第73話:首なき反逆者
黒鐘洞窟の奥で、ケイブは首なき女騎士と対峙する。
首だけを奪うデュラハン。その正体は、裏切られて首を奪われた騎士団長だった。
黒鐘洞窟の中は、湿った鉄の匂いがした。
ケイブは壁に指を滑らせる。岩肌には古い鉱石の筋が残り、足元には壊れた矢筒と割れた盾が落ちていた。
荷は残っている。
金具も、干し肉も、水袋もある。
盗賊ではない。
魔物なら食えるものから荒らす。だが、ここに残る痕は、首だけを狙った刃のものだった。
「首を刎ねる趣味にしちゃ、ずいぶん几帳面だな」
ケイブは軽く言った。
返事の代わりに、奥から鎧の音が近づいてくる。
がしゃり。
がしゃり。
暗闇から現れたのは、首のない女騎士だった。
黒い甲冑はところどころ砕け、胸甲には古い紋章が削り取られている。右手には、刃の幅が広い長剣。左腕には円盾。腰から下は女のものと分かるしなやかさを残しているのに、全身の圧は城門のように重い。
首はない。
だが、声は胸の奥から響いた。
「返せ」
低く、掠れた女の声だった。
「何をだ。金なら持ってねえぞ」
「首を」
長剣が、洞窟の壁を浅く削った。
「私の首を、返せ」
その瞬間、女騎士の足元から黒い気力が噴き上がる。
魔力ではない。
オーラに近い。だが、生者の熱ではなく、冷えた怒りを鎧に流し込んだような力だった。
ケイブは横へ跳ぶ。
刃が、今まで頭のあった高さを通った。
首を狙っている。
癖ではない。執着だ。
ケイブは弓を引き、矢を一本放った。矢は女騎士の肩へ向かったが、円盾が弾く。音が重い。鉄板ではない。気力で内側から固めている。
「固いねえ。安物の矢に優しくない女だ」
「返せ」
「会話が安い。こっちは命を賭けて聞いてるんだ。もう少し言葉を足せ」
女騎士が踏み込んだ。
速い。
重い鎧のはずなのに、踏み込みの初速だけが異常に鋭い。平地なら受けきれない。
だから、洞窟を使う。
ケイブは石灰粉の袋を裂き、足元へ散らした。白い粉が湿った床に薄い線を作る。
女騎士がその線を踏んだ瞬間、ケイブは土魔法で床をわずかに盛り上げた。
野面土壁。
壁というより、足元の石を一つ噛ませるだけ。
女騎士の踏み込みが、半歩だけ浮いた。
ケイブはその隙へ水をまとわせた矢を撃つ。水矢束流が一点にまとまり、兜のない首元、鎧の断面を叩いた。
女騎士の体が揺れる。
だが倒れない。
「……痛い」
胸の奥の声が、少し震えた。
「今のは痛い。よい。まだ私は、斬られる側に戻れる」
「おいおい」
ケイブは顔をしかめた。
「そういう喜び方は、酒場でやってくれ。こっちは笑いづらい」
女騎士が笑った。
首がないのに、笑い声だけが洞窟の奥へ反響する。
その笑いが、急に止まった。
「だが、首は返せ」
刃が横へ走る。
ケイブは弓を捨て、短剣を抜いた。受けない。受ければ腕ごと持っていかれる。
一歩下がり、壁際へ誘う。
女騎士が追う。
その踏み込みを見た瞬間、ケイブの奥で、別の名が震えた。
平将門。
吉継はその名を知っている。
平安の世に反旗を翻し、新皇を称した武者。討たれ、首を都へ送られた反逆の名。書物で読んだ。武家の世に生きた者なら、知らぬ名ではない。
まさか、この世界へ来ても首の因縁から逃れられぬとは。
書物の向こうの将門公に聞かせたら、笑うだろうか。怒るだろうか。
目の前の女の魂が、前世で読んだ書物の名と重なった。
将門の転生体。
だが、彼女自身はそれを知らない。
知っているのは、この世界で裏切られ、首を奪われた怒りだけだ。
「なるほどな」
ケイブは短剣を低く構えた。
「首を取られた者が、首を取り返そうとしてるわけだ」
「貴様も、あの商隊の者か」
「商隊?」
「黒い楡の印。あの者たちは、私の首を箱に入れ、笑って運んだ。団長殿の首は高く売れると」
黒楡商会。
ここでつながった。
学び舎の人材を狙った商隊と、この洞窟の首取り騒ぎは、別の火ではない。同じ灰の中で燻っている。
ケイブが考えた一瞬を、女騎士は逃さなかった。
盾が突き出される。
胸を潰す一撃。
ケイブは左手を地面へ向けた。杭印墜岩の応用で、天井から拳大の石を落とす。
狙いは女騎士ではない。
盾の上。
石が盾を叩き、盾の向きが下がる。
ケイブは短剣を滑らせ、鎧の肘の隙間へ入れた。刃は浅い。だが、関節の動きは一瞬止まる。
女騎士が低く呻いた。
「よい。もっとだ」
「面倒な女だな、本当に」
次の瞬間、女騎士のオーラが膨れた。
黒い圧が洞窟の壁を叩く。足元の石灰が吹き散り、ケイブの帽子が飛びかけた。
女騎士の長剣が、首の高さで円を描く。
逃げ場を消す斬撃。
ケイブは身を沈め、転がるように盾の下へ潜った。刃が頭上を抜け、髭の先を少し切る。
まずい。
ケイブの姿なら、刀は持っていない。
弓は離れた。
病毒魔法を使えば止められるかもしれない。だが、ここで使えばケイブという仮面が割れる。
なら、洞窟を使い切る。
「こっちだ、首なし」
ケイブは挑発しながら、奥の狭い坑道へ走った。
「その呼び方は嫌いではない」
「気に入るな。こっちが困る」
女騎士が追う。
狭い坑道では、長剣を横に振れない。
彼女はすぐに突きへ変えた。判断が早い。生前、ただの騎士ではなかったのだろう。
ケイブは足元へ水を撒き、土を薄く練った。
泥ではない。
滑る膜だ。
女騎士の足が、わずかに流れる。
その隙に、ケイブは落ちていた兜を蹴り上げた。兜が壁に当たり、乾いた音を立てる。
女騎士が止まった。
音の方へ、首のない体が向く。
頭はない。
だが、音に反応した。
感覚の中心は、首を失った場所に残っている。
「見えた」
ケイブは低く呟き、短剣の柄で彼女の胸甲を叩いた。
金属音が洞窟に響く。
女騎士が、一歩下がった。
勝ったわけではない。
ただ、殺されずに一つ読んだだけだ。
「カドゥ」
ケイブはその名を呼んだ。
女騎士の動きが止まる。
「誰が、その名を」
「オレは商隊じゃねえ。お前の首を買いに来た者でもない」
ケイブは短剣を下げない。
「だが、黒い楡の印を追っている。お前の首を持っていった連中の話を聞かせろ。代わりに、オレはお前の首の行き先を追う」
洞窟の奥で、鎧がきしんだ。
カドゥの長剣は、まだ首の高さにある。
だが、すぐには振られなかった。
「嘘なら、首を貰う」
「高い情報料だな」
「安い方だ。私は、裏切り者の首なら百でも欲しい」
ケイブは低く笑った。
「そいつは困った。オレの首は一つしかねえ」
カドゥの胸の奥で、また笑い声が鳴った。
今度の笑いは、さっきより少しだけ人に近かった。
だが、洞窟のさらに奥から、別の音がした。
鎖。
そして、人のうめき声。
ケイブは表情を消す。
帰らない冒険者たちは、まだ全員死んだとは限らない。
カドゥがゆっくりと奥を向いた。
「あれは、私が捕らえた者ではない」
ならば、誰が。
黒楡商会の影は、洞窟の奥でまだ動いていた。
今回は、首取りデュラハンことカドゥとの初戦闘回です。
カドゥは平将門の女性転生体ですが、本人に前世の記憶はありません。
ただ、この世界で貴族に裏切られ、首を奪われた怒りが、将門の「首」の逸話と重なる形になっています。
そして、黒楡商会の影がここにもつながりました。
次回は、洞窟奥にいる生存者と、カドゥの首を奪った者たちの痕跡へ踏み込みます。
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