19.大きなカブ
釣り竿やリール、釣り糸と酒樽を用意してくれたときには、もう太陽は沈みかけていた。
街の人たちが集まってしまうと、クラーケンを警戒させてしまうし、万が一にも怪我人が出ても困るので、みんなには港に近づかないようにお願いしている。
ここにいるのは、ヤク爺さんとジャックさん、そしてエレシムさん。
もちろんポンちゃんもいて、釣りというものに興味津々で見ている。
森の中では釣りじゃなくて、川に仕掛けをして魚を採っていたからね。
「本当に大丈夫なんでしょうか?」
「クラーケンが魔法を使えるかはわかりませんが、私の魔力は抑えていますし、今はまた人間が何か仕掛けてきたってくらいしか思わないはずです」
たぶん。
とにかく、酒樽に釣り糸をぐるぐる巻きにして簡単には外れないよう仕掛けをしてもらう。
それを力自慢らしいジャックさんに突堤からえいっと海に向かって投げてもらい、エレシムさんの魔法で風を起こしてもらって沖に流れるようにする。
クラーケンが魔力を察知できたとしても、エレシムさんの魔力なら嗅ぎなれているだろうからね。
波を起こすとか海に関与する魔法なら、さらにクラーケンを警戒させるだろうけれど、風魔法くらいなら大丈夫なはず。
酒樽が沖に向かって流れていくと、合わせてリールがくるくる回って釣り糸が長く遠くへ伸びていく。
この世界のリールは日本にあったような立派な金具ではなくて、凧糸を巻くやつみたいでちょっと面白い。
本当の釣りなら、これから疑似餌を動かして餌のように見せるんだけど、さすがにそれは必要ないか。
日本では接待で一度、取引先に付き合って、釣り船に乗ったことがある。
あのときは船酔いで迷惑をかけつつ笑われて、人前で吐くという二十代女子として恥をかいた経験が今になって役立つとは。
釣り接待前に予習だけはばっちりしたからね。イカ釣りだって、話題のために勉強したし。
さて、クラーケンはきっと釣り糸ぐるぐる巻かれた酒樽が囮だってわかっているだろうけど、罠ってわかっていても、引っかかってくれるんじゃないかな。
魚でも賢いやつは餌だけ取って逃げるなんてよくあるみたいだしね。
それに海上ということもあって、クラーケンは自分のテリトリーだから、酒樽に手を出すと思う。
さあ、こい!
沖へとプカプカ流れていく酒樽がぐらぐら揺れる。
あれは波のせいか、海中から何か力が加えられているのか、慎重に見極める。
けど、ほぼ素人の私にわかるわけない。
すると、ジャックさんに肩を叩かれた。
痛い痛い。ジャックさん、力自慢ならもう少し優しく叩いてほしい。
けど、興奮しているジャックさんには私の苦悶の表情は伝わらない。
ポンちゃんが怒ってジャックさんの腕に嚙みつこうとして、慌てて止める。
「ポンちゃん、大丈夫だから」
「ですが……」
「静かにね。クラーケンに気づかれちゃうから……」
そう。ジャックさんが声を出さずに私の肩を叩いたのは、おそらくクラーケンがやってきたからだと思う。
ここで騒いだら逃げられる可能性大。
やはり獲物が掛かりそうだと血が騒ぐのか、クラーケンが近づいているからなのかはわからないけど、とにかくジャックさんだけでなく、ヤク爺さんも目を見開いて酒樽の動きを注視している。
確かに、あれだけ大きな酒樽が海中に沈んでしまうのは波だけの影響じゃないな。
何度も浮き沈みしているのは、クラーケンも一応は警戒しているってことかも。
まだ、魔法を使うわけにはいかない。
「すみません、タイミングを教えてもらっていいですか?」
ここはやっぱりプロに頼るべきで、小声でジャックさんにお願いすると、黙ったまま頷いて応えてくれた。
私は緊張して釣り竿を持っていたけど、どうにか力を抜こうと頑張る。
こういうのって意外と微振動で水中に伝わるって、取引先の人が言っていた気がするから。
大丈夫。私は最強の魔法使い。いざとなれば力技で――海を割ればいいじゃない。
そう考えた自分がおかしくて、ふっと力が緩んだ。
「今です!」
「はい!」
ジャックさんの小声だけどはっきりした声を合図に、私は釣り竿から釣り糸に魔力を込めた。
途端に手ごたえがあって、かなりの大物が釣り糸の先、酒樽に絡みついているんだとわかる。
「――っえい!」
魔力で強化した釣り竿と釣り糸は、少々じゃ折れたり切れたりしないはず。――なのはいいけど、すごい釣り竿がしなっている。
酒樽に絡みついたクラーケンを魔法で拘束して、後は吊り上げるだけなんだけど、せっかくだから釣りたいと思ったのは許してほしい。
だって、取引先に付き合って頑張った釣りは小さなイワシ一匹釣れただけ。
それでも梅煮にしようと思ったのに、取引先の社長がぽいって海に捨てたんだよね。
思い出したら腹が立ってきた。
あんなに紫外線にさらされて、私のお肌をぼろぼろにしたのに、心までぼろぼろにしたあの社長許さん!
「手伝います!」
「お願いします!」
私は魔法が使えるから、どんなに強く引っ張られても釣り竿を手放してしまうなんてことはないけれど、ジャックさんは私の手に手を添えて一緒にリールを巻いてくれる。
ポンちゃんは私が海に落ちると思ったのか、上着の裾を両手で懸命に引っ張ってくれてた。
可愛すぎだよ。
ちょっとだけ、大きなカブを思い出したのは内緒。
クラーケンはこの街の人たちにとって害獣でしかなくて、絶対に逃がすわけにはいかないから。
「うんしょ! うんしょ!」
あ、ダメ。ポンちゃん、そのかけ声は反則だよ。
可愛すぎて心臓がやばい。どんな顔をしているのか見たくて、ちょっとだけ振り返る。
「よそ見しないで!」
「はい、すみません!」
えーん。怒られた。
でもポンちゃんの可愛い姿はばっちり見えたよ。
あと、エレシムさんの呆れたような顔もちらりと見えた。
釣りを楽しんでいるのがバレてるらしい。




