第76話:黒髪のデュラハン
首を取り戻したカドゥは、首なしの時とは別人のように明るかった。
だが黒楡商会の帳面には、白霧境学び舎を攫う計画が残されている。
首を取り戻したカドゥは、別人だった。
黒甲冑の上で、長い黒髪が夜風に揺れている。深い赤紫の瞳は、さきほどまでの空洞よりずっと恐ろしいはずなのに、本人は妙に晴れやかな顔をしていた。
「見える。風が見える。石の色も見える。貴様の髭が安物なのも、よく見える」
「最初に見るのがそこかよ」
ケイブは顎髭を撫でた。
「これは高級品だ。少なくとも、値段だけはな」
「ふふっ、嘘が下手だな。よいぞ、ケイブ。そういう小さな嘘は嫌いではない」
カドゥは笑った。
首なしの時の洞窟に反響する笑いではない。
明るい。
驚くほど、よく笑う。
ただし、黒い甲冑の隙間から漏れる怨念は消えていない。笑顔の奥に、首を奪われた者の怒りがまだ燃えている。
厄介な女だ。
ケイブはそう思い、口には出さなかった。
「走れるか」
「無論だ。今なら首がある。視界がある。声もよく出る。つまり、斬りやすい」
「斬る話から離れろ。まずは状況だ」
石切り場の男たちは縛った。逃がした若者たちは岩陰で息を整えている。川下へ向かった黒楡商会の本隊は、まだ遠くない。
だが、白霧境学び舎を攫う計画も動いている。
追うか。
戻すか。
ケイブは岩の上に帳面を広げた。
ダリム。
川下の集積場。
白霧境学び舎、十名。
契約失敗後、回収に切替。
書き方は冷たい。荷車を一台増やすような文だった。
「胸糞悪いな」
ケイブは低く言った。
カドゥが覗き込む。
「読めるのか」
「多少はな」
「なら読んでくれ。裏切り者の名を覚えたい」
「読んだら、すぐ走り出すだろ」
「ああ」
「だから読まねえ」
カドゥは口を開け、しばらく黙った。
その後、なぜか嬉しそうに笑った。
「よい。私を止めるのが上手いな、貴様」
「褒められてる気がしねえ」
「褒めている。止められるのは嫌いではない」
「そこも後で話し合おうな」
ケイブは、逃がした若者の一人を呼んだ。腕は細いが、目は生きている。
「白霧境まで走れるか」
「走れます。ですが、どこへ」
「白蝶城だ。門で、エルネ・フォリオかロウエンにこれを渡せ」
ケイブは帳面の端を破らず、写しを作る。油紙に要点だけを書く。
黒楡商会。
ダリム。
白霧境学び舎十名、攫取予定。
夜間警戒。
ケイブ・アッシュより。
本当は、大谷吉継の黒印があれば一番早い。
だが、ここでそれを出せばケイブが消える。
ケイブは革袋から銅貨を三枚出し、若者の手へ握らせた。
「門で止められたら、この名を出せ。ケイブ・アッシュ。白蝶城へ小さな借りがある男だと言え」
「信じてもらえますか」
「信じさせろ。必死な顔は、時に印より強い」
若者は頷き、暗い道へ走り出した。
カドゥが首を傾げる。
「貴様が戻らないのか」
「戻ればダリムが消える」
「ならば追うのだな」
「ああ。だが、学び舎を守る手は打った」
「よいな」
カドゥはにこりと笑った。
「守る者を置いて、敵も追う。欲張りだ。私は嫌いではない」
「お前、首が戻ってから随分喋るな」
「嬉しいからな!」
即答だった。
ケイブは一瞬、言葉を失った。
カドゥは胸を張る。黒甲冑の胸甲が、月明かりを鈍く返した。豊かな起伏を隠しきれていないが、本人はまったく気にしていない。
「首がある。目がある。笑える。怒れる。裏切り者の顔を見て斬れる。これほど喜ばしいことがあるか?」
「最後だけ物騒だ」
「物騒なのは裏切り者だ。私は正直なだけだ」
そう言って、カドゥは倒れた護衛の一人を見下ろした。
笑顔がすっと消える。
「こいつらは殺さぬのか」
「今は殺さない。グラナート領へ突き出す。証人にもなる」
「証人か。口がいる、だったな」
「覚えがいい」
「首が戻ったからな」
「関係あるのか」
「ある。たぶん」
雑だ。
だが、その雑さが妙に人間らしかった。
ケイブは荷船の縄を切り、船を川岸へ固定し直した。追うにしても、逃げ道を潰しておく必要がある。
その時、川下から笛の音がした。
短く二回。
返事のように、遠くで松明が動いた。
「迎えがいるな」
「何人だ」
「見える範囲で五。隠れているなら倍」
「貴様、見えるのか」
「目が戻って嬉しいのは分かるが、こっちも目はあるんだよ」
カドゥはまた笑った。
「なら、軍師。どうする」
「ここから先は、追うだけじゃ足りねえ。川下の集積場に逃がせば、相手は荷を分ける。人、帳面、首の箱、証人。全部ばらされる」
「では?」
「船を使わせない。道も使わせない。相手を、石切り場と川の間に閉じ込める」
「檻か」
「そうだ。即席のな」
ケイブは石灰粉を撒いた。川岸、荷車の轍、岩の裂け目。
カドゥはその線を見て、不思議そうに目を細める。
「白い線で敵が止まるのか」
「止まらねえ。だが、オレが見る」
「貴様が見ると、敵が止まるのか」
「近い。敵がどこを踏むか分かる」
ケイブは弓を拾い直した。
「お前は正面に立て。派手に笑え。できるか」
カドゥの顔がぱっと明るくなった。
「得意だ!」
「得意なのかよ」
カドゥは長剣を肩に担ぎ、川下へ続く道の中央へ立った。
黒髪が夜風に揺れる。
赤紫の瞳が、松明の光を捉える。
彼女は笑った。
快活で、楽しげで、それでいて背筋が冷えるほど美しい笑みだった。
「さあ、裏切り者ども! 首を戻したカドゥ・マサカだ!」
声が石切り場に響く。
「逃げるなら走れ。追われる喜びを、少しは教えてやる!」
ケイブは岩陰で額を押さえた。
「……少し違うが、まあいい」
川下の松明が止まった。
敵が、こちらを見た。
それでいい。
視線がカドゥへ集まるなら、ケイブの線は見えない。
白い石灰の線が、夜の石切り場に細く浮かび上がった。
即席の檻は、もう閉じ始めている。
今回は、首を取り戻したカドゥのギャップを出す回です。
首なし状態では怨念と執着の塊でしたが、首を取り戻すと元気はつらつでよく笑う女騎士になります。
ただし、ドM気質と裏切り者への怒り、デュラハンとしての危うさはしっかり残っています。
ケイブは白蝶城へ警告を飛ばしつつ、ダリム追跡を続行。
次回は、石切り場と川の間に作った即席の檻で、黒楡商会本隊を止めにかかります。
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