第088話:焼け跡の荷車
ベルナー監督官の屋敷は燃えていた。
ミセリアは火ではなく、火事の前に動いたものを追います。
ベルナー・ロイスの屋敷は、王都の南外れにあった。
石造りの小さな屋敷。
倉庫局の監督官が住むには、少し質素だ。だが、門扉の蝶番、窓枠の金具、馬留めの鎖は手入れされている。
金に困った者の家ではない。
ミセリアは馬車を降り、焼けた屋敷を見た。
黒煙は細くなっている。
消火隊が水桶を運び、近隣の住民は遠巻きにしていた。
「死体は」
「まだ確認できておりません」
兵士が答える。
「寝室は焼けていますが、床が落ちています。中へ入るには危険です」
「危険なら、外から見る」
ミセリアは焼け跡へ近づいた。
焦げた木材。
割れた窓。
濡れた灰。
火は派手だ。
派手なものは、人の目を奪う。
吉継なら、まず火を見ない。
火を見る者を見る。
ミセリアは周囲へ目を向けた。
「隣家の荷車」
「三台あります」
「車輪の泥を見せろ」
兵士が一瞬だけ固まった。
「車輪、ですか」
「火ではなく、火の前に動いたものを見る」
兵士は慌てて走った。
やがて、庭の端に寄せられた荷車が三台並べられる。
一台目は空。
二台目は水桶を積んでいる。
三台目だけ、車輪の泥が黒く粘っていた。
ミセリアはしゃがみ込む。
白霧境から届いた吉継の書状に、同じ記述があった。
黒く粘る土。
王都外れの古い馬洗い場。
「この荷車の持ち主」
「隣の薪商人です。消火に使ったと」
「消火に使った荷車なら、水桶の跡がある。これは乾いている」
兵士の顔色が変わった。
ミセリアは指で泥を少し取る。
黒い。
そして、細かな白い粒が混じっている。
「硝子粉」
声に出した瞬間、背後で誰かが息を呑んだ。
ミセリアは振り返らない。
「今、息を乱した者。前へ」
沈黙。
誰も動かない。
ならば、記録する。
「全員の位置を記録。今この場にいる者の名もだ」
書記官が筆を走らせる。
その時、門番が連れてこられた。
若い男だった。顔が青い。
「病欠届を受け取ったのはお前か」
「はい。朝一番でした」
「使いの少年の顔は」
「汚れていて、よくは。ただ、左手に包帯を巻いていました」
「声は」
「子供にしては低かったです。けれど、急いでいたので」
ミセリアは目を細める。
「少年ではない可能性がある」
「え」
「小柄な大人。あるいは声を低く作った者」
門番の喉が鳴った。
「病欠届は」
「こちらに」
書記官が封書を差し出す。
ミセリアは封を開けず、表面を見る。
紙は安い。
だが、封に使われた糊が高い。
普通の病欠届に使うものではない。
「記録の眼」
瞳に薄い光が宿る。
紙に残った魔力の跡が浮かび上がった。
筆跡はベルナーのものに似ている。
だが、止めの癖が違う。
ベルナーは線の終わりを右へ流す。
この届は、左へ逃がしている。
「本人ではない」
「偽造ですか」
「下手ではない。だが、急いでいる」
ミセリアは封書を畳んだ。
その時、消火隊の一人が叫んだ。
「寝室の床下から、人が!」
兵士たちが動く。
焦げた梁をどけ、濡れた灰の中から一人が引き出された。
男ではない。
老女だった。
ベルナーの屋敷に勤めていた家政婦らしい。口元に布を巻かれ、手足を縛られている。
まだ息があった。
「水を。治癒師は光を弱く使え。肺を焼くな」
ミセリアの声に、治癒師が慌てて膝をつく。
老女は咳き込み、目を開けた。
「ベルナー・ロイスはどこだ」
老女の唇が震える。
「……連れて、行かれました」
「誰に」
「白い……手袋の男に。旦那様は、箱は戻した、もう関わらないと……そう言って」
ミセリアの指が、青い硝子の髪飾りへ触れた。
箱は戻した。
つまり、出た。
記録上は一度も外へ出ていない木箱が、どこかへ出て、戻った。
「箱の中身」
「知りません。ただ、戻った箱は軽かった。旦那様は、中身が違うと怒っていました」
ミセリアは息を止めた。
木箱は戻った。
だが、中身は違う。
白い手袋の男は、箱そのものではなく、箱の中をすり替えた。
「ベルナーは生きている」
兵士が問う。
「なぜ分かるのです」
「死体を置けば調査は終わる。連れて行ったなら、まだ使うつもりだ」
ミセリアは立ち上がる。
「屋敷周辺の荷車をすべて押さえろ。薪商人を拘束。老女は保護。門番は処罰しない。顔を見た者を減らすな」
「はっ」
「それと、白霧境へ追加の書状」
書記官が筆を構える。
「青獅子印の箱は出た。戻った。だが中身が違う。ベルナー・ロイスは連れ去られた。白い手袋の男が関与」
そこまで言って、ミセリアは一瞬だけ黙った。
吉継なら、この先を読む。
箱の中身がどこへ行ったのか。
白霧境か。
王都か。
それとも、別の場所か。
「続けろ。そちらで白い硝子と鉄粉以外に、空の箱、青獅子印、または同じ寸法の木材が出ていないか確認せよ」
書記官が筆を止める。
「長文になります」
「必要な文だ」
ミセリアは焼けた屋敷を見た。
火は消えつつある。
だが、火の奥から出てきたものは、消えない。
「燃えたのは屋敷ではない。記録の隙間だ」
王都の空は青い。
その下で、白い手袋の男がまだ誰かを運んでいる。
今回は、焼け跡調査の回です。
死体ではなく、生きて連れ去られたベルナー。青獅子印の箱も、ただ盗まれたわけではなさそうです。
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