つかめない
進路指導室には観葉植物や、絵画が飾られている。生徒達に圧迫感などを与えないようにという配慮かららしい。まず、私は自分の名前を口にし、簡単な自己紹介をした。それから父親が書いたと思われる指導用紙に目を通す。美香ちゃんや両親の略歴が書かれている。どうやらキッチリ書いてくれたようだ。
父親の名前は、日本神話に出てくる英雄に似ていたけど、まぁ探せばいるだろうという名前だから、その英雄にちなんで命名された可能性はないともいえない。私は一応、尋ねてみた、少しでも場の空気を良くするために、「ヤマタノオロチを倒した英雄に名前が似てますよね」と言ってみた。すると彼は、「そうかもしれないですね」と低い声それに陰鬱な表情で答えた。私は、どうやら聞いてはいけないことを聞いてしまったと判断して笑顔で「そうなんですよ」と返事をするしかなかった。人のトラウマはどこに潜んでいるのかわかったもんじゃない。
父親の職業は「フリーター」となっていて、その年でしかも中学生の子供がいるのに、経済的に大丈夫なのか、と不安そうな顔をした私を彼は察したのか、「そう書くしかないんですよ、仕事のある時期とない時期があるので、けど収入なら普通のサラリーマンの5倍はありますから」と貧乏とは無縁そうな表情で彼はそういうが、私は全く信じられなくて「そうですか」富む表情でうなずいた。
「それじゃ、その時期になるとお忙しいんでしょうね」
「忙しいってもんじゃないですよ、死んじゃうくらい」
「というと、今は暇な時期なんですか?」
「そうだよ、まぁ仕事のことはこの辺でいいでしょ」
私はそれはそうだと思い、気分を取り直し、生徒指導を始めることにした。
美香ちゃんはその間ずっと空を眺めていた。
父親が、美香ちゃんの様子をじっと見ている。嫌な感じだ、と思った。娘を見つめる優しさや暖かさが全く感じ取れなかった。睨み付けて、監視をする、冷たい目だ。
「ひとつずつ教えてくれるといいんだけど」私は、美香ちゃんをこっちに集中させようと、穏やかに話を続けた。「その日の朝は何を食べたの?パンかな?」
まずは、簡単で日常的なことから答えを求める。穏やかな質問を続けて、この指導が、ただ闇雲にお前が悪い事をしたと叱る場所ではないんだということをわかってもらう。あくまで教師は生徒にとって中立の立場だと言うことを理解してもらう。不安や警戒を取り除き、少しでもいいから信じてもらい、本心を話してもらう。それが私の生徒指導のポリシーだ。
教育実習のときに、担当の先生に教えてもらったことはこうだった。「教師は心理学を用いて、どんな子供が非行に走るのか、理解することだ。そしてそれを適切に指導する。非行に走る子供なんて大抵、考えていることは同じだ、だから早く指導パターンを見つけろよ」
それはどうなんだろう、私の人生経験では、確かに非行少年少女は似ている気もするが、決してその理由が同一なんてことは無いと思う。そう考えると、私はもしかして教師として向いていないのかもしれない、なんてその頃は思っていた。
実際やってみた教師の仕事は、パソコンで正確にタイピングをしたり、レジをすばやく打って、スムーズに会計をする、なんていう単純なものではなかった。
私たちは頭をかきむしり、時に心をナイフでさすような気持ちで、生徒達の処遇を決める。場合によっては、彼らに裏切られ、自信を喪失したりする。そう、私のように。
ふいに、三上くんが怒っていたときの事を思い出した。去年のことで、その時の学年主任から「早く生徒指導なんて終わらせろ」とせかされた時のことだ。「プロなんだから、生徒が起こす問題を指導するくらいパターンでどうしたらいいかわかるだろ、同じことばっかりやってる奴らなんだから。さっさと終わらせて他の仕事を手伝ってくれ」といい加減なことをその主任は言った。きっと記録的な猛暑の日が長く続いていたから、その主任も少しイライラしていたのだろう。
そのとき、三上くんはこう言った。
「生徒と向かい合うのにパターンなんてあるかよ。あいつらは計算式じゃないし化学式でも文法なんかでもない。そうだろ? 人はそれぞれオリジナルだって思ってるんだよ 。誰かと同じなんて言われるのはご免だろ? 俺は例え太宰治やジョン・レノンに似ているって言われたって全然うれしくないね。それなのに教える立場のあんたが、「こいつは、こういうパターンで指導すれば丸く収まる」「以前にもこういう問題が起きたから一緒の対応をしよう」なんて型にはめたらおもしろくもなんともないだろ。好きな人に下の名前で呼ばれてヨッシャーと思ってたら、その子はみんなのことを基本、下の名前で呼んでいた、って気付いたら凄い絶望感だろう?だから、先生は生徒と接するとき『他の誰にも似てない、お前はお前しかいないんだ』そう思って接しなきゃダメなんだよ」
演説さながらの三上くんの長台詞に、私は心の中でしっかりとうなずき、酷く感動したのを覚えている。ただそう言った本人である三上くんがそれから10分もしないうちに、生徒を家に帰し、校長への報告書にペンを急がしている姿が見えた。気になって声をかけると「不良のやることはみんな一緒なんだよ。話してても意味ないって。それにもう終業時間だから早く終わらせないとな」と言い始め、結局、何がなんなのかわからなくなった。
出雲先生のありふれた言葉を借りれば、教師とは、「物を教える大人の心を持つと同時に、生徒と対話する子供の心を持つ人」らしい。
三上くんからすれば、教師とは、「毒を隠した食用きのこ」だそうだ。
それにしても、目前の大和親子は手に取りにくかった。色々な感情が見え隠れする父親と無表情な娘、その異様さは手に負えるものでなく、スランプ中の私には強敵だった。
「終礼が終わってからだったの?」と美香ちゃんに訊ねてみる。
美香ちゃんの表情は一向に変わることがなかった。けど、私が質問をすると、目だけは父親の方に一瞬だけ向ける。意識をしないとわからないほど一瞬だけど。
父親が、「それくらい答えてやってもいいだろ」と言った。
私にはその言い方が気に入らない。でも、美香ちゃんは、父親の言葉に促されたのか、「その通りです」と答えた。「帰ろうと思って、自転車置き場に行くときに会ったのよ」
相変わらず美香ちゃんは、父親の顔をうかがっていた。チラッと目を動かして、やっぱりなんらかの許しを求めるように。父親もよく見れば同じように目をキョロキョロさせている。一体何かあったのだろうか。そう思い、2人同時に話を聞くのは難しいと思い、父親には少し散歩に出てもらい、個別に指導を始めた。




