第087話:内務庁の空白
吉継から届いた黒印状。
白い手袋の男、青い獅子の焼き印、王都内務庁の予備倉。
ミセリアは王都の紙を読み始めます。
王都政務院の朝は、紙の音から始まる。
扉が開く音より早く、書記官たちは席につき、昨日の命令書、今日の嘆願書、未決裁の訴状を机の上へ並べる。
その中央に、ミセリア・イシダは立っていた。
青い硝子の髪飾りが、淡く光を返す。
「昨日分の未処理件数」
「四十二件です」
「多い。理由を」
「北部街道の荷改め記録が遅れています。内務庁予備倉の確認も、二箇所が未提出です」
ミセリアの指が止まった。
内務庁予備倉。
その語を聞いた瞬間、吉継の黒印状が机の上にあることを思い出す。
白霧境より届いた、簡潔だが重い書状。
白い手袋の男。
三日月亭。
白い丸が二つ書かれた荷札。
青い獅子の焼き印。
王都外れの古い馬洗い場。
ミセリアは書状をもう一度開いた。
吉継の筆跡は、この国の文字に変わっても無駄がない。余計な怒りはない。だが、急げという意志だけが紙の端まで染みている。
「内務庁予備倉の台帳をすべて出せ」
書記官の一人が顔を上げた。
「すべて、ですか」
「すべてだ。青い獅子の焼き印が使われた木箱の出入りも含める」
「それは倉庫局の権限です。通常の照会では半日ほど」
「通常ではない。私の印で即時照会にする」
ミセリアは淡々と言った。
書記官は慌てて走り出す。
残った者たちの間に、薄い緊張が広がった。
ミセリアはそれを見て、少しだけ息を吐く。
吉継なら、ここで人の顔を見る。
誰が怯えたか。
誰が怒ったか。
誰が早すぎる反応をしたか。
自分は記録を見る。
だが、記録だけでは遅れることがある。
それを、彼は何度も見せた。
「全員、席を立つな」
静かな声だった。
だが、部屋の空気が止まる。
「内務庁予備倉の照会が終わるまで、外部への使いを禁じる。急病、家の用事、別部署への確認、すべて不可」
「宰相閣下。それでは仕事が」
「仕事はここで続ければよい。外に出る理由にはならない」
反論した男は口を閉じた。
ミセリアは名を記録する。
恐れたからではない。
早く動いたからだ。
やがて、倉庫局の副官が台帳を抱えて入ってきた。
「お待たせしました。青獅子印の木箱ですが、記録上は今月一度も外へ出ていません」
「箱の数」
「百二十」
「現物確認は」
「昨日の夕刻に完了と記録されています」
「確認者」
「倉庫局第三監督官、ベルナー・ロイスです」
ミセリアは台帳を受け取り、ページをめくった。
記録は整っている。
箱数、封印、倉番の署名、確認時刻。
乱れがない。
乱れがなさすぎる。
「記録の眼」
ミセリアの瞳に薄い光が宿る。
台帳の紙面に残る魔力の跡が浮かび上がった。
署名の墨は昨日のもの。
だが、確認印だけが古い。
三日前。
同じ印を、昨日の日付の上へ重ねている。
「訂正する。この記録は偽造ではない」
副官がほっとした顔をした。
ミセリアは続けた。
「だが、正しい記録でもない。古い確認印を使い回している」
副官の顔が白くなる。
「そ、それは」
「誰が印を保管している」
「ベルナー監督官です」
「呼べ」
「本日は病欠と」
部屋の空気が、また止まった。
ミセリアは台帳を閉じた。
吉継の書状には、まだ証拠は細いとあった。
細い糸。
だが、糸の先は今、ここにある。
「病欠届を出した者」
「使いの少年です。名前は不明。門番が受け取りました」
「門番も呼べ。病欠届は保管。ベルナー・ロイスの自宅へ人を出す。少人数でよい。騒がせるな」
「逮捕ですか」
「違う。保護だ」
書記官たちが顔を見合わせた。
ミセリアは感情のない声で告げる。
「本当に病なら保護する。逃げたなら追う。死んでいるなら、次に死ぬ者を減らす」
その時、扉の外が騒がしくなった。
兵士が一人、息を切らして飛び込んでくる。
「宰相閣下! ベルナー監督官の屋敷が、今朝方から火を出しております!」
遅い。
いや、まだ遅すぎるとは限らない。
ミセリアは青い硝子の髪飾りに、無意識に触れた。
吉継なら、燃えた屋敷を見て終わりにしない。
誰が火を見せたかったのか。
誰が、火の前に何を運び出したのか。
そこを見る。
「消火隊を出せ。屋敷の周囲を封鎖。焼け跡に入る者は記録する。隣家の荷車、井戸の水桶、灰を捨てた場所も調べろ」
「はっ!」
「それと」
ミセリアは吉継の書状を折り直した。
「白霧境へ返信を出す。大谷吉継に伝えよ」
書記官が筆を構える。
ミセリアは一拍置いた。
余計な言葉はいらない。
だが、今回は少しだけ必要だった。
「糸は王都に届いた。こちらで引く。貴殿は、そちらの民を守れ」
書記官の筆が止まる。
「そのまま、ですか」
「そのままだ」
ミセリアは窓の外を見た。
王都の空に、細い黒煙が上がっている。
火は、何かを隠す。
だが、何かが燃えたという事実だけは隠せない。
「ベルナー・ロイスを探す。生死を問わず」
静かな命令が、政務院を走った。
王都の紙は、すでに血の匂いを含み始めていた。
今回はミセリア視点です。
吉継の書状から、王都内務庁の記録へ火種が伸びました。
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