第095話 白羽の警告
白い羽の封蝋片は、北の宿場の裏手で見つかった。表通りではない。馬車が荷を整える荷置き場でもない。
宿場の古い井戸から、さらに奥へ入った路地裏。雨水の溝と、壊れた木箱と、誰も拾わない布切れが溜まる場所だった。チヨネは吉継の袖を軽く引いた。
「ふん」
止まれ、という合図だ。吉継は足を止め、白布の奥で息を細くした。匂いがある。
血の匂い。新しい。路地の奥に、物乞いの男が倒れていた。
痩せた腕。破れた外套。手には、乾いたパンを包んでいたらしい紙。
喉を一筋に裂かれている。苦しむ時間もなかっただろう。目は開いたまま、空を見ていた。
エルネが口元を押さえる。
「この人が、封蝋片を持っていたんですか」
「おそらくな」
吉継は膝をつき、男の手元を見た。指先に白い蝋の欠片が残っている。羽の形をした封蝋片を拾い、誰かへ渡す前に殺されたのか。
いや。違う。吉継は男の外套の内側を見た。
小さな銅貨が三枚。それだけだ。
「こいつは主犯格ではないな」
「どういうことですか」
「この男の体型を見れば、食事も取れないほど金がなかったと分かる。それに、封蝋片をばらまくなら、人目を避け、追っ手や魔物とやり合える者が必要だ。だが、この男に武の心得はなさそうだ。おそらく、ただの雇われだろうな」
エルネの顔が青ざめる。
「それで、用無しになったから」
「殺した」
チヨネの影が、床を這う。
「ふん……」
怒りと不快感が混じっている。吉継は男の目を閉じた。
「これは証拠隠しではない」
「では、何ですか」
「警告だ。こちらが白い羽を追えば、関わった者はこうなる。そう見せている」
路地の外で、カドゥが兵を押しとどめていた。彼女は目立つ。通りの者は、首元を隠した黒鎧の女に目を奪われ、路地の奥へは近づかない。
役目をよく果たしている。吉継は男の足元を見た。泥。
青い染み。古い麻紐。どれも、主犯の手がかりとしては弱い。
むしろ、弱すぎる。弱いものだけを残している。
「相手は、こちらに追わせたいものを選んで置いている」
「白い羽ですか」
「ああ。血で目を引き、羽で道を示す。こちらが怒って走れば、用意された道へ入る」
チヨネが影を路地の壁へ伸ばした。黒い影が、壁の傷をなぞる。
「ふん」
「見つけたか」
チヨネはこくりと頷き、壁の低い場所を指した。小さな印がある。円ではない。
二本の線が交差し、下に短い横線が刻まれている。エルネが目を細めた。
「商会印ではありません。少なくとも、白霧境の登録商人では見ません」
「荷を分ける目印か、待ち合わせの印だろう。今はそこまでだ」
吉継は言葉を選んだ。敵は、こちらに疑わせたい。ガリア公爵。
白い鳥の封。青獅子印。すべてが一つにつながって見える。
だが、つながって見える時ほど、糸を引く者は別の場所にいる。
「エルネ。記録は二つに分けろ」
「二つ?」
「一つは事実。物乞いの男が殺されていた。白い蝋、青い染み、壁の印。もう一つは推察。男は雇われ。白い鳥による警告。荷馬車は西の旧道へ向かった」
エルネは深く頷いた。
「断定と推察を混ぜない」
「そうだ。混ぜれば、敵がそこを突く」
チヨネが男のそばにしゃがみ込んだ。言葉はない。ただ、破れた外套の端をそっと直している。
吉継はそれを止めなかった。
「チヨネ」
「ふん」
「その男を、見送ってやれ。名は分からぬ。だが、こちらの戦に巻き込まれた」
チヨネは小さく頷いた。影が男の足元に薄く広がり、冷たい石畳を覆う。カドゥが路地の入口から声を低くした。
「吉継殿。見物人の中に、こちらを見ずに逃げた男が二人いる」
「追ったか」
「いや。そなたなら、まず聞くと思った」
吉継はわずかに頷く。
「よく待った。どちらへ」
「一人は宿場の厩。もう一人は西の旧道だ」
西の旧道。薬箱と聖具を積んだ荷馬車が消えた道。
その時、宿場の表から馬のいななきが響いた。王都印の外套を着た早馬の使者が、兵に支えられながら路地へ入ってくる。馬は泡を吹き、使者の頬には土埃が貼りついていた。
「大谷様……白蝶城へ向かう途中でしたが、こちらにおられると聞きました。宰相ミセリア様より、至急の黒印状です」
エルネが受け取り、封を確認する。
「改竄なし。王都政務院印です」
吉継はその場で開いた。短い。
だが、重い。ヴォルガノン軍事帝国が、国境沿いで兵を募っている。名目は街道警備。
実際には、傭兵、食い詰めた農民、罪を逃れた者まで集めている。さらに、馬具、乾燥肉、矢羽、荷馬車の車輪が大量に買い上げられている。戦の準備に近い。
吉継は紙を閉じた。
「現場の死と、帝国の募兵は別の話だ。ここで無理につなげるな」
「でも、同じ時に動いています」
「そうだ。だから怖い。別々の火でも、同じ風に煽られれば戦になる」
吉継は立ち上がった。
「カドゥは厩へ。暴れるな。誰が馬を借りたか、誰が急いで替え馬を求めたかを見るだけでよい」
「うむ。見るだけだな。……少しなら睨んでもよいか」
「よい」
カドゥは満足そうに笑った。
「チヨネは西の旧道へ。近づきすぎるな。影印だけ残して戻れ」
「ふん」
吉継は最後に、物乞いの男へ目を向けた。警告は受け取った。
だが、退く理由にはならない。
「白い鳥の警告と、帝国の募兵」
白布の下で、吉継の声が低く落ちる。
「どちらが先に火をつけたとしても、こちらの民を踏ませるつもりはない」




