仮の姿で 1
アーネストが木製の扉を押し開ける。
室内には人の背よりも高い棚が空間を仕切るように幾つも立ち並び、どの棚にも革の表紙の厚い本が隙間なく詰め込まれている。
「ここは図書室だ。文字は読めるか? ……そうか、読めるなら今後利用するといいだろう。──誰かいるか?」
「……はい。どうかしましたかアーネスト様」
呼びかけに応えて、書棚の向こうから一人の男が顔を出す。
「ジェラールは来てないか?」
「いいえ。今日は一緒ではないのですか」
「ちょっと離れたら、どこへ行ったかわからなくなったんだ。具合が悪かったはずなのに部屋にも戻ってない」
「それは心配ですね。……おや、そちらの女の子は?」
男の興味が向けられ、ジェラールは軽く会釈をした。
ここに来るまでに何人も顔を合わせたが、誰も少女の正体に気がつかなかった。この姿でいる限り気づかれることはなさそうなので、いつしかジェラールは素知らぬ顔で振る舞えるようになっていた。
「この子は新しく城へ来た魔女だ。ミランダに城内の案内を頼まれてな」
「そうですか。ようこそ、奥ゆかしいお嬢さん。私はこの図書室の管理官をしています。もし本に興味があればどうぞこの図書室を利用してください。私はいつでも歓迎しますよ。なにしろ、最近はここの利用者が減っていましてね。言葉を知る喜び、物語の世界の面白さ、そして先人の遺した記録から学ぶ大切さ、それらが蔑ろにされつつあることは非常に嘆かわしいことです。どうぞあなたも──」
「それじゃ、俺達は行くからな」
「アーネスト様ももっと本を読みに来てくださいよ」
「時間がある時にな」
嘆く管理官を置いてアーネストは扉を閉めた。
「やれやれ……。もしここを利用する時には、あいつの長話に気をつけるといい。本を読めと言いつつ今みたいにずっと話しかけてきて、本に集中させてくれないんだ」
(本当にそうだ。彼がいるとじっくり本が読めなくて困る)
図書室から足が遠ざかっているのは、嘆く彼自身が原因だ。ジェラールは深く同意して何度も頷く。
「君もよほど本が好きそうだな。──ああ、ちょっといいか?」
ジェラールの仕草に笑みを浮かべたアーネストだったが、そこへ若い騎士二人組みが通りがかった。昨年まで一緒に訓練をしていた顔馴染みだ。アーネストは即座に彼らを呼び止めた。
「ジェラールを見かけなかったか?」
「いいや、見てないぞ」
「……そうか」
「一緒じゃないのか。珍しいな」
「だから探しているところだ」
「で、ジェラールの居ぬ間にその子とデートか? おまえも意外とやるなあ」
「ちょっと面倒を頼まれているんだ。そういうのじゃない」
「あの堅物に見つかったら、アーネスト、なんと乱れたことを! ってな感じで怒られるぞ」
「だからそういうのじゃないし、そのジェラールを探しているんだ」
「おお、頑張れよー」
「だからだなあ……」
からかいながら去っていく騎士達に、アーネストは手で顔を覆った。
こんな調子でアーネストは少女に城内の施設を案内しながら、行く先々でジェラールの行方を聞いて回っている。今は決してその姿が見つかることはないジェラールを。
「──本当にどこへ行ったんだ」
アーネストの呟きが指の隙間から溢れ落ちる。
申し訳ないと思いつつ、ジェラールも自分ではどうにもならないのでただ黙ってアーネストの傍らに立っていた。
案内を受けても、それは既に知り尽くした城のこと。誰と会っても自分の正体に気づかれないこともあり、姿を変えられた直後のような緊張感もなくなってきたジェラールは、アーネストの話に頷きつつ、考えごとをするようになっていた。
(どうして、ローザはそこまでして戦ったのだろう)
ローザの行動は魔女が城に保護されるようになったきっかけだが、それまでは国とは無関係だったはずだ。なのに何故戦場へ出たのか。
騎士とてただでは戦場へ赴かない。戦いは騎士に任せて欲しいとアーネストは言ったが、それは契約と報酬があっての話だ。かと言って、当時の国が既に騎士を抱えながら魔女一人とも契約を結んだとも思えない。しかもローザはただ魔法を使っただけじゃない。墜落したのが南方軍の中ということは、敵陣の頭上でその力を使っていたということだ。なんという無謀。
彼女にはそうまでして国のために戦う理由が個人的にあったということだろうか。
(想像もつかないな。俺には契約も報酬もなく戦う国のために理由などない。……アーネストのために戦うことしか考えられない)
ならばアーネストが国そのもの──王位を継ぐ人間だったなら、あるいは。
(……俺に当てはめて考えても仕方ないか)
一人の女が命をかけた理由。それはとても興味深いが、話を聞くことのできる相手はとうの昔に戦場で散ってしまった。
ジェラールは半歩前を歩くアーネストの顔を見上げた。
いつもと見える角度が違うためか、別人のように見える。
(やっぱり、この人は特別だ)
使役できる立場になくとも魔女に関する様々な知識を身につけていた。常に一緒にいたジェラールにそんな様子は微塵も見せずに、王族の一員としての教育を受けていた。
テレンスの家のように歴史はあっても領主自ら畑を耕しているのとは違う、また、アランの家のように商いで蓄えた財産で息子に身分を買ってやろうとしているのとも違う。魔女を保護するよりも昔から続く歴史があり、広い領地をまとめ、近隣一帯を支配下に置く、由緒あるウッドヴィル家の王子だ。
(やっぱり俺はアーネストのお側にいたい)
もしも奉公に出される時に言い聞かされていなくとも、アーネストに仕えたならこの思いが生まれることに変わりはなかっただろう。
それに、こうして他人として接してみて改めて感じる。アーネストは誰に対しても平等で優しい。きっとクローディア姫にも優しくするだろう。泣き尽くしたことでショックがやわらいだ今はただ、アーネストの幸せを願うばかりだ。
(結婚後も近習として変わらず側に置いてもらえれば……)
これから先もただひたすらアーネストに仕え、アーネストを護りたい。それを目標としてこれまで励んできたのだから。
(やっぱり俺には、ローザが国のために戦った理由なんてわかりそうにない)
ジェラールは狭量な己れにうんざりした。




