きっかけ 1
あれは半年前、剣の訓練の最中でのこと。
その日は朝稽古を騎士見習いの少年だけで行っていた。
剣と剣、声と声、気合と気合がぶつかり合う訓練所。
二人一組で剣の訓練を行っている中、体の小さな一人の少年が地面に座り込んだ。
「——あーあ、腹減った。早く飯にありつきたいなあ」
騎士見習い最年少のアランは、手にしていた練習用の剣を横に下ろし、まだ幼さの抜けない顔つきでだらしなく口を開いて空を仰ぎ、疲れた様子を見せる。
彼と組んで訓練していた見習い最年長のテレンスもその隣に並んで腰を下ろす。こちらは余裕のある様子で、細身ながら筋肉質な腕を伸ばし、アランのきつくウェブがかかったブロンドを宥めるように撫でた。
「まもなく訓練も終わりさ。そうしたら朝食だ。真面目に訓練した後の飯は美味だからな」
少年の顔を覗き込むために首を傾げたテレンスの肩から、朝露に濡れた蜘蛛の糸のように輝く髪が零れ落ちる。
厨房では料理人達が毎日、城内の人々の胃を満たすために腕をふるっている。そして今も、火にかけられた大鍋から立ち上る湯気が煙突を通して塔の外へ排出され、スープを煮込むいいにおいが厨房から離れたここまで漂ってくる。空きっ腹にはなかなかの刺激だ。
やわらかく目を細め、テレンスにされるままでいたアランが、ふと思いついたという風に手を打った。
「毎日毎日訓練しなくてもさ、魔女がさ、なにかちょちょいと強くなれるような魔法を掛けてくれないのかな?」
「魔法にはそんなものも?」
「いや知らないけど。でも、魔女って魔女にしかない特別な力を持ってるって話だし。すごく強くなれる魔法なんかもあるんじゃないかな」
これはいいことを考えついたとアランが目を輝かせる。
どうも手を抜くことを考えがちの少年にテレンスは苦笑を浮かべた。
この城に来てからまだ日が浅く、騎士見習いの中では最年少。そのぐらいの時期のテレンスは毎日を緊張の中で過ごし、先輩騎士に必死についていこうとしていたのに、アランは非常に楽天的だった。何故だか彼に懐かれているテレンスはよき教育係になろうとしていたが、どうもアランのペースに引きずられがちだった。
「……魔女の魔法で強くなれるなら、おまえより先にここに来ている僕はもうすごく強くなっているはずだよ。それに、宮廷魔女は王の御前でしかその力を使ってはいけないことになっているから、どちらにしても魔女の魔法でどうにかというのは無理だ」
「やっぱ駄目なんかなー」
「——こら、そこの二人! なに休んでいる!」
突然厳しい声が飛んできて、すっかりくつろいでいたアランは反射的に首を竦めた。
恐る恐る振り返ってみれば、ジェラールが険しい顔付きでアランを見下ろしていた。叱責を飛ばしたのはジェラールだった。
「訓練はまだ終わってないぞ」
「もういいじゃん。俺、頑張ったぞ?」
「終了前に勝手に休んでいるのが頑張った者の態度だと?」
「頑張りすぎて疲れちゃったからさー」
「頑張って、何が身についた?」
「何がって……何かついたんじゃないかな? やっぱ筋肉?」
反省という言葉を知らないアランのおどけ具合に、ジェラールは眉をひそめる。
他の少年達は訓練を続けながら二人のやり取りを窺い、声を潜めて言葉を交わしていた。
「ジェラールが監督すると、先輩達より厳しいよなあ」
「だからこそ彼が任されているんだけどね」
騎士見習いの少年の中ではジェラールが一番剣の腕が立つ。またその生真面目さから、しばしば少年だけ行われる訓練はジェラールが指導を任されていた。
「——まあそれも、相手に話が通じなきゃどうにもならないけどね」
気難し屋と無邪気のやり取りを端から眺めながら、ヴィンセントとルークは苦笑した。
ジェラールの厳しい視線をものともせず、まだ地面に腰を下ろしたままのアランがジェラールを正面から見上げた。
「それよりさ、あんたに聞いてみたいことあんだけど。あんたが強いのはさ、魔女に魔法をかけられているからじゃないの?」
「……?」
「ほら、なんか仲がいい魔女がいたよな」
「ミランダのことか?」
「そんな名前? ともかくさ、あの人に剣が強くなる魔法とかかけてもらってるからそんなに強いんじゃないか?」
「……魔女は魔法を王以外のために使うことは禁止されている」
「でもさ、仲はいいんだろ。だったらなんか魔法見せてもらったことあるんじゃないの? で、剣が強くなったとか」
テレンスに肩を叩かれているのも構わず、アランは目を輝かせながらジェラールに食い下がる。
「……見ていない」
「いやいや、なんかあるだろ? なあ、魔女の魔法見せてもらえるコツ教えてくれよ」
「だから禁止だと言っている」
表面上は厳しくアランに接しているジェラールだったが、内心では弱り果てていた。
ジェラールはこの年下の少年を苦手としていた。彼と話をすると、同じ国の言葉を話しているはずなのに会話になっている気がしないのだ。
声をかける前に少し様子を見ていたが、魔女の魔法についてはテレンスが説明していたし、アランも知っている様子だったし、ジェラールも今言ったばかりだ。なのに、便宜を図って欲しいと求めてくる。
ジェラールは母親が縁があったことからこの城で騎士見習いとなっただけで、王どころか王族ですらない。なのにアランは魔法が魔法がと繰り返している。彼と言葉を交わす機会があるといつしかこんな風に会話が噛み合わなくなり、いつも悩まされている。
「……アラン。おまえは魔女の魔法を見てみたいのか?」
どう言ってアランに諦めさせるか苦慮していると、後ろから肩を抱かれた。
振り向くと、アーネストがジェラールを抱えるようにしてにこやかに立っていた。
ジェラールは身じろいだが、強い力に引き止められた。
「アーネスト様」
アランの興味がアーネストへ移った。
「そういえば、アーネスト様は王の一族だから、アーネスト様が言えば魔法を見られますよね」
「で、魔法で剣の腕を上げようと?」
「ですね。その方が手っ取り早いし」
「——ふざけるんじゃない!」
アーネストの声が低くなった。
笑顔から一転、怒気をまとったアーネストの変化に、アランはきょとんと目を丸くする。
「俺はジェラールと共に訓練を重ねてきた。共に剣の腕を磨き、ジェラールがどれほど努力を重ねてきたかずっと側で見てきた。そのジェラールが魔法に頼る卑怯者だと疑うということは、共に訓練を重ねてきた俺のことも同時に侮辱することになるが、それを承知の上で言っているのか?」
「え……?」
「俺だけじゃない。ここにいる皆や、叙勲された先の騎士達についてもそうだ。この城の騎士達は己の努力によって精進することをせず、隙あらば国王の目を掻い潜って魔女の力を利用し、見せかけの力を誇示して済ませる怠け者の集まりだと?」
「俺、そこまで言ってないです」
「言ったも同然だと言っている」
「そんなつもりじゃ……」
「なら、どういうつもりでジェラールを疑った?」
アーネストが見下ろす先で、アランが青くなっている。
「俺、ただ強くなりたくて」
「自ら努力することを放棄した者の言葉とは思えんな」
アーネストが激昂する姿は珍しい。
周囲の少年達は皆、成り行きを見守ってはいるが、誰も何も言わない。ジェラールに絡んでいた時には止めようとしていたテレンスでさえ手を下ろし、アランに助け舟を出す者はいない。
「ジェラールの強さにはちゃんと理由がある。いつも共にいる俺はそれをよく知っている。俺にとってジェラールは共に騎士を目指して努力を重ねてきた仲間であり一族であり、我が半身にも等しい存在だ。そのジェラールを侮辱することは俺が許さない」
ジェラールは己の体が熱くなるのを感じた。敬愛する彼に我が半身とまで言われて、興奮を覚えずにはいられなかった。
けれど喜んでいる場合じゃない。
アランは瞳を潤ませながら小刻みに震え、今にも倒れそうな様子だった。ジェラールはアランにもっと真面目に訓練に取り掛かって欲しいだけで、決して怯えさせたり、泣かせたりしたかったわけじゃない。
「……もういいでしょう、アーネスト。アランももうわかったでしょうから」
ジェラールは肩に触れる手に手を重ねた。
「……ジェラールがそう言うなら。——アラン! 次回からはもっと真面目に励め」
「はい!」
緩みかけた表情を引き締めて大きく返事をした後、アランは今度こそ顔を歪めて泣き出してしまった。
すると、ずっと様子を見守っていたテレンスが動き、アランの頭を抱えた。
「すみません、アーネスト、ジェラール。俺の方でもアランのことは今後よく監督します」
「テレンスさん……!」
慕っている彼の言葉に、アランは泣き濡れた顔のままあっという間にご機嫌になった。
ただ、アランの頭を撫でつつも、テレンスも容赦がなかった。
「アラン。俺もジェラールのことはよく知っている。ジェラールはこの城に来た時から誰よりも真面目に訓練を重ねていた。元々器用でもあったが、努力家なんだ。そんなジェラールが誰よりも剣がうまくなるのは当たり前のことだろう。おまえみたいに手を抜くことは考えていないんだ」
テレンスに叱られ、アランは消沈する。
次々と畳みかけられていくアランの様子にジェラールが困っていると、ふらりと近づいてくる気配があった。
「あんましょげるな、アラン坊」
同世代から文字通り頭一つ抜き出た高身長。逞しい腕に広い肩、太い足。並外れて恵まれた体を揺らして歩いてくるのは、一つ年下のヒューゴー。緩やかにウェブがかった赤毛の下に不適な笑みを浮かべている。
「確かにジェラールは剣は強いが、完璧じゃあないからさ。——そうだろう、ジェラール?」
嫌な予感に、ジェラールは瞬時にアーネストから離れてヒューゴーに向き直った。
「俺の相手をしてみてくれよ、ジェラール」
「相手をしてくれって、ヒューゴーおまえ、剣は」
「戦いは剣ばかりじゃないだろ——!」
「——ぐっ!」
手ぶらのヒューゴーに一瞬で距離を詰められ、押し返せなかった。
正面から向き合い、指を絡ませる形での組み合いになった。勢いを受け止めた腕は関節に従って肘が曲がり、ほとんど手首だけでの抵抗になる。ヒューゴーに体重を掛けられるととても敵わないのだが、なんとか両の踵に力を入れて踏ん張った。
騎士見習いになったばかりの頃のヒューゴーは生白くひょろりとした体つきで、そばかすが浮かんだ顔でおどおどしているばかりの子供だった。今でも生白さは変わらないが、見習い少年一の体躯を誇るようになると、なにかと腕力を見せつけるようになってしまっていた。
ジェラールが必死の思いで踏ん張っているのに、すぐ目の前に迫るヒューゴーの顔はにやにやと笑みを浮かべ、純粋な腕力の差を見せつけている。
「やっちゃえやっちゃえ、吹っ飛ばしてやれー!」
すぐ近くで上がる歓声はアランのもの。視界の端で楽しそうに拳を振り回している。テレンスが止めようとしているが、それに気づく様子もなくはしゃいでいる。
「よそ見をしてる場合かあ?」
さらに力を篭めて、余裕の表情が近付いてくる。
まったく押し返すことができず、ジェラールがただただ歯を食い縛って踏ん張っていると、ふと目の前のヒューゴーの表情が気の抜けたものになり、腕の力も抜けた。
そして、誰かの腕がジェラールの胸元に回ってきた。
「ヒューゴー、それぐらいにしておけ。今は格闘技の時間じゃないだろう」
アーネストがジェラールの背後から腕を回し、抱き寄せるようにしてヒューゴーから引き離した。
自然にアーネストの胸に収まる形になりながらジェラールが横を見遣れば、アランは今のやりとりが相当愉快だったらしく、にまにまと笑みを漏らしている。その後ろではテレンスが額を押さえていた。
ここまで来ると、さすがに見過ごすことはできなかった。
ジェラールはアーネストの腕を振り払うと、腰に下げている剣の柄に手をかけた。
「——アラン。剣を取れ」
「え?」
「残りの時間、俺がみっちりおまえをしごいてやる! 剣を取って構えろ!」
「ええっ!?」
「おい、ジェラール」
「おお、将来のナンバーワン騎士に訓練をつけてもらえるとは幸運だな、アラン」
「俺はテレンスさんが相手してくれるからあんたの指導なんていらないよ!」
「アラン。一回、ジェラールにしっかり稽古をつけてもらうといい。おまえもきっと得るものがあるから」
「そんな……っ」
テレンスに前へ押し出されてアランが悲壮な表情を浮かべたその時。
ガンガンと鍋を叩き鳴らす音が中庭に響き渡った。朝食の準備が整った報せだ。
「時間切れだな」
ヒューゴーが肩を竦めた。
「——これにて訓練を終了する! 各自使用した剣や防具等は元に戻しておくように」
訓練の終了をジェラールが告げれば、少年達は剣を下ろし、一気に空気がくつろいだ。真面目に訓練はしていても空腹を抱えていたのは皆同じ。育ち盛りの少年達はやっと朝食にありつけることに大いに沸いた。
当然のごとくアランも喜び、今にも駆け出して行きそうだったが。
「——アラン」
ジェラールが呼び止めた。
「ん? なんだよ」
「次回の訓練ではおまえの相手は俺がする」
「え?」
「覚悟しておけよ!」
「ひっ……!」
強く言えば、アランは小さく悲鳴を上げた。その怯えた表情をジェラールは厳しい眼差しで見据える。
少しばかり大人げないとは思うものの、アランに対してわずかでも同情したことへの後悔の方が上回っていた。




