第091話:白鳥封蝋
白蝶城から王都へ届いた急報。
ミセリアは、吉継が残したわずかな言葉から、ガリア家令室へ迫り始めます。
王都政務院に、白蝶城からの急使が入ったのは夜明け前だった。
まだ鐘も鳴っていない。
書記官たちは眠気を隠しきれず、火鉢の前で肩を丸めていた。だが、黒印の封を見た瞬間、全員の背筋が伸びる。
大谷吉継からの急報。
ミセリアは受け取ると、封の乱れを確認し、すぐに開いた。
紙には、短く整理された事実だけが並んでいた。
青獅子印の空箱。
二重底の鉛板。
夜間侵入者セヴラン・モルト。
ガリア公爵家、家令室、白い鳥の封。
そして、藍色の女刺客による口封じ。
ミセリアの指が、一度だけ止まった。
「吉継は無事か」
隣にいた外記官が顔を上げる。
「報告書には、負傷の記載はありません」
「ならよい」
声は平らだった。
だが、ミセリアは紙の端を強く押さえていた。押さえなければ、指先の力がどこへ向かうか分からなかった。
「三つ調べる。倉庫局の臨時雇い記録。ガリア家令室の出入り。白い鳥の封蝋」
「ガリア公爵家を?」
「名だけで動かない。証拠を集める。吉継がそう書いている」
外記官はすぐに頭を下げた。
「承知しました」
「返事だけでは遅い。今動く。夜明けの前に記録庫を開ける」
王都の記録庫は、眠る場所ではない。
膨大な紙が積まれ、封蝋の匂いと乾いた革紐の匂いが混じる。ここに王国の血管がある。税、倉、婚姻、推薦、解任、葬儀、寄進、通行。
人は忘れる。
紙は、忘れたふりをする。
ミセリアはその紙の嘘を剥がす。
「セヴラン・モルト」
彼女が名を言うと、二人の書記官が棚へ走った。
臨時雇い台帳が運ばれてくる。
「ありました。王都倉庫局、臨時書記。雇用推薦者は……」
書記官の声が詰まる。
「読め」
「ガリア家令室、外回り補佐官、ローデン・ヴァイス」
ミセリアは表情を変えない。
「記録する。これは公爵本人ではない。家令室の補佐官だ」
「はい」
「次。白い鳥の封蝋」
封蝋見本帳が机に置かれた。
王都では、貴族家、商会、神殿、官署ごとに使う封蝋の色や印が記録される。偽造を防ぐためでもあり、偽造された時に誰が得をするかを見るためでもある。
ミセリアはページをめくった。
赤。
黒。
青。
金。
白い鳥は、ない。
「未登録です」
「未登録の封を公的書類に使えば違法だ」
「では、密書でしょうか」
「密書でも、封蝋は残る。使った者がいるなら、蝋を買った者もいる」
ミセリアは別の帳面を開かせた。
封蝋商の納入記録。
そこに、白蝋の小口購入があった。
名義は孤児院でも商会でもない。
王都北区の小さな礼拝堂。
ただし、支払い保証人の欄に薄い蔦の印があった。
ガリア家の紋に似ている。
似ているだけでは、足りない。
「保証人の名は」
「空欄です。ですが、保証印があります」
「記録の眼で見る」
ミセリアは帳面へ指を置いた。
魔力が薄く走る。
紙の上に、過去の筆の動きが重なる。
空欄ではない。
名は書かれていた。
後から削られている。
紙の繊維に、わずかに残った墨の跡。
「ローデン」
ミセリアは短く言った。
書記官が息を呑む。
「セヴランを雇った者と同じです」
「そうだ」
ミセリアは帳面を閉じなかった。
閉じれば、そこで終わった気になる。
まだ終わっていない。
「ローデン・ヴァイスの身柄を押さえる。ただし、ガリア公爵家へ踏み込むな」
「理由は」
「踏み込めば、公爵家は家令室を切る。ローデンも消える」
「では、どこで」
「出勤前だ。家令室へ入る前に止める」
外記官は顔色を変えた。
「相手が抵抗した場合は」
「生かして押さえろ。喋る口がいる」
言ってから、ミセリアは一瞬だけ黙った。
白蝶城では、その口が奪われた。
吉継は目の前で証人を失った。
彼がどんな顔をしたか、記録にはない。
そこが、腹立たしい。
「護衛を二組。表に見える者と、見えない者を分ける。相手は証人の口を断つ刃を持っている」
「女刺客ですか」
「性別ではない。速度と目的を見ろ。狙うのは首ではなく、言葉だ」
書記官は頷き、走った。
ミセリアは机に残った黒印状へ視線を落とす。
吉継の字は静かだった。
急報なのに、乱れが少ない。
だから余計に、彼が怒っていることが分かる。
「貴殿は、証人を失った」
ミセリアは誰にも聞こえない声で言った。
「なら、こちらは失わせない」
夜明けの鐘が鳴る。
王都が目を覚ます前に、ミセリアの命令はすでに走り始めていた。
だが、政務院の窓の外。
白い羽の形をした小さな封蝋片が、石畳の隙間に落ちていた。
誰かが、ここまで来ている。
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