番外節 勇者のココロ(一)
エストー帝国とシガヒ王国の国境には巨大なスアルプ山脈が走っている。正確な標高は分からないが、間違いなくイデカード大陸最大の山脈である。
山頂付近には常に雪が積もっていて、古代の遺跡があるという噂がある。
とはいえ過酷な環境だから誰も足を踏み入れないし、わざわざ調べる余裕のある国もない。それゆえスアルプ山脈は未探索の部分が多く、実態は謎に包まれている。
その神秘性より近隣諸国から畏怖され、敬われ、避けられている――それが『地竜の背骨』こと、スアルプ山脈なのだ。
そんなスアルプ山脈の山間に、ひっそりと小さな村が存在することを知る者は少ない。
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「……んじゃ、梺まで買い出しに行ってくるから店番頼んだわよん、テータ」
「――ちょっと待て母ちゃん!」
ギョロリとした目が特徴的な、小柄な少年――テータはくるりと背を向けた母を引き留めた。
「どうしたのテータ? 早く出発したいから手短に済ませてね」
「どうしたもこうしたもねえよ――」
母は息子が何を苛立っているのか理解できず、首を傾げた。
テータは大きくため息をつくとびっと母を指差し、
「何なんだその格好は!」
目をカッと見開いてそう叫んだ。
「何って……おでかけの服装に決まってるじゃない?」
母はひらひらピンクの乙女チックなワンピースを一枚着ているだけだった。頭には農家のじいさんから借りた日よけ用の大きな麦わら帽子を被り、その癖登山用の丈夫な靴を履いていたりと格好はちぐはぐである。手荷物がポーチ一つで収まってしまうほど少ないのも問題だ。
「山舐めてんのか!?」
「なめてないわよー。ただ少しおでかけするだけだから軽装でいいかなって」
「梺まで歩いて最低三日かかるんだぞ!? 考えて発言しろよ!」
「えー、だってさー……」
不満げに母は口を尖らせる。
テータは頭が痛くなって額に手を当てた。母のお花畑っぷりは筋金入りだ。聞いた話によると村に来るまでは大都市に住んでいる良家のお嬢様だったとか。
「……もういい、やっぱ今回も俺が買い出し行ってくるよ」
「えー、わたしもたまには梺の町に行きたいよ! 店番嫌だしさ」
「町に行ったらいっつも衝動買いばっかりする癖に何言ってんだよ。第一店番ってこんな店誰も利用しねえっての!」
テータはオンボロな店内を見回した。
埃を被った鞘にしまわれた刀。折れた柄がガムテープで補強されている槍。刃こぼれが酷い手斧。壁にもたれ掛かったフルアーマー……。
テータの家は村で唯一の武器屋だった。
「いいじゃん、たまに子供とか遊びに来るし。それにもしかしたら旅人が武器買うかもしれないし」
「いつの時代の話だよそれ! 来たとしてもこんなオンボロな武器誰も使わねえよ」
「そうかなー?」
テータは母に着替えるよう促したが母はふるふると首を振った。どうやら意地でも梺に行くつもりらしい。
目をギョロリと動かし、テータは思考した。こうなってしまっては母はどうしようもない。
「……わかったよ。じゃあ一緒に行こう。店は閉めといてさ」
「うん!」
テータの提案に対し、無邪気に母は万歳しながら頷いた。おめでたい性格だ。
母を単独行動させないよう気を付けねば……テータは保護者がどっちか分からなくなって、頭を抱えた。
・
たっぷり支度をしたため、村から出発した時には既に昼過ぎだった。
寝袋などの荷物は全てテータが持ち、母はひらひらのワンピースを無駄にひらひらさせながらスキップしている。
テータが住んでいる村は『アル村』という名のとても小さな村である。ただでさえ住民が少ないのに若者が次々村を離れているため、どんどん高齢化が進んでいる。
十年前までは外部との交流は多くはなかったものの、それなりに活気ある村だった。
だが、十年前に起こった『魔王騒動』――世界制服に乗り出した魔王を、勇者達が封じ込めたという歴史的な事件――の終結と共に魔物の数が激減。魔物に溢れかえっていた山道を容易に下れるようになったため、村の若者は外に活路を求め次々に古い村を棄てていった……。その結果が今の衰退しきった村である。
「テータ、疲れたから少し休まない?」
「自分は何も荷物持ってない癖に……。まあいいや、この近くに泉があったからそこで一休みしよう」
テータが先行し、その後を母がのろのろと着いていく。梺まではまだまだ遠い。食料を節約しないと……。
そう思いながら、草むらを掻き分け泉に出た時だった。
「――わあっ!?」
テータは思わず間抜けな声を出し、ひっくり返った。泉に信じられない光景が広がっていたからだ。
「……ん? なんだお前、覗きか?」
泉の中では、裸の女が水浴びをしていた。しかもテータの存在に動揺することなく、堂々と仁王立ちで。
女は動揺するテータを余所にゆっくり泉から上がると、身体を拭いて服を着た。みすぼらしい布の服だ。
テータは改めて女を見つめた。
あまり手入れのされていない茶色い髪に、人によって評価が変わるであろう浅黒く彫りの深い顔をしている。年齢は二十代半ばくらいだろうか。引き締まった身体が彼女が手練れの旅人であることを証明している。
そこでテータは先程見た光景を思い出して顔が熱くなった。
「なんだなんだ、目付きの悪いガキだな。まあいいや、お前名前は?」
女はテータにずかずかと近付いてきた。近くで見ると分かるが、この女はなかなか背が高い。テータは少し恐怖感を覚えつつも、
「……テータ。この付近の村に住んでる。あんたは?」
「私か? 私はカヨ。ちょっと訳あってこの山を登ってるんだよ」
女――カヨは湿った髪を掻き上げながらそう言った。アル村には母以外に若い女性なんてもういないから、変にそわそわする。大人の女を見るのは初めてだ。
……母?
「そういえば母ちゃんどこ行ったんだ!?」
「あっ、ちょっと待てって!」
テータはカヨを躱すと周囲を見回しながら軽く走り出した。
迷子になってなければいいが……。
「きゃああああああああ――――っ!!」
――耳をつんざくような母の悲鳴。
テータは顔を青くしながら、その方向へとまっすぐ駆け出した。
「母ちゃんっ!」
テータは道端に倒れている母を見るとすぐに駆け寄った。
腰を抜かして立てないようだったがどうやら外傷はないようだ。テータは母の無事を確認し一息つく。
「何があったんだ?」
「テータ、あれ――」
母は震える指先を上空へと向けた。テータはそれに従い視線を空へ上げる。
テータは逆光で一瞬目を瞑り、それから目を開いて……愕然とした。
「――ワイバーン!?」
トカゲに翼が生えたかのようなシャープなシルエット。ギラギラと輝く牙に獲物を狙う瞳孔が裂けた瞳。今では数少なくなった、図鑑でしか見たことがないような魔物の姿がそこにいた。
「う、嘘だろ? こんな所に魔物が、なんで――」
テータが動揺している間にワイバーンは上空から急降下してきた。巻き上がる砂埃。生じた強風にテータの軽い身体はあっさり吹き飛ばされる。
「うわあっ!」
空中に舞い上がったテータに、ワイバーンがみるみる、凄まじいスピードで迫ってくる。涎を垂らしながら眼前に迫る大口にテータは畏縮した。
――食われる……っ!
まさか、自分の十三年に渡る人生がこんな形であっさり終わってしまうなんて。小さな村でひっそりと生き、外のことを何も知らぬまま……。テータは自分の運命が受け入れらず、目を閉じることすらできなかった。
ワイバーンは「オオオ……!」とギラついた目をテータに向け、ついに射程に入ったテータに全力で飛び込み、手足を器用に使って捕らえた。
ワイバーンの爪がテータの細い身体に食い込む。痛い。テータは目の端に涙を浮かべた。
ワイバーンの生臭い息が顔にかかる。空腹なのか、必要以上に息が荒い。血走った目をテータに向ける。
近年では、魔物は人間に見つかれば即座に始末される。きっとこのワイバーンもそんな過酷な環境を何とか生き延びてきたのだろう。そして自分が苦難の末に手に入れた貴重な食糧、という訳か。
――冗談じゃない!
「誰か――誰かァ!!」
十三年間生きてきて一番大きな叫び声をテータは上げた。地表からは母の声が聞こえる。だが声は届こうとも、助けは来ない。
「嘘だろ……?」
ワイバーンの大口がテータの頭部を捉える。視界が真っ暗になる。喰われる。
テータは絶望し、全てを諦めて、そのまま瞑目して最期の時を待った。
「…………?」
しかし、どんなに待っても予測していた痛みは来なかった。不審に感じテータは目を開ける。
「――え!?」
「何とか間に合ったか……。よかったよかった」
赤くとてつもなく長い棒が、ワイバーンの口を貫いていたのだ。ワイバーンは白目を剥き、テータを握ったまま絶命している。
ゆっくり振り返ると、先程の女性カヨがいつの間にかワイバーンの尻尾に乗っかっていて、額の汗を拭っている。赤い棒は彼女の手元から通じていた。
「あんた一体――うわあっ!?」
安心したのも束の間、今度は力を失ったワイバーンと共にテータは急速落下を始めた。この高さから地面に叩きつけられたらとてもただでは済まないだろう。
真っ逆さまな視界の中、テータは驚くべき光景を見た。
カヨが、ワイバーンの口に刺さっていた赤い棒を“縮める”と、一気に尻尾を蹴ってこちらに飛び込んできたのだ。両手を伸ばしテータを見据える。そして――
ドシンッ!
「ナイスキャッチだろ?」
「あ、ああ……」
スライディングキャッチ。
カヨは赤ん坊を抱くかのように優しくテータを抱き止めていた。
助かった……?
よく働かない頭でぼんやりその事実を噛み締めていると、
「テータ!」
「うあっ!」「ぐはっ!」
母の声と共に、テータの腹部に鈍い衝撃が走った。
母はテータとカヨ、両方に向かってダイビングしてきたのだ。
「よかった~! 死んじゃったかと思ったよー!」
あーんあんと、テータの腹上で子供みたいに大粒の涙をこぼし鼻水を垂らしながら泣く母。テータはその様子を見ると少し冷静になり、
「俺は大丈夫だから。とりあえずどいてくれ――重いから」
「お、重くないよ!」
母は慌ててテータとカヨから飛び退くと、むくれながらそう言った。
カヨが苦笑しながら、
「お前の母ちゃんって情熱的なんだな。……まるで闘牛みたいだ」
「そんな凶暴じゃないっ!」
テータはぷりぷり怒る母の様子に思わず吹き出してしまった。




