第77話:石灰線の檻
首を取り戻したカドゥとケイブ。
石切り場で黒楡商会の追手を迎え撃ちます。
川下の松明が、石切り場の入口で止まった。
五つ。
その後ろに、揺れの小さい影が三つ。松明を持たず、暗がりに紛れている。
ケイブは岩陰に膝をつき、弓弦へ指をかけた。
正面にはカドゥがいる。
首を取り戻した黒騎士は、まるで祭りの舞台にでも立ったように胸を張っていた。長い黒髪が夜風に流れ、赤紫の瞳が松明を楽しげに見返している。
「おい、あれは何だ」
先頭の男が足を止めた。
「石切り場の亡霊か」
「亡霊にしては、随分と機嫌がよさそうだな」
カドゥはにこりと笑った。
「機嫌はよいぞ。首が戻ったばかりだからな」
男たちの顔がひきつった。
ケイブは小さく息を吐く。
言わなくていいことを、なぜ堂々と言う。
だが、効果はあった。
敵の目が、カドゥに集まる。
足元の白い線を誰も見ていない。
「化け物が」
「よく言われる。だが、裏切り者に言われると腹が立つな」
カドゥが剣を肩から下ろした。
重い刃が石を叩き、乾いた音が夜に響く。
その音を合図に、片耳の男が手を振った。
「囲め! 女一人だ。斬って箱に詰めろ!」
左右の暗がりから、隠れていた三人が走り出す。
ケイブは一本目の矢を放った。
矢は人を狙わない。松明を射抜いた。
火が石灰粉の手前に落ち、白い粉がふわりと舞う。男たちは思わず目を細めた。
「目潰しか!」
「違うな」
ケイブは低く呟き、水を地面へ流した。
水は細い筋となり、石灰線の内側だけを濡らす。乾いた粉が粘りを持ち、踏み込んだ男の靴底へ絡みついた。
「うわっ」
最初の男が滑る。
後ろの男がぶつかる。
勢いが詰まった。
そこへ、カドゥが踏み込んだ。
「遅い!」
黒い盾が横から男の肩を叩く。骨の折れる鈍い音がした。
男は吹き飛び、石の山へ転がった。
「殺すなと言ったか?」
「全員とは言ってねえ。口が要るだけだ」
「ふふっ、よい返事だ!」
カドゥの笑みが深くなる。
前へ出ようとした男が、反射的に後ずさった。
その足が、二本目の石灰線を踏む。
ケイブはそこへ土を盛った。
ほんの足首ほどの高さ。
だが、走る者には十分だった。
男の爪先が引っかかり、体が前へ泳ぐ。カドゥの剣の腹が、その顎を打った。
歯が飛び、男は声もなく倒れる。
「ケイブ! こいつら、斬りがいがないぞ!」
「喜ぶな。相手は商品じゃねえ。証人だ」
「分かっている。少しだけ残念なだけだ」
「その少しをしまえ」
カドゥは素直に頷いた。
素直なのが、逆に怖い。
片耳の男が舌打ちした。
「弓の奴を探せ! 黒騎士は囮だ!」
判断は悪くない。
だが、遅い。
ケイブは二本目の矢へ短い縄を結んでいた。矢は男の腰袋を貫き、後ろの杭へ刺さる。
男が走ろうとして、縄に引かれた腰を押さえた。
「何だ、これは!」
「荷を縛る縄だ。人にも効く」
ケイブは岩陰から立ち上がった。
灰色の外套。古い革帽子。安物と言われた顎髭。
その姿を見て、片耳の男の顔が歪む。
「てめえ、洞窟の冒険者か」
「覚えていてくれて嬉しいね。名乗った覚えはないが」
「ダリム様が言っていた。白蝶城にちょっかいを出した髭面がいるとな」
ダリム。
名が出た。
ケイブは笑わなかった。
「そのダリムはどこだ」
「知るかよ」
「知らねえ顔じゃないな」
片耳の男の喉が動く。
嘘を飲み込む時、人は少しだけ喉を使う。
吉継は昔から、そのわずかな動きを見てきた。戦場でも、交渉の席でも、逃げ道を探す者は似た顔をする。
ケイブは弓を下ろした。
「カドゥ」
「斬るか?」
「いや。笑え」
カドゥは一瞬だけ目を丸くした。
それから、心底嬉しそうに笑った。
「ははっ、よい命令だ!」
黒い怨念が、彼女の足元から薄く広がる。
石切り場の空気が冷えた。
片耳の男の顔から血の気が引いていく。
反逆の黒騎域。
裏切りや後ろめたさを持つ者ほど、足が重くなる怨念の場。
男は逃げようとした。
だが、一歩目が遅い。
ケイブは近づき、男の膝裏を蹴った。倒れた首元へ、短刀の背を押し当てる。
「ダリムはどこだ」
「し、知らねえ」
「次はカドゥに聞かせる。あいつはたぶん、優しくない」
「たぶんではないぞ。私は今、とても機嫌がいい。だから余計に加減が分からん」
カドゥは笑顔で言った。
片耳の男は、涙目になった。
「川下の集積場じゃねえ! あそこは空だ! 本隊は白霧境へ向かった!」
ケイブの手が止まる。
「何だと」
「学び舎の十人を今夜さらうって、ダリム様が。領主が外へ出てるうちにやるって。俺たちは、石切り場の荷を片づけるだけだったんだ!」
ケイブの胸の奥が、冷えた。
自分がケイブとして動いた。
それを、敵に読まれた。
白蝶城へ使者は出した。だが、足りるか。
チヨネはいない。エルネはいる。ロウエンもいる。兵も増えた。
それでも、学び舎はまだ柔らかい。
守りの厚い城ではない。
カドゥが、剣を握り直した。
「行くのだな」
「ああ」
「私はどうする」
ケイブは片耳の男を縛り、立たせた。
「こいつを連れて走る。証人だ。足手まといなら、担げ」
「担ぐのは好きだ。投げてもよいか?」
「着くまでは駄目だ」
「注文が多いな、貴様は」
文句を言いながらも、カドゥは片耳の男を片腕で担ぎ上げた。男が短い悲鳴を上げる。
ケイブは石切り場を振り返った。
倒れた敵。
縛った証人。
白い石灰線。
即席の檻は役に立った。
だが、本命は別にいた。
ケイブは外套の裾を払う。
「急ぐぞ。今度は、こちらが読まれていた分を取り返す」
カドゥが笑った。
「よい。首を取り戻した夜に、次は子らを取り戻すか。忙しいな、ケイブ」
「金にならねえ仕事ばかりだ」
「嫌か?」
ケイブは走り出した。
「嫌なら、とっくに帰ってる」
黒髪のデュラハンが、笑いながら並ぶ。
白霧境の方角には、まだ夜の闇が沈んでいた。
その闇の向こうで、学び舎の鐘が鳴り始める。
カドゥ、首が戻った途端にだいぶ元気になりました。
ただし明るいだけでは終わらない黒騎士です。
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