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大谷吉継 転生録 〜義は滅びず、再び剣を取る〜  作者: ひさめ


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第080話:渡し場のダリム

学び舎襲撃を退けたケイブとカドゥ。

次に追うのは、黒楡商会の仲介人ダリム。

逃走先は、白霧境西の古い渡し場でした。

 ダリムは、川へ逃げていた。


 白霧境の西を流れる細い支流。その古い渡し場に、荷車が一台止まっている。


 夜目にも分かるほど、荷台は軽い。


 人を積むための荷車ではない。


 証拠を捨てるための荷車だ。


 ケイブは葦の陰に身を沈め、渡し場を見た。川面は浅く、月の光を細く砕いている。


 カドゥは隣でしゃがんでいた。


 黒甲冑で。


 まったく隠れる気配がない。


「お前、その格好で隠密は無理だろ」


「私は隠れているつもりだ」


「黒い塔がしゃがんでいるようにしか見えねえ」


「塔なら頼もしいな」


「褒めてない」


 カドゥは少し嬉しそうにした。


 この女は言葉の受け取り方が時々おかしい。


 渡し場では、痩せた男が木箱を開けていた。灰色の外套に、黒い楡の木札。右手の指に銀の輪。


 顔は知らない。


 だが、周囲の男たちが彼を見る目で分かる。


 あれがダリムだ。


「燃やせ。学び舎の名前がある紙は全部だ」


 ダリムの声は高く、苛立っていた。


「石切り場も失敗、学び舎も失敗。使えない連中ばかりだ」


「ですが、まだ逃げられます」


「逃げるだけなら犬でもできる。私は商人だ。損を残して逃げるわけにはいかない」


 ダリムは帳面の束を火皿へ近づけた。


 ケイブは矢を番える。


 狙うのは、手ではない。


 火皿だ。


 弦が鳴った。


 矢が火皿の脚を射抜く。皿が傾き、炭が川砂へこぼれた。


「誰だ!」


 ダリムが跳ねた。


 ケイブは葦の陰から出る。


「白蝶城に小さな借りがある冒険者だ」


「また貴様か、髭面」


「覚えられていて助かる。請求先を間違えずに済む」


 ダリムの目が、ケイブの後ろへ動いた。


 カドゥが立ち上がる。


 黒甲冑。


 長い黒髪。


 赤紫の瞳。


 ダリムの顔から、血の気が引いた。


「なぜ、それがいる」


「それ?」


 カドゥの笑顔が消えた。


 ケイブは片手を上げて止める。


「まだ斬るな」


「今のは、斬ってよい言葉だと思うが」


「気持ちは分かる。だが口がいる」


「また口か。人間は首より口を大事にするのだな」


「場合による」


 ダリムはじりじりと後退した。


 護衛が三人、前へ出る。


 短弓が二つ。曲刀が一つ。


 ケイブは足元へ水を流した。渡し場の土は、昼の雨で柔らかい。そこへ水を足せば、踏み込む足は沈む。


「水だ! 足元を見るな、前を見ろ!」


 ダリムが叫ぶ。


 指示は早い。


 ただの小悪党ではない。


 ケイブは低く笑った。


「商人にしては、場慣れしている」


「人を動かす商いをしていれば、荒事くらい覚える」


「それを商いと呼ぶな」


 短弓の男が矢を放つ。


 ケイブは横へ滑った。


 次の矢は、カドゥが盾で受ける。


 黒い波紋が盾に広がり、矢を射た男の腕がびくりと跳ねた。


「痛いか。よいな。私はもっと痛かったぞ」


 カドゥが踏み込む。


 曲刀の男が斬りかかる。


 ケイブは足元の泥を盛った。


 ほんの拳一つ分。


 曲刀の踏み込みが乱れる。


 その瞬間、カドゥの盾が男の胸を叩いた。男は息を吐き、川砂へ転がる。


「殺していないぞ!」


「いちいち報告するな」


「褒めるなら今だ」


「後だ」


 ダリムが帳面を抱え、川へ走った。


 渡し舟がある。


 縄を切れば、流れへ乗れる。


 ケイブは追わない。


 代わりに、川へ水を落とした。


 水は流れに逆らわない。


 ただ、舟の下へ潜る。


 そして泥を巻き上げ、舟底に絡めた。


「動け、動け!」


 ダリムが縄を引く。


 舟は動かない。


 ケイブは歩いて近づいた。


「川は逃げ道にもなる。だが、浅ければ檻にもなる」


「貴様、ただの冒険者ではないな」


「ただの冒険者だ。金払いが悪い仕事に縁があるだけでな」


 ダリムは懐へ手を入れた。


 小さな筒。


 火薬か、煙か。


 ケイブが一歩詰めるより早く、カドゥが剣を振った。


 刃ではない。


 柄頭が、ダリムの手首を打つ。


 筒が落ちた。


 カドゥは嬉しそうにケイブを見た。


「加減した」


「上出来だ」


 今度は言った。


 カドゥの顔がぱっと明るくなる。


「もう一人くらい加減してよいか?」


「残ってない」


「残念だ」


 ダリムは膝をついた。


 それでも、口元だけは歪んでいる。


「私を捕まえても、もう遅い。学び舎の価値は知れた。字を書ける孤児、帳面を読める娘、契約を見抜く子供。欲しがる者はいくらでもいる」


 ケイブは落ちた帳面を拾った。


 焦げかけた紙の端に、黒い楡ではない印があった。


 白い硝子の杯。


 見慣れない印だ。


「これは何だ」


 ダリムは笑った。


「黒楡だけで商いが回ると思ったか。買う者がいるから、売る者がいる」


 ケイブの指に、力が入る。


「名前を言え」


「言えば、私は殺される」


「言わなければ、カドゥが怒る」


 カドゥは満面の笑みを浮かべた。


「私は今、かなり我慢している」


 ダリムの喉が鳴った。


 その時、遠くで犬が吠えた。


 白蝶城の方角ではない。


 川下だ。


 ダリムの笑みが戻る。


「遅かったな、髭面。荷は一つではない」


 ケイブは川下を見た。


 闇の中で、小さな灯が揺れている。


 もう一台。


 あるいは、もう一艘。


 ケイブはダリムの襟を掴み、立たせた。


「カドゥ。こいつを担げ」


「投げてもよいか?」


「駄目だ。まだ口がいる」


「本当に人間は面倒だな」


 そう言いながら、カドゥはダリムを軽々と担いだ。


 ダリムが呻く。


 ケイブは焦げかけた帳面を懐へ入れた。


 白い硝子の杯。


 黒楡の奥に、別の買い手がいる。


 守るものが増えるほど、敵もまた形を変える。


 ケイブは弓を握り直した。


「川下へ行く。今夜中に、もう一つ潰す」


 カドゥが笑う。


「よいな。首を取り戻した夜は、退屈しない」


「こっちは退屈したいんだよ」


 灰色の外套と黒い甲冑が、川下の灯へ向かって走り出した。


今回はダリム追跡回です。

黒楡商会だけで終わらず、さらに奥にいる買い手の存在が見え始めました。


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