32.漁
朝早く、家族の皆さんが起きだした音が聞こえたけれど、忙しい時間に私たちが起きても迷惑だろうから私はそのまま横になって目をつぶっていた。
ポンちゃんも気配は感じているようだけど、危険はないとわかっているからか、そのまま寝ている。
やっぱり疲れてはいるもんね。
遠くには潮騒とは別の音――これから漁に出るために船の準備をしているのか、活気ある声も聞こえてくる。
荒っぽいけど高揚した嬉しそうな声から喜びが伝わってきて、私まで嬉しくなった。
久しぶりの漁だし、クラーケンに海を荒らされていないといいな。
ちょっと大変だけど、近海に意識を集中して危険生物がいないか探る。
うん。大丈夫そう。ひょっとして、クラーケンのせいでサメなどは縄張り争いに負けて逃げ出していたのかも。
それなりに生物の気配はあるし、大漁だといいな。
そう願っているうちに、また私は眠っていたみたい。
次に目が覚めたときには、すっかり太陽が昇っていた。
「おはよう、ポンちゃん」
「……おはようございます」
「いっぱい寝ちゃったね」
「……はい」
昨日、久しぶりに湯船につかってゆっくりできたからかも。
やっぱり次に目指すは温泉かな。
ベッドから出ると、浄化魔法で顔を洗って、服を着替える。
ポンちゃんも自分できちんと準備して、二人そろって部屋から出て台所へと向かった。
「おはようございます」
予想通り、台所にいた奥様お二人に声をかけると、ぱっと振り向いた。
その顔には晴れやかな笑顔が浮かんでいる。
「おはようございます!」
「おはようございます。よく眠れました? 明け方、少しうるさくしてしまったから、起こしてしまわないか心配だったのですが……」
「はい。楽しそうな声は聞こえて一度目は覚めましたが、すぐにまた寝てしまいました」
「ですです」
奥様方は挨拶を返してくれるだけじゃなくて、気遣ってもくれたけど、その声は弾んでいる。
やっぱり漁を再開できたことが嬉しいんだろうな。
下手に誤魔化すより、正直に伝えて気にならなかったというほうがいいかと思って答えると、ポンちゃんも可愛く同意した。
寝起きのポンちゃんはいつもおとなしくて、普段の元気いっぱいの姿とは違うから最初は心配したくらいなんだよね。
「朝食をすぐにご用意しますが、軽めにしておきますね。後ほど広場でクラーケン退治の祝宴が開かれますから」
「ええ、ええ。ぜひユーナ様にもポン君にも、この街本来の名物料理を食べていただきたいですもの。皆、それぞれ家庭の味があって、食べ比べるのも楽しいですから」
お二人の言葉に期待度爆上がり。
昨日のお料理でも十分に美味しかったのに、本来の名物料理だなんて!
ポンちゃんもすっかり目が覚めたようで、ぶんぶん振っているしっぽの幻が見える。
耳をすませば、広場の方からも港からもずいぶん賑わっている声が聞こえる。
どうやら船が帰ってきたのか、歓声も上がった。
「ああ、どうやら船が戻ってきたようですね」
ヤン爺さんの奥様も気づいたようで、目じりに優しいしわを寄せて言う。
ジャックさんの奥様は待ちきれないかのように、籠やら何やら手に持って私たちを見た。
「すみません、私は港まで鮮魚を受け取ってきますね! 朝食はお義母さんに任せますから!」
「はい、お気をつけて」
若奥様が飛び出すように家を出ていき、ヤン爺さんの奥様は困ったように笑っていたが、止めることがなかったので同じように喜んでいるんだと思う。
ただ、年齢的に港に向かうよりも、待つほうを選んだんだろうね。
もちろん、私たちの朝食の用意もしてくれるからだけど。
朝食はシンプルに卵料理と茹でた野菜、それに昨日のクラーケンを出汁にしたらしいミルクスープと焼き立てのパン。
朝に焼き立てのパンが食べられるだけで幸せだよね。
それなのにミルクスープに卵に野菜にって、かなり贅沢な朝食だよ。
「こんなにたくさん、ありがとうございます」
「おいしそうです~」
「先ほども言いましたけれど、これから広場で祝宴が始まりますからね。ご無理はなさらないでください」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
「はい。ボクたち食いしん坊ですから」
優しい奥様の言葉に私もポンちゃんも首を横に振って答えた。
だって、こんなに美味しそうなものを残すなんて無理に決まってる。
ポンちゃんの言う通り、私たちは食いしん坊だからね。
ご飯を残すなんて考えられないよ。……まあ、どうしてもってときは、必殺・真空パックで保存魔法だけど。
美味しい朝食の後は奥様に勧められて街の中を散策することにした。
昨日のクラーケン釣りのせいか、まだ疲れは少し残っているけど、こうしてのんびり観光するのも楽しいかも。
太陽に照らされた白い壁の建物が並ぶベイカの街は、地中海地方の雰囲気が漂っていて楽しい。
ブラック企業で働いているときに、何度も仕事辞めて旅行に行きたいって思ってたんだよね。
それで、取引先の訪問帰りに旅行代理店の店先に並べられたパンフレットを持って帰っては、家で見ることもせずに気がつけば燃えるゴミにしてしまっていた。
「風がしょっぱいですねえ~」
「そうだね。こういうのを潮風って言うんだよ」
「しおかぜ?」
「うん。海の水には塩が混じっていて、しょっぱいのはわかった?」
「はい。昨日、クラーケンが暴れたときに、いっぱい海の水がかかりましたから。べたべたして気持ち悪かったですよね」
「そうだよね。お風呂に入って、とってもさっぱりしたね。それで……そうそう。海の上を渡る風は海水も巻き上げるから塩が――塩分が含まれて、風まで塩分が混じってしょっぱく感じるんだよ」
「なるほど~」
ポンちゃんに説明しながらも、私も完全に理解しているわけじゃないから、上手く伝えられたかわからない。
だけどまあ、何となくでいいんだよね。それが情緒。……違うか。
高台にあったヤク爺さんの家から海岸沿いの坂道を下って港に向かうと、いっぱい魚介類を入れた籠を抱えた若奥様が上ってきた。
「お手伝いしましょうか?」
「あら、大丈夫ですよ。慣れていますから。それよりも、せっかくなら港へ行ってみてください。もう、本当に大漁で男たちも大喜びで……ユーナ様がいらっしゃったら、さらに喜びますね」
若奥様に声をかけたけれど、断られるだろうことは正直わかっていた。
魔法で運ぶことができるって説明しなかったのは、奥様自身が大変だけど楽しんでそうだったから。
働くことは苦労もあるけど、やりがい、生きがいにもなるからね。




