きっかけ 2
テレンスに付き添われた縮こまった後ろ姿を見送って、ジェラールはアーネストを振り返った。
「大げさですよ、アーネスト」
アーネストが自分を認めていることを言葉にしてくれたのは嬉しい。けれど半身とまでの表現は恥ずかしくて、喜びを素直にアーネストに伝えることができなかった。
対して彼は、心外だと言わんばかりの表情になった。
「俺は事実しか言ってないぞ? おまえは努力家だし俺達の中では誰より強い。俺はそれをよく知っている。だからアランの言葉は許せなかった。正直、アランの身を送り返したいぐらいだな。金で騎士の身分を買うのはかまわないが、それとあの態度は別だ。騎士を目指す者の態度ではない」
「……まあ、アランはまだこの城に来てから日が浅いですし……それに、アランにああいう態度を取られるような迂闊なところがたぶん俺にもあるんでしょう」
「——おうよ! わかってるじゃねえか、ジェラール!」
アーネストと顔を突き合わせて話をしていると、大きな声が割って入ってくると同時に背中を強く叩かれた。
「……なにがわかってるって?」
ヒューゴーに叩かれた場所に腕を回してさすると、アーネストもそこをさすってくれる。
「おまえにも迂闊なところがあるって話だよ! 自分でわかってるじゃねえか」
満面の笑みで褒められて、ジェラールは眉間に皺を寄せた。
言ってはみたが、本当はアランが自分に対してテレンスやアーネストとはまったく違う態度を示す原因はやっぱりわからないし、突然割って入ってきて迂闊者と繰り返されるのは頭にきた。
「生憎だが、わかってない」
不愉快さを隠さずにきつく睨みつけたが、ヒューゴーには効かなかった。
「なんだそうだったのか? 本当に面白いなおまえ、からかいがいがある」
「からかうってなんだ!」
「そういう反応が面白くてからかいがいがあるんだよ、ジェラールは。アラン坊もたぶん、そんな反応に調子に乗るんだろ」
「それは少しわかるな」
「王子!? 今のがわかるとは、どういう……」
「——ハーハッハ!」
突然、ヒューゴーが心底愉快だという風に笑い声を上げた。
アランのせいで神経がささくれ立っていたジェラールは、その大声によって我慢の限界に達した。
「何がおかしい、ヒューゴー!! 人を馬鹿にするのもいい加減に……!」
「いやー、やっぱりおまえは面白いなと思ってさ」
「だから何が……っ!」
「おまえ、興奮するとアーネストを王子って呼び出すんだ。わかりやすい。興奮というか、動揺した時か?」
ジェラールは絶句した。
アーネストも目を丸くする。
「動揺すると……か。確かに、時々呼ばれる時はそんな感じだったかもしれないな」
「アーネスト、気づいてなかったのか? いつも言われていている本人もけっこう気づけなかったりするもんなんだな」
「俺を怒る時に言い出すのかと思っていた」
「そんなに怒られているのか。面白いな、おまえらは」
アーネストは関心した風に頷き、ヒューゴーはやはり笑っている。
ジェラールは衝撃に早駆けする胸を押さえた。
この城へ送り出される時、仕える王子への忠誠心はよくよく叩き込まれた。
いざ到着すると、仕えるはずだった第一王子は川での事故で直前に亡くなっており、ただの騎士見習いとして暮らしていくことになった。しかし、事前によく言い聞かされていたこともあり、ジェラールにとっては同年で同時に騎士見習いとなった第三王子アーネストが自分の仕える王子となった。すべてを我が主に捧げるぐらいの気持ちで畏まったアーネストに接して、もっと打ち解けて欲しいとアーネストには何度も言われた。
名前で呼ぶようになった今でも時々、考えるより先に王子と呼びかけることがあるが、それが動揺している時だと指摘されてみれば、確かに心当たりはあった。
「おまえが王子って呼ぶたびに気になってたんだよな。アーネストも将来は俺達と同じ身分になるのによ」
ジェラールは唇を噛み締める。
自分でまったく気づいてなかった点を人に指摘されてしまったことが悔しい。
負けたくはない、誰よりも。誰よりも強く、誰よりもアーネストを守れる騎士になれるように、人一倍努力を重ねていると自負している。もちろんアーネストにも負けてはいられない。弱くては彼を守れない。
けれど、年月を経て体格差がつくなるにつれ、どうしても他者に敵わない点が出てきた。ヒューゴー相手の体術は元より、アーネストにはチェスや馬術は敵わなくなり、古語や弓の腕前は五分五分。今や自分が優っているのは剣術だけ。それが悔しくもあり、共に成長し自分を追い越したアーネストが頼もしくもある。
「どうしたよ、二人共黙りこんで。腹減りすぎて喋る体力もなくなったかあ?」
ヒューゴーの声にはっとして顔を上げると、同じタイミングでアーネストも顔を上げた。
気がつけば朝食が用意されている塔はすぐそこで、煮込まれたスープの匂いがはっきりと嗅ぎ取れた。
「今朝は……鴨と豆のスープか」
「よくわかるなあ、ジェラール。前から思っていたが、おまえ鼻いいよな」
「普通だろう」
「いやいや、俺には美味そうな匂いとしかわからねえぞ」
「そんなことでは、いつか毒きのこを掴むぞ」
「美味なら食ってみたいかもな、毒きのこでも」
「……鍋の具には混ぜないでくれよ」
「料理人挟むから大丈夫だろ?」
陽気に笑うヒューゴーに頭を振って、ふとアーネストの姿がないことに気がつく。
アーネストはいつのまにか立ち止まり、数メートル後方にいた。
「どうしました、アーネスト」
「……うむ、ジェラール。俺は考えたんだが」
「はい?」
思案顔で追いついてきたアーネストが、ジェラールの肩を抱いた。
「わかりやすいとか、しかもそれが動揺した時というのは、相手に隙を見せやすいと考えるとあまり歓迎できることではないな」
「ええ、まあ……」
「そこでだ、ジェラール。俺を王子と呼ぶのをまったくやめよう」
「え? いえ、普段は呼んでないじゃないですか。ヒューゴーが言ったのは無意識に出てしまっているという話で」
「だから、その無意識を押さえ込めという話だ。弱点は潰しておいた方がいい」
「無意識だから難しいと思います」
あんまりあからさまなら直した方がいいかもしれないが、指摘してきたのはヒューゴーが初めてだ。そこまで問題ではないはず。
「ああそうだ。だからその無意識を嫌でも直せるように、今度から俺を王子と呼んだらおまえに罰を与える」
人差し指を突きつけられながら厳かに宣言されて、ジェラールは目を丸くした。
「——どうしてそんな話になるんですか!?」
「おまえのためだ、ジェラール」
「本気で言ってます?」
ジェラールはアーネストに疑いの眼差しを向ける。それも仕方のないことで、アーネストは生真面目そうに口元を引き締めながら、目元はやんわりと笑みを見せていた。
「どんなペナルティにする気なんだ、アーネスト」
「ヒューゴー、煽るな」
「まだ考えてない。でもなにか、俺を名前で呼びたくて堪らなくなるようなすごいのがいいな」
「やめてください! いいじゃないですか、ちょっと間違って王子って呼ぶことがあっても。誰だって動揺する時ぐらいあるでしょう」
「王子と呼ばなくなるだけでいいんだ」
「おい、今ジェラールが王子と呼んでいたぞ」
「ヒューゴー、いい加減にしろ! 今のは違うだろう!」
「ジェラール。常々言っているが、俺も将来は一介の騎士となる身。王子と呼ばなくていいのだし、なにより、おまえにはいつも名前で呼んで欲しい」
「……アーネスト……」
不意にアーネストが表情を弱々しく変えて見せるものだから、ジェラールも困ってしまった。
ジェラールの抵抗する意思が弱まったのを見て取り、アーネストはにっと口角を上げた。
「では決まりだ。罰は後で考えておく。……ジェラール。これもおまえの弱点を一つなくすためだ。頑張ってくれるだろう?」
にこやかに、けれど有無を言わせない力強さでアーネストが告げると、ジェラールの後ろでヒューゴーが豪快な笑い声を上げた。
ヒューゴーはジェラールの肩を抱いていたアーネストの腕を剥がすと、今度は自分がアーネストの肩を抱いて歩き出した。
「おう、アーネスト。どんな罰にするか決めたら俺にも教えろよ」
「断る。これは俺とジェラールの間での取り決めだ。人には教えん」
「ジェラールの癖を指摘してやったのは俺だぞ」
「それは感謝するが、ここから先は俺達二人の問題だからな」
「ったく、おまえも大概頭固いよな」
すげなくされてもヒューゴーは楽しそうで、アーネストも返事はつれなくとも肩は抱かせるままにしている。
ジェラールは困惑を抱えたまま、前を行く二人の背中を見ていた。
この二人は時々すごく仲が良いように見える。
普段は互いに関心がなさそうなのに、たまに言葉を交わすと、先ほどのように気が合う様子を見せる。ヒューゴーは乱暴だが根はいい男なので二人の交流に反対はないのだが、でも、どうしてこんな話で。
この時のジェラールは、罰を与えられるという話には戸惑っていたが、アーネストがどんな罰を与えてくるのか、その内容はまったく気にしていなかった。彼は人に無理を強いるような男ではないことはわかっていたからだ。
それからしばらくは、ジェラールはアーネストに話しかける時に常に緊張を強いられた。けれど思わず王子と呼びかけることがあってもアーネストは特に反応を示さず、ヒューゴーも話を振ってくることもなく、ジェラールはいつしかそんなやり取りをしたことも忘れた。
アーネストが事を起こしたのは、それから一ヶ月ほど経った日のことだった。




