」
クライスの感想には、大いに同意して頷いた。
ポンちゃんはさらに念を押すように言うから、ちょっとおかしい。
嗜好はそれぞれなんだけど、本当の生卵はたいてい拒否する人が多いんじゃないかな。
うどんとかに生卵を追加した場合に、熱で固まった部分以外の生の白身は、ぬるっと口に入ってくると、ちょっとだけ「うっ」ってなるからね。
それが好きっていう人もいるけど、私は苦手。
だがしかし!
生卵マジック!
「クライスが身をもって、生卵だけだとどんな味や食感になるかは試してくれたってことで、ここからは生卵の真価を見せてあげましょう」
少しおどけて居丈高に言いながら、私も収納魔法から旅の途中で仕入れた卵を取り出す。
こちらも保存魔法で新鮮なまま。
ポンちゃんはこれから手品でも始まるかのように、わくわくした様子で私と卵を交互に見ている。
そこまで純粋に信じてもらえるんだから、その信頼は絶対に裏切らないようにしよう。――ただし、食べ物の好き嫌いに関してはどうしようもない。
ミルクセーキがポンちゃんのお口に合いますように。
クライスは懲りもせずに期待に満ちた表情になっていて、それはそれでどうかと思ってしまう。
好奇心は猫をも殺す、っていう言葉があるけれど、クライスはいつか食に対する好奇心で危険な目に遭うんじゃないかな。
死因:食中毒、なんてことにならないようにしてほしい。
「これから作るのはミルクセーキと言って、牛乳と生卵、砂糖を少しと、香りづけに……バニラエクストラクトというものを入れます」
「みるくせーき?」
「ばにらえくすとらくと?」
二人同時に初めて聞く言葉に首を傾げていて可愛い。――クライスはイケメンなうえに可愛いとか、反則だよね。
まあ、それは置いておいて。
バニラエクストラクトは、バニラの種――バニラビーンズをウォッカやラム酒に漬けたもので、使い方はバニラエッセンスとほぼ変わらない。
穀物が原料の蒸留酒であるウォッカはこの世界にもあるから、あとはあの植物の種がバニラビーンズであればいいんだけど。
細長いさやに縦長に切り込みを入れていたから、少しだけビーンズがさやから出てウォッカに混じっているけれど問題はない。
「あ! それ、森の中で見つけた植物の種ですね! 白い花からもすごくいい匂いがしていました~」
「うん、そうだよ」
収納魔法から小さな小瓶に入れたバニラエクストラクト……だったらいいなと期待を込めたものを取り出すと、ポンちゃんも思い出したらしい。
嬉しそうな声に頷いて答えると、ポンちゃんはちょっとだけ心配そうに眉を寄せる。
「確か、あの種をにが~いお酒に漬けていましたけど、完成したんですか? 透明だったお酒が茶色くなっていますけど……」
「一年近く熟成させていたから、バニラビーンズの成分と混じって変色したんだよ。たぶん上手くできているとは思うけれど、念のためにこれは後で入れるね」
ポンちゃんの心配はもっともだけれど、透明なお酒も異物が入ったり、時間が経つと変色するものだからね。
バニラビーンズもどきが食べても大丈夫なのは、ウォッカに漬ける前に確認しているから、そこは心配ない。
ただ、念のために日本とは違う化学反応のようなものが起こって有毒化していないかだけは確認。
うん、やっぱり大丈夫。
改めて安全性を確認してから、さらに取り出したのは、とある骨董市で手に入れた大きなジョッキ。
女性や子どもは片手で持つのは大変なくらいの大きさなんだけど、つい買ってしまったのは、生ビールをいつか飲みたかったから。
それがまさか、ジューサー代わりに使うことになるとは。
興味津々の二人を前にして、念のためにジョッキを浄化魔法で洗浄して牛乳をカップ一杯弱入れ、それから卵を割り入れようとして、まだ細菌検査していないことを思い出した。
そうそう、危なかった。
街で手に入れたこの卵にも菌などが付着していないといいなと思いつつ、魔法で検査する。
「……あ」
「どうしました?」
「どうした?」
思わず声を出してしまったら、ポンちゃんとクライスがすぐに心配してくれる。
なんだか頼もしくて嬉しくて、へへっと照れ笑いのようなものが漏れてしまった。
「この卵、表面に菌が付着しているみたい」
「毒ってことですか?」
「触って大丈夫なのか?」
「うん、それは大丈夫。微量だし熱に弱い菌だから、しっかり加熱すればこの卵を食べるのに問題はないよ。だけど、やっぱり調理中や食事前の手洗いは必要だね」
「手洗いだけで大丈夫なのか?」
「まあ、たいていは」
「卵に毒がついているなんて……。ユーナ様がいつもご飯の前に手を洗うように言ってくれるのは、そのためなんですね?」
「卵に限らず、お腹を壊すような微毒の菌は、あちらこちらに付着しているからね。たいていは手洗いで洗い流せるし、口に入れても体調がいいときは問題にならないことも多いんだよ」
小さい子どもやお年寄りが食中毒で重症化しやすいのは、体力や免疫力が弱かったりするから。
体力のある大人だって、疲れていたりして免疫力が落ちていると、普段は大丈夫なくらいの微弱な菌にもあたることがある。
だから、食事前の手洗いは必要なんだよ。
ただ、この世界では一般的にお腹をちょっと壊すくらいはよくあることで、病気のうちに入らない。
だから、卵の殻にこれくらいの菌が付着していても問題にはならないんだろうな。
それでも、やっぱり念のために卵は加熱して食べるのが習慣化したんだと思う。――味の問題もあるだろうけど。
クライスが保存していた卵は、王城で育てられているニワトリが産んだから無菌だったのかも。
きっとニワトリも日本で出荷される卵ようにしっかり衛生管理されているんじゃないかな?
そして、街で手に入れたこの卵はそこまで管理されていないから、産卵時に菌が付着したか、そもそもニワトリの体内に菌がいるかなんだろう。
まあ、生卵文化を広めるつもりはないし、私たちが食べるときにだけ気をつけて殺菌するようにすればいいよね。
「この卵も殺菌を――無毒化すれば問題なく生で食べられるから、ここに入れます」
そう告げてぱぱっと魔法で殺菌して、殻を割ってジョッキに投入。
砂糖は大さじ一。
ジョッキの蓋代わりになる大きさの木皿を出して被せて、いよいよ攪拌開始!




