第十二節 棒の勇者、都市を守る(中)
「サツリクゥ」
「がはっ!」
イーロピア城最上階の廊下。つるつるの大理石で出来た床にダンは叩きつけられた。着地した地面には蜘蛛の巣状のひびが広がる。
ダンは寝そべったまま忌々しげに赤肌の男ドノスを睨む。さっきからずっとこの調子だ。廊下のあちこちにはひびが走り、ダンのものである生々しい血痕がこびりついている。
ダン自身これだけ床に激突してなぜまだ生きているか不思議なくらいだった。ドノスには傷一つ付けられない。
ダンは後頭部の血を拭うと再び立ち上がる。意識は朦朧とするがまだいける。戦える。
「ヨワイ……」
ドノスは表情を変えないまま冷淡に言い放つ。そしてダンに向かって一歩を踏み出す。
ドノスの脚力は凄まじく、一蹴りしただけでダンまでの距離をゼロまで詰めた。
「クラエ」
「はああ!」
ドノスの拳をダンは何とか三節棍で流した。だがドノスは焦る様子なく次々拳、足、頭突きまで繰り出す。
その猛攻を全て流せずダンは殴り飛ばされた。ドノスは間髪入れず倒れたダンに追い打ちをかける。
ドノスの拳がダンの顔面に衝突する。そう、これは衝突だ。
まるで落石をまともに浴びたかのような衝撃にダンの視界まで揺れる。そのまま抵抗するすべなくなすがままに殴られ続ける。
やがてダンは身体を鷲掴みにされ、廊下の曲がり角の壁まで投げ付けられた。
「……うぅ……」
流石にこれは応えた。頭がガンガン視界はぼんやり、身体中は流血でぐったり──もはや倒れこんだ床から動けない。
ドノスは全く油断する様子なくダンに向かい跳躍する。そしてその勢いのままダンを踏み付けんと両足を腹部目がけて急降下する。
ダンは無理矢理身をよじって躱すが猛攻は止まらない。
「ハカイサツガイサツリクゥ……」
ドノスは物騒な単語を呟きながらダンを狙って踏み付け攻撃を繰り出す。ダンは必死で転がりそれを回避する。
ドノスはダンの行動を先読みするかのような巧妙な位置に足を置いてくる。ダンは全て紙一重で躱していたがやがて限界が見えてきた。
「が……はっ」
荒い呼吸を何とか押さえてダンは必死にドノスの足から逃れる。いつの間にやら三節棍は手の中から無くなっていた。もはや身を守るすべなどない。
ダンは島にいた頃の友人や家族、そして恋人を思い出した。
──みんな……。
ダンは自分の情けなさに嫌気が差した。今自分を殺そうとしているのは島の──故郷みんなの仇なのに。あいつらはダンから左目を、アルカードから声を、レイヴンから感情を、そしてみんなから命を奪った奴らなのに。
自分は何も出来ず殺されていく。
あの惨劇でダンは心に決めたはずだった。か弱き人々の命を蹂躙する魔王軍を必ず全滅させると。しかし今はどうだ、その魔王軍の仇の玩具ではないか。
悔しい。口惜しい。ダンは底知れぬ憎しみを感じながらも、しかし何も出来なかった。
「……モウオワリカ」
ドノスの声は残念そうだった。もう少し抵抗してくる事を期待していたのだろうか。
奴の期待に添うためではないが最後に一泡吹かせるくらいはしてやろうじゃないか。
ダンは今まさにダンを踏み潰そうとするドノスを見据えた。
ダンはいきなり前転をし、ドノスの股下から背後に回り込んだ。ドノスの踏み付けは勢い余って床にめり込む。
ドノスが何か反応をするより早くダンはドノスの首元に飛び付いた。
「我は死しても──貴様を止める!!」
「コザカシイ」
ドノスはダンを振り落とすため背中に手を伸ばす。しかしダンはがっちりと両腕をドノスの太い首に回して放さない。
「ウットウシイ……」
ドノスはダンの足を掴んで引っ張り身体から引き剥がそうとする。だがダンはそれに屈せず隻眼をぐっと細めてそれに耐える。
ドノスの首筋に汗が流れ始めた。汗でぬめり、しっかり巻き付いていたはずの両腕が滑りだした。
ドノスの力がより一層強められる。このままではまた壁か床に叩きつけられる。そして今度こそ次はない。
だからダンは必死にドノスの首に爪を立てた。
ドノスは痛みに顔を歪めるが構わず更に引っ張ってくる。
ダンは今度は歯を立てた。今の彼にはプライドなど存在しない。ただ時間稼ぎのために、生き残るために必死にもがく。
「コシャクナア!」
ドノスは怒りに身を任せダンの足を引きちぎらんばかりの勢いで引っ張る。
ダンは苦痛で気を失いそうになったがそれを何とか耐えてドノスの首筋を噛み付き爪を立て続ける。
やがて傷の全く付かなかった強固な赤肌にも血が滲み始めた。ダンは必死で顎に力を込める。今の自分にはこうする事しか出来ない。
「ハナセ! ハナセェ!」
落ち着き払っていたドノスもしぶとく食らい付くダンにたじろぐ。何しろいくら引っ張っても離れないのだ。
「クソッタレェ」
痺れを切らしたドノスはダンの右足を握り思い切りそれを握り潰す。
「ぐわあああああ!!」
辺り一面に血が飛び散り、右足は潰された。
これには流石に堪え切る事が出来なかった。ダンは思わず悲鳴を上げて首元から口を放した。自然と爪も外れる。
ダンはそのまま地面に向けて落ちていく所を、ドノスに首を掴まれた。
「キサマハナブリコロス……」
ドノスの目が怒りで鋭く輝く。ダンはもう身動き一つ取れない。抵抗する気力も残っていない。
「フンガフンガァ」
ドノスは左手でダンの首を掴みながら右手で何発もダンの腹に拳を打ち込む。
ダンは衝撃で嘔吐しそうになるが首を押さえられそれすら出来ない。
やがてダンが反応を示さなくなると、ドノスはダンから手を放した。ダンは受け身も取らず頭から床にぶつかる。
「……」
もはや言葉も紡げない。なぜまだ生きているのか、ダンはその事実に絶望した。
これからダンは気が遠くなる程なぶられやがて殺されるだろう。それを想像し彼は震えつつ、
「ナゼダ?」
笑っていた。握られすぎて潰れた喉から空気が漏れる。
時間稼ぎは出来たのだ。これで自分は役目を果たした。
見た所ドノスもほんの僅かだが負傷している。その傷からなら、強固な肉体を持つ奴にダメージを与えられるだろう。
──ざまあみろ、我がやれなくても我が同胞が貴様を殺す! 我相手にせいぜい憂さ晴らしでもしていろこの赤膚野郎めが!
「頼んだぞ、レイヴン、アルカード──」
ダンは島からの付き合いの同胞に思いを馳せ、永遠の眠りに就こうとした。
「……まだ死ぬな」
だがそうはならなかった。来るはずの拳が来ない。目を開けようにも右目も潰れているようだ。
知らない男がドノスと戦っているようだ。息遣いとつばぜり合う音が聞こえる。
「ナニモノダ?」
「俺は『剣』の勇者。貴様らを断罪する者だ」
──なるほど、勇者狩りを行うあの『剣』の勇者か。
ダンは妙に納得した。彼はドノスを片付けたらダンをそのまま殺して力を奪い取るつもりなのだ。彼はダンを助けに来たのではない。
剣が弾かれる音が響く。やはりドノスの赤い肌は耐久力がケタ外れだ。あの『剣』の勇者の刄をも防ぐとは。
しかし暫らくするとドノスの叫びが廊下中に轟いた。傷口から刄を差し込まれたのだ。ダンのやった事は無駄ではなかった。
「とどめだ」
男の冷淡な声とともに何かがダンの顔に飛び散ってきた。生暖かいので多分ドノスの血なのだろう。
ダンは男の気配のする方に顔を向けた。喉がいかれているためあまり多くは無理だが、まだ会話は出来る。
「我も手に掛けるつもりか……?」
静かに、届いたかどうかも分からない程の声で『剣』の勇者に声を掛ける。
『剣』の勇者はダンの問いに答える代わりに今収めたばかりの剣をもう一度抜く。
ダンは全てを察すると運命に身を委ね、その場で座る。未だ身体中には常人なら発狂、もしくは失神するレベルの痛みが駆け回り続けている。
この苦しみからもようやく解放される……。
「くそっ。何故だっ!」
だが刄はダンにあてがわれない。ダンは不審に思い男に尋ねる。
「どうした? 我を斬らないのか?」
「ああ斬るとも、だが……」
シャキ、と刀身を鞘に収める音がした。驚くべき事に勇者狩りはダンに情けをかけたのだ。
「まずはこの戦いを終わらせてからだ」
「……情けをかけるか」
情けない。自身は結局この男に助けられ惨めに生き延びた。復讐も自らの手で行えなかった。
──しかし、まだ我は生きているのだ。
血が右足から滴っているのを感じる。生き延びたとはいえ、もうじき自分は……。
「まず何をすればいい?」
「隠し通路から逃げた皇帝陛下が心配だ、追おう」
ダンは考えを無理矢理中断し『剣』の勇者に行き先を告げる。
自分も連れていってくれ、と懇願しダンは『剣』の勇者におぶってもらう事になった。
最後の役目くらいは果たしてみせる。
・
「ええ、そうです……。はい、人類閃滅計画の始動を要請します……」
先程からドナンは無線機のような小型の機械に何やらひそひそ話し掛けている。……無線機まで真っ白とは全くいい趣味をしているものだ。
ゲイルはといえば、両手両足を鎖で繋がれ、口には猿轡。囚われの身である。
ここにドナンを拘束するつもりで強靱な造りにしたのだが、それが裏目に出たようだ。ゲイルは吊された状態で身動き一つ出来ない。
ドナンはようやく話を終えると、吊され鎖に縛られたゲイルに向き直った。
「滅びゆく人類の長にはそのような格好が似合いますな」
ゲイルが喋れないのをいい事にドナンは悪態を吐く。ゲイルは憤怒よりも先に、自身の失敗に対する悔しさが沸き上がった。
「もう戦いの火蓋は切って落とされました、誰にも止められない。もうじき今度はワイバーン軍団がエストー帝国中を襲撃します。
……しかし天才と謳われた貴方がこうもあっさりやられるとは、魔王様の力は全く持って偉大だ」
ゲイルの全身を脱力感が襲う。ワイバーン軍団襲来? エストー帝国全域を攻撃? そんなもの、どうやって食い止めるのだ。
「さあ、私達は破滅の時を待つ事にしましょう。話なら聞いてあげます」
そう言うドナンはおもむろにゲイルの猿轡を外した。今のゲイルに人質としての価値は無いに等しい。最後に話くらいはしても構わないという事だろう。
ゲイルは無言でドナンを睨むが彼は涼しい顔で悠然と立っているだけだ。
「聞かせろ。何でこの国を裏切ったんや?」
そう尋ねる今のゲイルには皇帝というより、ただの若者だった。ドナンはくつくつ笑うばかりで質問に答えない。
「答えろドナン!」
「貴方はそもそも勘違いをしている。私を裏切り者と言いましたな? ……甘過ぎますぞ、皇帝陛下。
私は人間ではありません」
ゲイルはその言葉に思わず「なっ……!」と呟いた。ドナンはその様子を見つめ赤い瞳を怪しく輝かせる。
……奴の瞳って赤かっただろうか?
「私は魔王軍からスパイとして元々派遣されていたのだよ。エストー帝国の名家の子息として随分前からな」
そう言えば、とゲイルは思い出した。
父が語っていた。ドナンは不可解な生まれ方をした子だと。何でもある日突然血塗れの公爵夫人の死体の横に新生児として転がっていたらしい。
それを前公爵が神からの授かり物として育てる事にしたらしいのだ。
「このように魔王軍は人間界の中枢に紛れ込み、ずっと魔王様復活の時を待っていた……そして今、機は熟しました。
ワイバーン軍団はあくまでも牽制に過ぎないのですよ。聞けば他の国も皆交渉に応じなかったらしいじゃないですか。
これではっきりとしました。魔王軍は人類を滅ぼすべきだと──今、魔王軍と人類の戦争が始まったのです!!」
そう言うとドナンは笑いだした。もはやゲイルの事を気に掛ける様子もない。必要が無いのだろう。
ゲイルは悔しさに拳を握り締めて震えた。作戦は失敗だ。ドナンには捕らえられ、ワイバーン軍団により勇者達もやられてしまうだろう。自身がもっとしっかりしていれば──後悔が重く肩に乗り掛かる。
「さあ、チェックメイトです陛下! はははははは──」
「まだ駒は残っているぞ」
ドナンは突然の侵入者の声に驚き振り返った。
そこにいたのは返り血で染まった金髪の美青年とそれに背負われている死にかけの大男──『剣』の勇者とダンだ。
ゲイルはまず死にかけているダンを見て叫んだ。
「ダンさん!」
ダンは力無い様子でこちらに顔を向ける。彼を見つめる目はもう存在しない。健全だった目も潰されており、今ダンは全盲の状態だ。
『剣』の勇者はゆっくりとダンを背中から下ろし、そして剣を抜く。その血に汚れた刀身は聖なるオーラを帯びているが、しかしまがまがしい雰囲気も兼ね備えている。
「そいつを見ていろ」
そうゲイルに告げると『剣』の勇者は拘束具に向けて剣を振るった。
自由になったゲイルはその場に横たわったまま動かないダンに駆け寄る。「ダンさん! 気ィ確かに持って下さい!」
ゲイルの呼び掛けに弱々しくダンは反応した。折れている右足からの出血が酷い。
ゲイルは自分のマントをちぎり、それでダンの右足を止血する。だが血は全く留まる様子なく流れ続けている。
「もういい、無駄だ……」
ダンの声はどんどん弱々しくなっていくように思えた。潰れた目から流れる血は涙で薄まっている。
すぐ横では『剣』の勇者がドナンに素早く剣を一閃させていた。ドナンは薄く笑みを浮かべながら難なくそれを右に飛んで回避し、喋る。
「さすがに強いですな、『剣』の勇者は……。ここは一旦退くとしましょう」
彼の言葉に『剣』の勇者はハッとした表情を浮かべすぐに追撃を試みる。
だがそれより早くドナンはズボンのポケットから何かを取出し、それを地面に叩きつけた。
それは部屋全体に閃光を与えた。そして目を焼くような光が消えた時、ドナンの姿もいずこへ消えていた。
「逃がしたか……」
ちっ、と『剣』の勇者は舌打ちして、ゲイルとダンを見る。ダンはだいぶ弱まってきていた。これではあと一時間持つかどうかだろう。
「おまえ達はここにいろ。俺は外の様子を見てくる」
何か言いたげなゲイルを無視し、『剣』の勇者は扉を開け出ていった。まだ戦いは続くのだ、まずは外の様子を見なければなるまい。




