21.驕り
「ユーナ様!」
ポンちゃんの悲鳴が聞こえる。
でも大丈夫だよ。私は最強の魔女だから。――と言えたらよかったんだけど、油断しすぎて逃げるのも防ぐのも遅れて、ちょっとだけ大きな足が私の右側をかすめていく。
肌に触れることはなくて、怪我はないから結果よし。
だがしかし!
イカの足は十本あるわけで、クラーケンの足を数えたことはないけど、さらなる足が何本か向かってきた。
できるだけ傷はつけたくなかったけど、仕方ない。
この際、風魔法で――と思った瞬間、私に向かっていたクラーケンの足三本が目の前でスパッと切られた。
はて? まだ魔法は放ってないし、ポンちゃんもエレシムさんも魔法を使った気配がない。
とにかく、クラーケンに雷魔法で止めを刺し、いったい誰が助けてくれたのかと辺りを見る。
「ユーナ、無事か!?」
クラーケンの巨体の向こうから聞こえてきたのは、この世界で始めて聞いた声。
あのときと同じように焦ってはいたけれど、さすがに「ネム」とは言われなかった。
あたりは暗闇に包まれてきているというのに、心配に曇らせる麗しい顔が眩しい。
髪色も瞳の色も違うけれど、悪逆の魔女さえも魅入らせるほどの美しい人は彼の人しかいない。
だけどまさか、こんな場所で再会するなんて。
目の前に立って微笑むのは、この国の第三王子――クライス王子殿下。
巷では〝傾国の王子様〟って呼ばれている。
「ユーナ様!」
ポンちゃんの声にはっと我に返る。
急ぎ駆けつけてくるポンちゃんの後ろには、青ざめたエレシムさんとジャックさん。
それから、ヤク爺さんは走らないで。
そう思いつつ、声の主へ視線を動かすと、彼は――クライス王子は素早く上着を脱いで私の肩にかけた。
「……ありがとうございます」
寒くはないのにと不思議に思いつつ、助けてくれたお礼を言う。
それよりも、どうして第三王子殿下がこの場にいるのかだよ。
「どうして――」
「ユーナ様、大丈夫ですか!?」
「大丈夫だよ、ポンちゃん。これは油断していた私の失敗。思った以上にクラーケンは強かったみたい。」
なぜここにいるのか訊こうとして、ポンちゃんが半泣きで抱きついてきた。
だから大丈夫だと伝えて抱きしめる。
「ユーナ殿! 大丈夫ですか!?」
「はい。ご心配をおかけしましたが、大丈夫です。ちょっと油断しただけで、怪我はしていないですから」
エレシムさんたちも駆けつけ心配してくれたので、安心させるために、にっこり余裕の笑みを浮かべる。
ポンちゃんはまだ私の腕の中。
エレシムさんは私の無事を確認すると、ヤク爺さんたちと同様にほっとしていたけれど、すぐにクライス王子へと何か言いたげな視線を向けた。
そうか。エレシムさんが戦争に参加していたなら――それも治癒師としてなら、クライス王子の顔を知っている可能性は高いよね。
「あの、あなた様はひょっとして……?」
クライス王子の姿を見て、おそるおそる問いかけたのはヤク爺さん。
やっぱり王子様のお顔ってみんな知っているのかな? 肖像画が出回っているとか?
このまま大騒ぎになるんじゃ、って思っていたら、クライス王子はそっと背筋を伸ばして名乗った。
「私は王国軍所属の魔法騎士、クライス・ウェンツです。クラーケン出没の報を受けて参りました。――が、どうやら応援の要請は必要ありませんね」
「ま、魔法騎士様でしたか!」
そう言って申し訳なさそうに微笑むと、ヤク爺さんとジャックさんは驚きすぐに頭を下げた。
魔法騎士って確か、かなり偉い立場の人だもんね。
「どうか、お顔を上げてください。頭を下げるべきは――謝罪するべきは、私なのですから。このように到着が遅くなり、申し訳ありません」
「い、いえいえ! そのような――」
「ヤク爺、いつまでもここにいるより、場所を移しましょう。皆にもクラーケン退治を知らせなければいけませんしね」
「ああ、そうでした! ユーナ殿、ありがとうございました! また騎士様も、わざわざお越しくださり、誠に感謝申し上げます」
よくある謝罪の押し問答になりそうなところだったけれど、エレシムさんが口を挟んで終了。
たぶんエレシムさんはクライス王子の正体に気づいているけど、ヤク爺さんたちは気づいていないみたい。
それも、クライス王子が私に貸してくれた上着を見て納得。
この上着は魔法騎士の標準的な制服で、以前のクライス王子が着ていたものとは違う。
どうやらただの魔法騎士として通すみたい。
まあ、まさか王子様が直々にお供も連れずにクラーケン退治に来るとは思わないもんね。
「あの、上着を……」
「怪我はしていないようだが、袖が少し破れているようだから、まだ羽織っていたほうがいい」
「あ……ありがとうございます」
どうしてクライス王子がいきなり上着を貸してくれたか理解して、慌ててお礼を言う。
本当に油断していた。うっかりにもほどがある。
ううん。自分が最強の魔法使いだって調子に乗っていたんだ。
だから、右肩にある、〝悪逆の魔女〟である証――痣にも無頓着になっていた。
それで怪我がなくて痛みもないから、服の袖が破れているなんて気づかなくて。
牡丹のような花を傷つけようとしているかのように、茨がぐるぐるに巻かれたような痣。
これは聖女を殺してしまった魔女の罪の証。
魔法使いだけでなく、この世界の民のほとんどが、その罪の証を知っているはずで、誰にも見せるわけにはいかない。
クライス王子の機転に、改めてお礼を言う。
「ありがとうございます。えっと……」
「クライスと呼んでくれてかまわない。これから一緒に旅をするのだから」
「……はい?」
痣を隠してくれたことはもちろん、暴れるクラーケンから助けてくれたことも感謝したいけど、今何と言いました?
脳内処理が追いつかないうちに、ポンちゃんが心配そうに声をかけてくれた。
「ユーナ様、本当に大丈夫ですか? ボクも少しだけ治癒魔法使えますよ?」
「ありがとう、ポンちゃん。本当に大丈夫。やっぱり油断大敵だね。それより、このクラーケンを解体しないと」
「そうですね! ボクの風魔法の出番ですか?」
「うーん。そうだねえ。でも解体はやっぱりここの皆さんに任せようか。それでも難しい箇所はポンちゃんが手伝ってあげて?」
「わかりました!」
ポンちゃんの気を逸らしてから、自分の右肩に左手を当てる。
それだけで、破れた服は元通り。
こうして便利な魔法に私はいつの間にか驕っていたみたい。




