魔女のいたずら 2
「——!」
ジェラールの驚きは声にならなかった。
腕を上げ、手を見る。指先は自分の意志の通りに動く。この女の体は間違いなく自分の体だった。
魔法は未知の力だが、まさか人の体を性別から変えてしまうとは。
「大丈夫そうね。うん、さすがわたし」
満足そうなミランダに、ジェラールはなんてことをしてくれたのかと文句を言おうとした。
ところが声が出ない。いくら口を開いても喉の奥から漏れるのは微かな風のような音ばかり。
必死なジェラールの様子を面白そうに見つめていたミランダも、一向に言葉を発せず、段々と表情に焦燥感を滲ませていく様子に、ジェラールが喋ることができないことに気がついた。
「あらあ、完璧というわけにはいかなかったみたい。でも体はできたんだし、初めてでこれなら十分成功よね」
(初めて!?)
「そうそう人で試すことはできないしね。ジェラールがいてくれてよかったわ」
まったくよくない。もしも失敗して体がまったく別の変化を起こしていたらどうなっていたのか。
彼女は顔を合わせればいつも自分をからかって遊ぶが、これはあんまりだ。ジェラールはミランダに迫るが、どれだけ文句を言いたくても言葉が口から出てこない。
苦しさを吐き出せず涙が浮かんできたジェラールに、ミランダは子供を宥めるように頭を優しく撫でた。
「後で魔法は解いて上げるから。……せっかく違う姿になったんだもの、気分転換に好きに振る舞ってみるといいわよ。あんな顔ばかりしてないでね」
一瞬、ミランダの服を掴むジェラールの手が緩んだ。
「それじゃあ戻りましょ」
その隙にジェラールの手を擦り抜けて、ミランダが歩き出す。
こんな姿では人前に出られない。ジェラールは慌てるが、ミランダはさっさと行ってしまう。
仕方なくジェラールも逢瀬の場所を後にすることにした。腰は少し引けていたが。
(ミランダは心配してこんな魔法をかけたのか……?)
彼女の言葉をジェラールは一瞬そう捉えたが、恐らく違う。ミランダのことだ、これもいつも通り面白がってのことだ。もはや彼女の行動を諦めるとしても、問題はいつこの魔法を解いてくれるのかだ。
(アーネストが大公との話が終わる前には戻れるといいのだが……)
そんなことを思いながら表へ出たジェラールは、大股でこちらへ向かってくる人物を見て青ざめた。
(——アーネスト!? 戻ってくるのが早すぎる!)
「ミランダ!」
アーネストが声に怒気を含ませて呼びかける。
慌てたジェラールはミランダの後ろに隠れた。
足早に迫ってきたアーネストはミランダの前まで来ると、低く尋ねた。
「ジェラールはどこへ?」
アーネストの口から出た己の名前に、ジェラールは体を強ばらせた。
体は性別から変わってしまった。しかし顔はどうか。骨格が変わっただけなのか、まったくの別人の顔になっているのかわからない。今の自分をアーネストにどう思われるか怖かった。
「ジェラールならあの後すぐに一人で行ってしまったわ」
「なんだと?」
アーネストの顔が険しくなる。
「ジェラールのことをくれぐれもと頼んだじゃないか。あんなに具合が悪そうにしていたのを」
「ごめんなさいね」
まったく悪びれずにミランダが謝る。
「しかしジェラールは自室にいなかった。一人でどこへ行ったんだ?」
「わからないわ」
「ミランダ……」
アーネストはジェラールは非常に具合が悪く、ミランダがその面倒を見るのだと思った。そう思うように仕向けられた。ところがミランダは早々に看護を放棄したのだと言うのだから、アーネストがミランダを非難するのは当然のことだった。
「だから、ごめんなさいって。……それよりアーネスト様。これからジェラールを探して回るの?」
「もちろんだ」
「それなら、探すついでにこの子に城内を案内してあげてくれない?」
ミランダは自分の後ろに隠れていたジェラールをアーネストの前に押し出した。
(——アーネスト……!)
女になった自分の姿をアーネストの前に晒されて、ジェラールは心臓が飛び跳ねる。
いつもよりずっと高い位置から見下ろす視線が怖い。険しい表情は不実を装うミランダに腹を立てているからだとわかっていても、彼女の嘘の片棒を担いでいる形になっている自分を責められているようでつらい。
「その子は? ……誰かに似ている気もするが」
ジェラールは顔を強張らせる。
「可愛い子でしょ? 新しい魔女なの。だから城内を見せてあげたくて」
「ミランダが案内すればいいだろう」
「私は先生を待たなきゃいけないから」
「ああ……その子はヴァネッサ殿に似ているのか」
「そうね。先生と少し似ているかも。でも先生とは血筋も何も関係のない子よ」
「そうなのか? 似ているのは髪の毛のせいか? ……ともかく、魔女の面倒は魔女がみるべきだろう。俺が請け負うことではない」
「ジェラールを探すついででいいのよ、アーネスト様」
「……わかった」
「それから、この子喋れないから。そういうことでよろしくね」
「なに?」
「じゃあ頼んだわねー」
言うだけ言うと、ミランダはひらりと身を翻した。
「おい、ミランダ!」
慌ててアーネストは名を呼ぶが、ミランダは軽やかな足取りで通路の向こうへ消えてしまった。もうアーネストには追いかけられない。
深く息を吐いてアーネストは肩を落とした。
「……せめて名前ぐらいはだなあ……」
(アーネスト……すみません)
脱力した後ろ姿に心の中で謝罪しつつ、こんな姿になった自分をアーネストに気づかれずに済んだことにジェラールは安堵していた。少し寂しくもあったが。
アーネストはすぐに気持ちを切り替えると、所在なげに佇むジェラールを振り返って笑顔を見せた。
「ま、あれが君の大先輩であり、宮廷魔女ナンバー2のミランダだ。君の名前を俺に教えることもうっかりするような少々困った人だが、気に入られているようなら懇意にしておいて損はないだろう」
(魔女として気に入られてたら、もっと色んな目に遭わされそうだ……)
「君はいいのかな? これから俺が城内を案内しても? さっき話していた通り、俺の人探しのついでになるが」
声が出ないのでジェラールは黙って頷く。
(……声が出せなくて、かえってよかったかもしれない)
必要なことも言えないが、余計なことも言えなければ自分がジェラールだと気づかれずに済む。長く伸びた髪を揺らし、緩やかなスカートを腰に巻きつかせた、こんなふわふわした格好をした自分を気づかれたらみっともない。そう考えて余計に羞恥を覚えたジェラールは、スカートを握り締めて俯いた。
「知っているかもしれないが、一応名乗っておこう。俺はアーネスト・ウッドヴィル。ウッドヴィル家の第三王子だ。もっとも、数ヶ月後にはおそらくこの城を去っているが、それまではもしなにかあれば遠慮なく頼って欲しい」
話すこともできず、まだ環境に馴染めていない。そんな様子の少女へかけるアーネストの優しい言葉を聞いて、ジェラールは血の気が引いた。
(……やっぱり、大公のお話は結婚のことだったのか……)
数ヶ月後にはアーネストはクローディア姫と結婚するためにこの城を去っている。
そう思った瞬間、目尻から涙が滑り落ちた。
(どうして……俺、泣くつもりなんかないのに)
後から後から溢れる涙にジェラールは戸惑う。止めようと思っても止まらない。
「どうした? なにか悲しいのか? 故郷が懐かしいのか? それとも、俺は何か君の気に障るようなことを言ってしまったのか?」
ジェラールは顔を覆いながら首を振る。
アーネストが困っている。彼を困らせたくはないのに、涙は止まってくれない。
「とりあえずどこかへ移動しよう」
周囲を見回して壁際に転がしてる丸太に目を留めたアーネストは、そこへ移動しようとジェラールの腕に軽く触れて促した。
大きな手の感触にまたこみ上げてくるものがあり、ジェラールはとうとう嗚咽を漏らしてしまった。
それからずっと衝動のままに涙を流し続けて。
いつのまにか止まっていた時には頭が重く、全身が倦怠感に包まれていた。けれど胸の奥は軽くなっていた。
そのまましばらくぼんやりとしていたが、人の気配を感じて隣を振り返った。
ジェラールから少し距離を置いて、同じように丸太に座っているアーネストがジェラールをやわらかな眼差しで見つめていた。
ジェラールが泣いている間、ずっと側で待っていたのだ。
「落ち着いたか?」
(も、申し訳ありませんっ)
「もうしわけ……? ああ、気にするな。君も色々あるだろう。俺にはそれがわからなくてすまないが。タオルを借りて来るからちょっと待っててくれ」
ジェラールが咄嗟に動かした唇から言葉を読み取ると、アーネストは駆けていく。
(アーネスト……優しい)
ミランダを前にしていた時の機嫌の悪さが嘘のようだ。
(俺には無体なことばかりするのに、他人だと優しいな。……反対だったら大変か)
ぼんやりと考えていると、アーネストが戻ってきた。
「これで顔を拭くといい」
濡らしたタオルを差し出され、ジェラールは唇で礼を伝えて受け取る。
そっと顔に当ててみれば、冷たいタオルが火照った顔に心地よい。
アーネストはジェラールの隣に再び腰を下ろした。
「ところで、君は新人ということだが、この城での魔女についての決まりなどは聞いているかな?」
ジェラールは首を振った。
魔女は王の前以外ではその力を使ってはいけないことは知っている。しかしそれは魔女以外の者にも戒めるための通告のようなもので、他にも決まりがあるであろうことは想像がつく。
「では、俺から軽く説明してもいいか?」
深く考えずに頷いて、ジェラールは驚いた。それは自分が聞いてしまってはいけないのではないだろうか。慌ててアーネストの顔を見上げる。
それが話を聞く姿勢に見えたアーネストは、表情を真剣なものへ変え、ジェラールが止める間もなく話し始めた。
「魔女を城で囲うのは、魔女の力を制限するためではない。当家では魔女を保護したいのだ。魔法を使うことは構わない。だが、魔法を使えない者に見せつけるような真似をしてはならない。これは絶対だ」
重々しく語られる言葉に、ジェラールの脳裏をミランダの顔がよぎったが、無視して頷く。
聞き始めてしまったものは仕方ない。せめて、元の体に戻った時にうっかり口を滑らせることはすまいと心に決める。
「そしてこれが最も大切なことなのだが……その力で無茶な真似をすることのないように」
(無茶……?)
「……魔女に関する歴史だ」
アーネストの声が静かに言葉を紡ぐ。
「二百年近く前、我が国と南方地方が争っていた頃のことだ。当時は国境だった〝風駆ける丘〝を戦場として双方の兵士が剣を交えた時、一人の魔女が天空に現れた。勇敢なるその魔女ローザは南方の兵士の矢の軌道を狂わせ、馬を惑わし怯えさせ、我が国のためにその力を大いに振るったという。——しかし、戦闘のさなかに南方陣営に墜落し、二度とその姿は確認できなかったそうだ」
(……敵陣営の中で、消えた……)
「ローザが身につけていた水晶の欠片だけが見つかり、それは今でも王の寝室に飾られている。魔女は水晶があると力が増すそうだな。ローザは良質な水晶が採掘される洞窟の近くにある村の出身だったという話だ。——ともかく、ローザの尽力もあり勝利を収めた我が国はその後すぐに、魔女と確認された者は城内へ保護するものと定めた。魔女の力を国が利用するためではない。国のために無茶をさせないためだ。——わかってくれるか?」
優しく諭す声と共に真摯な眼差しがジェラールを貫く。
「魔女には単身で兵団に対抗しうる力があるのかもしれない。比べれば騎士は非力かもしれない。だが騎士は戦うために在る。名誉と誇り、そして忠誠を誓った主の許で戦うために在るのだからな。俺も近く騎士に叙せられることが決まっている。戦いは我ら騎士に任せて欲しい」
アーネストの視線をまっすぐに受けながら、夢心地にジェラールは頷いた。
(アーネスト……いい顔をしてる……)
正直なところローザの話には驚くばかりだが、それを話すアーネストの表情は、ジェラールが思い描いていた騎士アーネストの顔だった。
(本当に立派になって)
訓練では肩を並べて一歩も引かないが、従者としてはアーネストには誰よりも立派な騎士になって欲しいと願っていた。今こうして王家の一員として話すアーネストの態度は立派なもので、ジェラールは胸に熱いものがこみ上げてきて、また涙ぐみそうになる。
(俺、さっきから涙脆くて変だ……。女になっているからか……?)
目頭が熱くなり、タオルを押し当てて泣くのを堪える。
「……ところで、そろそろいいか」
(……?)
「人を探しに行きたいのだが」
遠慮がちな声に、ジェラールはこの状況になる前のことを思い出した。
(——そうか。アーネストは俺を探そうとしてたんだった)
今の自分はそのついでに面倒を見てもらう新人魔女。そういうことになっているのに、ジェラールにとってはいつも通りアーネストと共にいる状態なので、すっかり忘れて時間を取らせてしまった。
頷いて立ち上がると、アーネストも安堵した様子で立ち上がった。
「ではついてきてくれ。君に城内を案内しよう」




