仮の姿で 2
アーネストが外へ通じる木戸を押し開けると、そこでは数人が剣を合わせていた。
「俺達はいつもここで訓練を行っているんだ。今の時間ここにいるのは自主的に訓練している者だな」
重い金属同士がぶつかり合い、甲高い音を立てる。
聞き慣れた音だ。ジェラールは自然に身が引き締まる。
アーネストが中庭に半歩足を踏み出して辺りを見回した。ジェラールの姿を探すために。
「……いないか。具合が悪かったんだしな」
諦念の色を滲ませた声でアーネストは扉を閉めようとした。
後ろから訓練所を覗いていたジェラールは、閉まろうとする扉の向こうにくせっ毛のブロンドの頭を見つけ、思わずアーネストの体の隙間に潜り込むようにして身を乗り出した。
(アラン? アランが訓練しているのか?)
一瞬見間違いかと思ったが、確かにアランだった。テレンスを相手に剣を振るっている。
「なんだ。訓練に興味があるのか?」
ここまでずっと案内されるままついてきていた少女が初めて強く反応を見せたことにアーネストは驚いた。
ジェラールはアランの剣さばきをじっと見つめる。
(この時間にアランは訓練していたのか)
最近、朝の訓練にアランは顔を出していない。だからアランの調子が気になった。
「……では、少し見学するか?」
少し考えたアーネストに提案され、ジェラールは即座に頷いた。
二人が訓練所に入ると、数人が剣を下ろして話しかけてきた。
「アーネストじゃないか。今日は女連れでどうしたんだ? ジェラールはどこへ行った?」
「ジェラールを探している最中なんだ」
何度も繰り返された会話がまた交わされる。
同じ騎士見習いとして頻繁に顔を合わせる彼らも、やはり少女の正体気づかなかった。
「だからって、どうしてこの子はおまえと一緒にいるんだよ」
「この子は新しく来た魔女だ。ちょっと城内の案内を頼まれている」
「魔女の子かあ。これからよろしくな」
「君、名前は?」
「ミランダから聞きそびれた。それから、その子は喋れない」
「喋れない? 本当か?」
「大変だな。困ったことがあればいつでも頼ってくれ」
「筆談はできないかな?」
「本は好きみたいだから、問題ないんじゃないか。どうだ?」
アーネストの問いにジェラールは頷く。
「……おお! すげーな、俺まだ自分の名前しか書けないぞ」
「おまえはもう少し読み書きも頑張れよ」
彼らの話に仕草で応えながら、ジェラールはアランの様子を観察する。
アランはテレンスを相手に楽しそうに剣を合わせている。訓練だというのに、それはそれは楽しそうに。
厳しいジェラールの指導をアランが強く拒否するようになってしまい、彼に慕われているテレンスが責任を持って面倒をみることになってから数ヶ月。
(相変わらず腰が入ってない)
自分との訓練を断るのは構わない。アランが上達する方法が他にあるのなら。しかし、今見ている限りでは上達した様子は見られない。
アランの不真面目さも問題だが、テレンスもアランに弱いところがあり、まるで上達していないアランのレベルに合わせていて、訓練になっているようには見えない。アランの相手を務めるのはテレンスのためにもならなそうだ。
アランを指導したい。もどかしくて手が剣を求める。
「君、なんだか剣の腕に自信がありそうだね?」
訓練の様子を真剣に見つめながら拳に力が入る少女に、ルークが面白そうに声をかけた。
「もしかして一緒に訓練してみたい? よかったら俺が相手してあげようか?」
気を利かせた彼にそう問われて、ジェラールは即座にアランを指差した。
自分からは言い出せないから話を振ってくれて助かった。けれど、やれるならアランとやらないと意味がない。
少女の指を突き出した勢いに周囲は驚き、誰を指名したのか確認すると今度は困惑の表情を見せた。
「あいつとやりたいの? 身長のハンデもなくて丁度いいかもしれないけど……ちょっと面倒だな」
頭を掻きながら、それでもルークはアランに声をかけてくれたのだが。
「ええー、せっかくテレンスさんと訓練やってるのに。しかも女? やだよ。泣かれたら面倒だもん」
テレンスとの手合わせを中断されて、アランが頬を膨らませる。手に持つ剣を振り回して拒否を表し、危なっかしい。
(……まあ、予想通りか)
急な第三者からの申し出を気さくに受けるような性格だったら、そもそも通常の訓練時間に参加したくないなんて言い出すことはなかっただろう。
断られて目を伏せてしまった少女の肩をヴィンセントが叩いた。
「あー……あいつ、あんな感じだからさ、俺が相手するよ」
「──いや。本人がアランを指名して断られたんだ。訓練はもういいんじゃないか」
アランとできないならとジェラールが首を振るより前に、アーネストが話を切り上げようとした。まるでジェラールの心が読めたかのように。
驚いてジェラールがアーネストを見上げると、アーネストは何故か明後日の方を向いていた。
その横顔は、彼の心がはるか遠くにあるように感じられて、ジェラールは胸に小さく痛みを覚えた。
ジェラールがどう意思表示しようか迷っていると、テレンスが二人を呼び止めた。
「ちょっと待ってくれ、アーネスト。 ……なあ、アラン。あの子からの勝負を受けないのか」
「だって女ですよ。なんで女が剣持つんですか」
「剣を佩くことができるのは騎士だけだが、女にも剣の才能がある者もいるだろう。それに、わざわざお前を指名しているんだ。あの子はお前に勝てる自信があるんじゃないか?」
「なっ……テレンスさん、何言ってるんですか! 俺が女に遅れをとるなんて」
「俺はお前が俺以外とやってどこまで通じるのか見てみたい。お前はこのところ俺とばかりやっているし、それじゃあ上達しないだろう」
「教えてくれているテレンスさんがうまいんですから、上達してますよ!」
「俺はお前に合わせているだけで、指導はしていない。だからお前の今の実力を確認するためにも、あの子と手合わせしてみて欲しい」
「……テレンスさんがそういうならあいつの相手してやります」
「よし。──君、話がまとまったから準備してくれるかな」
不承不承といった体ながらもアランに承諾させて、テレンスが少女へ向かってにこやかに微笑んだ。
もはやアランとは会話も不可能な状態になっているジェラールは、テレンスがアランを手玉に取るまでの会話の流れに呆気に取られた。
「あいつ本当にテレンスの言うことしか聞かないな。じゃあ、こっち来て。準備しようか」
苦笑しているルークに防具置き場へと促されて、ジェラールは我に返った。
アランを見てみれば、不満そうな顔でこちらを見ていた。
生意気そうなその表情に、ジェラールの闘争心に火が点いた。
(久しぶりに指導してやる)
ヴィンセント達やテレンスの話ぶりから、朝の訓練に参加しなくなってからのアランの様子は十分に窺えた。だから様子見などと生温いことはしない。訓練とは本来どういうものか思い出させてやる。決意するジェラールは少し頭に血が上っていた。
先ほどから口数が減っていたアーネストは、ルークへついていく少女の後ろ姿へ目を遣り、テレンスへ己のやる気を示そうとするアランを見、そして高い壁で切り抜かれた空を振り仰いだ。
ジェラールは訓練用の剣と盾を渡された。胸当てと兜も用意されたがそれらは断った。
(……重いな)
剣と盾を身につけてまずそう感じた。
持ち慣れているはずの小振りの盾と剣が別物のようだった。女の体になって筋肉量が減っている。それに背が低くなっているので、腕のリーチも短くなっている。
リーチに関しては、相手はアランなのでそこまで条件は悪くなっていない。怖いのは、アランは派手に動くのを楽しむためにやたら振りが大きいこと。 万が一当てられると大怪我を負わされる。
(でも、隙も大きいからな、アランは)
重さに負ける前に短時間で勝負をつけたい。ジェラールは剣に振り回されないように柄をしっかり握った。
「やっぱり、彼女は経験者ですね」
剣と盾の使用感を確認する様子を見て、壁際に移動したテレンスはアーネストに声をかける。
「ところで彼女は誰なんです?」
「……はあぁ……」
聞き飽きた質問に、アーネストは溜め息を吐いてしまった。
うんざりと言ったその表情にテレンスは驚く。
「どうかしましたか?」
「いや、今日はその質問に何回答えたかと思ってな。彼女は新人の魔女だで、ミランダに城の案内を任せられてしまったんだ。ジェラールを探すついででいいからと」
「なるほど。……まあ、皆が気になるのはあの子自身よりも、アーネストがジェラール以外の人間と二人きりなのが珍しいからでしょう。それで、ジェラールはどこへ? その様子だとずいぶん探しているようですけど」
「いないんだ、どこにも。ジェラールが行きそうな場所は見て回っているのに。……もしも誰かがジェラールを隠しているなら、俺はそいつをただでは済まさない」
「大袈裟ですね、アーネスト。どこかで行き違ってしまったんでしょう。——ああ、始まりそうですよ」
二人が話している間に準備が整い、場の中央でアランと少女が剣を手に向かい合っていた。
「試合は一本勝負。ただし、長引いたり危ないと判断した場合は止めさせてもらう」
ルークが場を仕切り、二人の顔を交互に見ながらルールを決める。なにしろ片方は練習嫌い、もう片方の実力は未知数。親切心から場をセッティングしたが、いざ向かい合わせると不安が湧いていた。
ジェラールは正面に立つアランを見据える。アランは軽く首を傾げて面倒くさそうにしながら、細めた目で少女を小馬鹿にしているのが見て取れる。
剣と盾を持つ手に力をこめ直した。
「始め!」
ルークの声と同時に、アランはがに股で左右にフラフラと揺れ始めた。にやにやと笑みを浮かべながら。
(わざわざ訓練を別にしている成果がこれか……)
アランとしてはどの方向へ打ち込まれても捌けるぞという脅しのつもりなのかもしれない。だが、揺れ続ける軸が咄嗟にその向きを思う方向へ変えられるものかどうか。
ジェラールは剣を構えると、一気に踏み込んだ。
「えっ!? ──うわっ、た、とと」
一瞬で間を詰められたアランは足がもつれてバランスを崩し、地面に尻餅をついてしまった。
動けなくなったアランへ向かってジェラールは剣を突き出す。
「ス——ストップ!」
ルークが慌てて声を上げるが、勝負はその前に決まっていた。
ジェラールが突き出した剣は、目を見開くアランの顔の横にあった。
「──勝者、魔女!」
ルークが高々と宣言する。
その声を聞き、アランが瞬いた。
「やるなあ。自信があっただけあるな」
ヴィンセントは満面の笑みで口笛を吹く。場内の訓練を中断して模擬試合を観ていたギャラリーは、ゆっくりと剣を下ろす少女へ惜しみない拍手を送った。
そんな中、テレンスは剣を合わせた二人を凝視していた。
「アーネスト……あの子はなんです?」
未だ地面に座り込んだままのアランへ向かって一礼する少女を見つめながら尋ねた声は、まるで独り言のようだった。
アーネストはつまらなそうにテレンスを振り返る。
「なんだ、テレンス。さっき言っただろう。もう忘れたのか」
「そういうわけじゃないですけど、動きがなんだか……」
「——やっぱりそうだ!」
テレンスが己れの内の引っかかりを口にしようとした時、突然、アランが叫んだ。
その顔は今し方勝負に負けたというのに晴れ晴れとしている。
「やっぱり、強くなる魔法があるんだ!」
元気のいい声を聞いて、テレンスの片眉がぴくりと震えた。
「アラン!」
「テレンスさん、やっぱり魔法だよ! あいつだって、魔法で強くなっているんだ!」
アランは飛び跳ねるように立ち上がり、テレンスの許へ駆けていく。
「おまえという奴は……、自分が訓練不足だから負けたとは思わないのか」
「だって、こんな女がこんなに強いなんておかしいですよ! こいつ異常に強いし! やっぱり、剣が強くなる魔法とかあるんですよ、テレンスさん」
「剣を宙に飛ばしていたわけでもあるまいに、俺には彼女は生身の実力でお前に勝ったようにしか見えなかったぞ。それにジェラールのことだって、彼は訓練を重ねて誰より強くなったんだって前にも言ったじゃないか」
「その、誰よりも強いってのだって怪しいじゃないですか」
「なんだと……?」
「だって、テレンスさんは以前、アーネスト様はあいつに甘いって言ってたじゃないですか」
(えっ……?)
ヴィンセントとルークに手を貸してもらいながら剣と盾を片づけていたジェラールは動きを止めた。
(アーネストが俺に甘いって……)
振り返れば、言い募るアランを前にしてテレンスが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。ギャラリーはにやけ、顎に手をやるアーネストはバツが悪そうに見えた。
「……っ、俺が言っていたのはそういう意味じゃない」
「じゃあどういう意味ですか? アーネスト様があいつにわざと負けたりするから、あいつが強いように見えるだけじゃないんですか!?」
「アーネストも確かに強い。だが、ジェラールはもっと強いんだ」
テレンスは何とかアランを黙らせようとするが、興奮したアランは思うままに言葉を継ぐ。
「アーネスト様はあいつに甘く、勝ちを譲ってきたんでしょう? あいつ、魔女がいなかったら本当は強くないんじゃないですか!?」
「もう黙れ、アラン!!」
怒鳴られて首を竦めはしたが、少年の表情に浮かぶ不満は色濃くなる。
「だって……テレンスさんが一番強いんじゃないんですか……?」
「今はそんな話をしているんじゃない! まず彼女を疑ったことを謝れ!」
「──嫌です! 絶対魔法に決まってる!」
「アラン!!」
一際大きな声で叫ぶと、テレンスの制止の声を聞かず、アランは訓練所を飛び出して行ってしまった。
立てかけた剣に手を触れたまま、ジェラールは動けないでいた。
手の下からカタカタと音が聞こえる。手の震えが剣に伝わり、剣と台が小刻みにぶつかり合っていた。
(……アーネストが俺に甘い?)
アランの言葉はジェラールに大きな衝撃を与えていた。
(だから勝ちを譲られていたって? いつもわざとアーネストは俺に負けていたって? ……もしかして、他のみんなも?)
剣の訓練で自分と互角に渡り合うのはテレンスしかいなかった。他の騎士見習いとは最近の訓練では指導者として接してきた。
実際には、アーネストは自分に対しては剣筋が甘くなり、他の者はアーネストに合わせて手を抜き、真剣に刃を合わせていたのはテレンスだけだったのか。
アーネストを護るためと磨いてきた剣の腕は、まったく世間知らずのなまくらだったのか。
「あいつのことは気にしないでくれ。剣の腕も精神も未熟なんだ。間違いなく君が強いのは見ていてもわかったよ」
壁を向いていつまでも動かない少女に、少年達が声をかける。
「アランは自分の未熟さを人のせいにしてばかりなんだ」
「ああ。防御もしないで尻餅をつくなんて論外だ。なのに相手が卑怯なんだと反省もしやしない。どうしようもないんだ、あいつは」
疑われて少女が落ち込んでしまったと思い、次々とかけられる言葉は気遣うものばかりだった。
ジェラールは皆の言葉を素直に聞けなかった。アランの実力はあの通りだろうが、声をかけてくる皆は訓練で自分相手に本気を見せていなかったのなら。
(誰よりも強くなければいけないのに、俺は……俺が、アーネストの側にいるためには)
チェスも乗馬も狩りもアーネストに敵わなくなった。せめて剣の腕だけは誰にも負けないように、アーネストのことを生涯守り通せる騎士になれるように努めてきた。
真実は、その剣の腕すら誰にも通用しないなら、何もかも人に優るところがないのなら、クローディア姫と結婚して王となるアーネストの側にはとても仕え続けることなどできない。




