第094話:蟄居の外手
バルトロメウス蟄居の報せが白蝶城へ届く。
だが吉継は、それを終わりとは見なさない。
敵は屋敷の外に、まだ手を残している。
白蝶城に、王都からの黒印状が届いた。朝の政務室には、まだ湿った土の匂いが残っている。外では兵が空堀の泥をさらい、木槌の音が城壁の内側でこだましていた。
吉継は封を切り、紙面へ目を落とす。ミセリアの字だった。ガリア公爵、蟄居。
ただし、敵は折れていない。屋敷の外へ伸びる手を追う。そして最後に、本文とは少し離れた場所へ一文だけ添えられていた。
貴殿も、無理をするな。吉継はその一文で、しばらく指を止めた。
「大谷様?」
エルネが帳面を抱えたまま首をかしげる。
「いや。ミセリア殿らしくない文があった」
「どんな文ですか」
「読まぬ方がよい」
「余計に気になります」
チヨネが机の端から身を乗り出した。
「ふん?」
覗きたいらしい。吉継は紙を畳み、袖の内へ収めた。
「見せぬ」
チヨネは頬をふくらませ、影を細い紐にして机の脚へ巻きつけた。
「ふん……」
「怒っているな」
「ふん」
「後で頭は撫でる」
影の紐が、少しだけ緩んだ。エルネは苦笑したが、すぐに顔を引き締める。
「蟄居なら、ガリア公爵は動けないのでは?」
「本人はな」
吉継は窓の外を見る。
白蝶城の土塁の向こうに、整えられつつある街道が伸びている。人、荷、銭、噂。すべてが道を通る。
「屋敷に閉じ込められた者は、手足を外へ残す。婚姻でつながる家。借金で縛った商人。官職をもらった文官。あの男は、そういう者を何本も持っている」
「つまり、蟄居は終わりではない」
「ああ。敵の顔が見えなくなっただけだ」
扉の外で、重い足音が止まった。カドゥが入ってくる。
黒い鎧の首元は、いつものように布で覆われている。首を取り戻してから表情は明るくなったが、城内では魔物であることを隠している。
「呼んだか、吉継殿。誰か殴るのか」
「まだ殴らぬ」
「では、いつ殴る」
「相手がこちらの民へ手を伸ばした時だ」
カドゥは嬉しそうに笑った。
「分かりやすい。私はそういう命令が好きだ」
吉継は机の上に白霧境の地図を広げた。米倉。自由市。
王都へ続く街道。北の宿場。西へ抜ける旧道。
「ガリア公爵が動けぬなら、代わりに動く者を見る。まずは銭だ。次に荷。最後に噂」
エルネがすぐに筆を取る。
「銭、荷、噂。分けて記録します」
「銭はロウエンへ。急に米を買い占める者、鉄材を高値で集める者、借金を急に返す者を調べさせろ」
「はい」
「荷は街道番へ。白い蝋、羽の型、青獅子印、倉庫局の古い札。この四つに近いものを見たら止めずに写せ。止めれば相手は道を変える」
エルネの手が止まる。
「止めないのですか?」
「写して、行き先を見る。小さな荷を捕まえるより、運ばせた先を見る方がよい」
「……分かりました。捕まえるより、巣を見つけるんですね」
「そうだ」
チヨネが小さく胸を張った。
「ふんふん」
自分の仕事だと言っている。吉継は頷く。
「チヨネ。追うのは荷ではない。荷を見送った者だ。道端で目をそらす者、帳面を閉じる者、急に別の仕事を始める者を見る」
チヨネは真剣な顔で頷いた。影が、机の下で小さな目の形を作る。
「カドゥ」
「うむ」
「お前は目立つ。だから、あえて目立て」
「おお。得意だ」
「ただし、暴れるな。街道の広場に立ち、兵の訓練を見る役をやれ。敵がこちらを警戒するなら、まずお前を見る。そうすれば、チヨネが動きやすくなる」
カドゥは一瞬きょとんとし、それから大きく笑った。
「私は旗か」
「倒れぬ旗だ」
「よい。首を奪われても立っていた私に向いている」
エルネが小さく咳払いした。
「その話、外では控えてください」
「おっと。そうだった」
カドゥは口元に指を当て、楽しげに黙った。
その時、戸が叩かれた。入ってきたのは街道番の若い兵だった。顔に汗が浮いている。
「大谷様。北の宿場から報せです」
「言え」
「王都から来た小さな荷馬車が、西の旧道へ曲がりました。積み荷は薬箱と聖具だそうです。ですが、馬車の車輪に青い染みがありました」
エルネが息を呑む。
「青獅子印の箱と同じ染料かもしれません」
「止めたか」
「いえ。大谷様の以前の命で、怪しい荷は写してから見送れと」
「よく守った」
兵の背筋が伸びた。
「それと、荷馬車の後ろに、白い羽の形をした封蝋片が落ちていたそうです」
部屋の空気が変わった。チヨネの影が床へ沈む。カドゥの笑みが消えた。
吉継は静かに立ち上がる。
「カドゥは広場へ。目立て。エルネは記録を三通作れ。王都、街道番、城内用だ」
「はい」
「チヨネ」
小さな影が、吉継の足元へ寄る。
「ふん」
「荷馬車を追う。ただし、近づきすぎるな。相手は証人の口を断つ刃を持っている」
チヨネは一度だけ頷き、影の中へ沈んだ。吉継は袖の内の黒印状に触れる。無理をするな。
その言葉は、まだ温かかった。
だが、敵はもう動いている。
「ミセリア殿。悪いが」
吉継は白布の下で、静かに息を吐いた。
「無理をせずに済む相手ではない」
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