第082話:黒騎士の仕官
白い硝子の杯の封書を持ち帰った吉継。
そして、白蝶城にはもう一人、扱いの難しい黒騎士がやって来ます。
夜明け前の白蝶城は、まだ眠っていなかった。
学び舎の襲撃、渡し場のダリム、白い硝子の杯を押した封書。ひとつ片づければ、次の問題が顔を出す。領主の仕事とは、畑の雑草取りに似ている。抜いたと思った根が、別の場所でまた伸びる。
吉継は灰色の外套を脱ぎ、白布を巻き直した。
ケイブ・アッシュは、夜の川辺で役目を終えた。ここから先に立つのは、白蝶城の領主、大谷吉継でなければならない。
ダリムは地下の取調べ部屋へ運ばせた。生かしておく。白杯会という名が実在するのか、ただの隠れ蓑なのか、あの男の口から削り出す必要がある。
ただし、もう一人の扱いが残っていた。
黒い甲冑の女騎士。
カドゥ・マサカ。
彼女は城門前で、妙に楽しそうに立っていた。長い黒髪を夜風に揺らし、深い赤紫の瞳をきらきらさせている。黒楡商会に利用され、裏切られたばかりの女とは思えないほど、表情は明るい。
もっとも、普通の人間に見えるかと問われれば、答えは怪しい。
黒い甲冑は威圧的で、笑顔は元気すぎる。さらに、門番に向かって「私は敵ではないぞ。今はまだ」と言ったせいで、槍を向けられていた。
「そこは『今後も』と言え」
吉継が近づくと、カドゥはぱっと顔を上げた。
「おお。白い領主殿か。ケイブから聞いたぞ。ここへ来れば、黒楡の残党を追えるとな」
「ケイブは何と言った」
「白蝶城の主は、裏切り者と人買いを嫌う。あと、働けば飯が出る。私は飯がなくても困らぬが、出るなら嬉しい」
門番たちが困った顔で吉継を見た。
吉継は小さく息を吐く。
「半分は合っている。飯は出す。だが、城の中で『私は飯がなくても困らぬ』とは言うな」
「なぜだ?」
「不審者に聞こえる」
「私はもう十分、不審ではないか?」
「自覚があるなら少し直せ」
カドゥは胸を張った。
「難しいな。だが努力しよう」
そのやり取りを、門の陰からチヨネが見ていた。
無言で、ぷるぷる震えている。
困惑だ。
「チヨネ。敵ではない」
チヨネは吉継を見上げ、次にカドゥを見た。カドゥはにこにこと手を振る。
「小さい影の娘だな。昨日はなかなかよい働きだった。今度、私の盾の上に乗ってみるか?」
チヨネが一歩、吉継の後ろへ隠れた。
「余計なことを言うな」
「褒めたつもりだったのだが」
「褒め方にも作法がある」
城門の空気が、少しだけ緩んだ。
だが、吉継はすぐに表情を戻した。ここからは戯れでは済まない。
「カドゥ殿。中へ」
「殿、か。悪くない響きだ」
「浮かれるのは後にしてくれ」
広間では、エルネとロウエンが起きていた。机には黒楡商会の木札、白い硝子の杯の封書、焼け残った契約書が並ぶ。眠気よりも危機感が勝っている顔だ。
エルネはカドゥを見るなり、羽根ペンを落としかけた。
「……この方が、学び舎を守った黒騎士ですか」
「そうだ。黒楡商会に恨みがある。こちらの敵ではない」
「今のところは味方だ」
カドゥが胸を張る。
エルネの顔が引きつった。
吉継はカドゥを横目で見た。
「今のところ、を付けるな」
「難しいな。言葉は剣より扱いにくい」
「剣も十分危なっかしい」
ロウエンが咳払いをした。
「大谷様。雇うのですか」
「今は雇う。だが、それで終わらせるつもりはない」
吉継はロウエンへ視線を向けた。
「あれほどの武を、ただ門に置くだけでは惜しい。いずれ隊を率いる将まで育てる。防衛にも使うが、それだけでは足りぬ」
カドゥの目が、わずかに変わった。
笑みは残っている。だが、その奥にあった軽さが消える。
「将、か」
「武力があっても、忠誠があっても、どうしようもない相手は数多くいる。金で人を買う者。紙で人を縛る者。偽名で姿を消す者。力だけで押せぬ敵は、これから増える」
ロウエンが、低く唸った。
「つまり、必要なのは考える力ですか」
「そうだ。強いだけの者は、強い敵を斬れば終わる。だが将は、斬る前に兵を残し、民を逃がし、次の敵の手まで読む」
吉継はカドゥへ向き直った。
「貴殿に求めるのは、命令を聞くだけの駒ではない。考えて止まり、考えて進む将だ。怒ってよい。疑ってよい。だが、戦場ではまず見る。敵、味方、逃げ道、守るべき者。それを見てから動け」
「私は、命令を聞けるぞ」
すぐに言った。
その速さが、かえって痛々しかった。
裏切られ、居場所を奪われた者が、もう一度、誰かの下に立とうとしている。
吉継は静かに言う。
「それができるなら、貴殿はただの黒騎士では終わらぬ」
「できなければ?」
「門を守る一騎で終わる。それでも十分役には立つが、俺はそれで終わらせたくない」
広間が静まった。
エルネが息を呑み、ロウエンが目を伏せる。チヨネの影が、吉継の影へぴたりと寄った。
カドゥはしばらく吉継を見ていた。
「……ケイブも、似たようなことを言いそうだ」
「そうか」
「声は違う。顔も違う。だが、腹の奥で決めているものが似ている」
吉継は答えなかった。
カドゥは少し笑った。追及はしない、とその顔が言っていた。
「よい。私はカドゥ・マサカ。裏切られ、居場所を失い、さて次に何をすればいいか分からなかった女だ」
彼女は片膝をついた。
黒い甲冑が、石床に低い音を立てる。
「大谷吉継。お前が私に、立つ場所と考える役目をくれるなら、私はその門を守ろう。いずれ兵を率いるに足る女になってみせる。裏切り者と人買いが来た時は、少しだけ痛めつけてから止める」
「少しだけ、を守れるか」
「努力する」
「そこは断言しろ」
「……守る。たぶん」
チヨネが、ふん、と鼻を鳴らした。
不満ではない。信用にはまだ早い、という音だ。
「チヨネの審査は厳しい」
吉継が言うと、カドゥは真剣な顔で頷いた。
「では、その小さい影の娘にも認められるよう働こう。最初は何をすればよい」
「まず、城内で自分の事情を喋りすぎるな。次に、魔物であることを隠せ」
カドゥの笑顔が固まった。
エルネとロウエンには聞こえないよう、吉継は声を落とした。
「俺は知っている。だが、皆が知る必要はない。恐怖は、扱いを誤れば味方の足を止める」
カドゥは自分の喉に触れた。
「私は、ここにいてよいのか」
「貴殿が民を守るなら、ここにいてよい」
「魔物でもか」
「敵か味方かは、種で決めぬ。何を守るかで決める」
カドゥは目を丸くした。
次の瞬間、ぱっと笑った。
「それはよいな。実に気分がよい。少し斬られたくなるほどだ」
「ならなくていい」
エルネが小声でチヨネに尋ねた。
「今の、どういう感情ですか」
チヨネは困惑のプルプルをした。
「チヨネにも分からぬらしい」
吉継がそう言うと、広間に小さな笑いが漏れた。
重い夜だった。
それでも、この笑いは必要だ。人は恐怖だけでは立ち続けられない。
吉継は机の上の封書へ視線を落とす。
白い硝子の杯。
実在する名か。偽りの名か。どちらにせよ、学び舎を狙った手は残っている。
「ロウエン。朝一番で、城門と学び舎の出入りを絞る。エルネは雇用契約と紹介状の写しを全部出せ。偽名で人を求める者を洗う」
「分かりました」
「はい。すぐに」
「チヨネ。白手袋の男の痕跡を追えるだけ追え。無理はするな。見つけたら戻れ」
ふんふん。
任せて、の音。
吉継は最後に、カドゥを見た。
「カドゥ殿は、まず城門の守りだ。兵に顔を覚えさせ、兵の顔を覚えろ。勝手に敵を潰すな」
「承知した。潰さぬ。足を折るのは?」
「駄目だ」
「では腕は」
「駄目だ」
「むう。仕官とは窮屈だな」
「その窮屈を守れる者が、城を守る」
カドゥはしばらく考え、やがて晴れやかに笑った。
「ならば、私は窮屈な黒騎士になろう」
こうして、裏切られた女騎士は白蝶城に加わった。
まだ、誰も彼女の正体を知らない。
ただ吉継だけが知っている。
平将門の魂を宿す黒いデュラハンが、大谷吉継の家臣になることを。
そして、白蝶城はまた一つ、守るための影を得た。
今回はカドゥ加入回です。
裏切られた黒騎士が、白蝶城の家臣として加わりました。
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