第72話:首取り洞窟
黒楡商会の残り香を追うため、吉継は再びケイブ・アッシュとして冒険者ギルドへ向かう。
そこで耳にしたのは、首だけを奪う奇妙なデュラハンの噂だった。
ケイブ・アッシュは、昼過ぎの冒険者ギルドで安い麦酒を前にしていた。
飲むためではない。
聞くためだ。
灰色の外套。古い革帽子。短い顎髭。喉を少し濁らせる喉輪。
白布も、白と青の陣羽織もない。腰にあるのは、目立たぬ短剣と弓だけだ。
白蝶城の領主、大谷吉継はここにいない。
いるのは、懐が寂しく、仕事を選ぶふりをする中年冒険者である。
「今日も景気の悪い顔だな、ケイブ」
受付横の鑑定役の老女が、皮袋を縫いながら声をかけてきた。
「懐が軽い男は、顔まで軽くできねえんだよ」
ケイブは顎髭を撫で、わざと気怠げに答えた。
「軽口は前より重くなったね」
「そいつはいい。値が上がる」
老女は鼻で笑った。
ギルドの隅では、冒険者たちが依頼札を囲んで騒いでいる。薬草採り、荷運び、針角兎の確認。どれも安い。
ケイブが探しているのは、黒楡商会の残り香だった。
昨日、白蝶城へ来た商隊には、焦げた楡の葉に似た印があった。黒楡商会そのものは潰した。だが、枝は残る。枝が残れば、また別の名で葉をつける。
表で調べれば、相手は隠れる。
ならば、酒場の噂、依頼札の隙間、冒険者の愚痴から拾う方が早い。
「黒い楡の葉をつけた商隊を知らねえか」
ケイブは麦酒に口をつけず、老女へ銅貨を一枚滑らせた。
「情報料にしては薄いね」
「まずい麦酒を頼んでやってる。合わせれば十分だろ」
「あれはまずくない。安いだけだ」
「安いまずさだ」
老女は短く笑い、銅貨を指で弾いた。
「その印なら、王都筋じゃなく西の方で見たって話がある。けど今日は別の噂で持ちきりさ」
「金にならねえ噂ならいらん」
「帰らない冒険者の噂だよ。金にはなる。命の方が先に減るけどね」
ギルドの空気が、そこで少し変わった。
若い冒険者が声を潜める。
「グラナート領の黒鐘洞窟だ。首取りデュラハンが出る」
別の男が、肩をすくめた。
「デュラハンなら、首がない騎士だろ。古い道や墓場に出るやつだ。人を脅かすことはあっても、わざわざ首を刎ねて並べるなんて聞いたことねえ」
「だから首取りって呼ばれてんだよ。洞窟へ入った冒険者が、首だけなくなって戻ってくるらしい」
「戻ってくるって、死体がか」
「胴だけだ。馬も荷も残る。首だけがない」
ケイブは麦酒の器を置いた。
首だけを取る。
通常の魔物なら食う。盗賊なら荷を奪う。怨霊なら近づく者を殺す。
首だけを選ぶ理由があるなら、それは習性ではなく目的だ。
「冒険者は向かったのか」
「三組だ。最初は鉄紐の四人。次に銀紐混じりの五人。昨日、懲りずに若い連中が六人で行った。誰も帰ってねえ」
ギルドの受付係が苦い顔をした。
「領主軍は?」
「グラナート領は鉱山の護衛で手一杯です。洞窟の奥までは兵を出せないと」
「ふうん」
ケイブはわざと興味なさそうに頬杖をついた。
だが、頭の中では線が引かれていた。
黒楡商会の西。
グラナート領。
洞窟。
帰らない冒険者。
首だけが消える死体。
関係がないかもしれない。むしろ、黒楡商会から目を逸らすための厄介な噂かもしれない。
だが、放っておけば死ぬ者が増える。
そして、誰かが首を集めているのなら、その理由を知らねばならない。
「その依頼札、まだ残ってんのか」
ケイブが言うと、受付係が目を丸くした。
「受ける気ですか? 一人で?」
「勘違いするな。オレは首を落とされに行く趣味はねえ。見るだけだ」
「見るだけで済む相手じゃありません」
「なら、逃げる。逃げ足も腕のうちだ」
老女が皮袋の針を止めた。
「ケイブ。あんた、針角兎の時もそう言って、余計な物を買い込んで森に入ったね」
「あれは授業料だ」
「今回は授業料で首を払うかもしれないよ」
「高すぎる。負けてやる気がなくなった」
ケイブは立ち上がり、依頼札を抜いた。
受付係が慌てる。
「本当に行くんですか」
「調査だけだ。討伐料まで払わせるなら、別料金を用意しとけ」
「あなた、銅紐ですよ」
「紐の色で首がつながるなら、上等なのを買うんだがな」
周囲の冒険者が少し笑った。
軽口で空気を緩める。
それも変装の一部だった。
吉継なら、そんな口は利かない。
ケイブなら、利く。
ギルドを出る前に、ケイブは安い縄、石灰粉、油紙、火打石を買った。水袋は二つ。矢は多めにする。銀ではなく、普通の鉄矢だ。
デュラハンという魔物を、吉継は知らない。
だが、首のない騎士という話だけなら、戦場の怨霊に近い。怖がるより先に、見るべきものがある。
足跡。
刃の高さ。
首を刎ねた角度。
首を持ち去った方向。
そして、殺された者が何を持っていて、何を奪われていないか。
夕刻、ケイブは白蝶城とは逆の道へ出た。
グラナート領へ向かう西の小道は、鉱山馬車の轍で固くなっている。空は曇り、森の奥から湿った風が吹いていた。
一人で行く。
チヨネを連れて行けば、必ず守ろうとする。エルネを連れて行けば、記録が残る。アリスティに言えば、傭兵を出すと言うだろう。
だが、今回は噂の底を覗くだけだ。
領主が動けば、敵も動く。
ケイブが消えれば、ただの冒険者が一人無茶をしただけで済む。
吉継は、そういう逃げ道を自分にだけ残した。
黒鐘洞窟が見えたのは、日が山の端に沈む頃だった。
洞窟の入口には、折れた槍が一本刺さっている。
その横に、古い兜が転がっていた。
兜の内側は空だった。
血は乾いている。
だが、首を引きずった跡がない。
ケイブはしゃがみ、地面へ指を置いた。
「……面倒だな」
首を刎ねた者は、ここで止まっていない。
洞窟の奥から、かすかな金属音が響いた。
鎧が歩く音。
それに混じって、女の笑い声のようなものが、暗い穴の底から漏れてきた。
ケイブは弓を握り直す。
「デュラハンってのは、笑うのかね」
答える者はいない。
ただ、闇の奥で、何かがまた一つ、刃を鳴らした。
今回は、久しぶりのケイブ回です。
黒楡商会の調査から始まったはずが、グラナート領の黒鐘洞窟で起きる「首取りデュラハン」の噂へつながりました。
普通のデュラハンとは違う行動、帰らない冒険者たち、そして洞窟の奥の笑い声。
次回は、ケイブとしての吉継が洞窟の異常へ踏み込みます。
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