第71話:前金の罠
学び舎で育つ者を、十人まとめて雇いたい。
白蝶城へ持ち込まれた好条件の話には、紙に隠された罠があった。
翌朝、白蝶城の門前に、妙に行儀のよい馬車が止まった。
荷台は磨かれ、車輪には新しい鉄輪がはめられている。護衛の革鎧もそろい、商隊というより、誰かに見せるために整えられた一団だった。
先頭に立つ男は、薄い笑みを浮かべて頭を下げた。
「セドリック・モランと申します。王都へ品を運ぶ商隊を預かっております。白蝶城に、読み書きと計算を学ぶ者がいると聞きまして」
丁寧な声だった。
だが、吉継は男の靴を見た。
泥が少ない。
王都から来たという割に、街道の土がついていない。馬車は綺麗だが、護衛の鞘には古い傷が多い。
商人の皮をかぶった者は、前世にもいた。
銭の匂いをまといながら、実際には人の弱さへ刃を入れる者たちだ。
「十人まとめて雇いたいと聞いた」
「はい。もちろん、無理にとは申しません。ですが前金は出します。白蝶城にも利がある話かと」
セドリックは、革袋を卓へ置いた。
銀貨の音がした。
ロウエンの眉がわずかに動く。エルネは帳面を抱き直した。ジゼリアは、礼拝堂の入口でリーネたちを背に庇うように立っている。
「前金は誰へ払う」
「白蝶城へ。教育費としてお納めください。こちらは十人を預かり、王都で仕事を教えます。仕事を覚えれば、本人たちにも十分な暮らしが」
「契約書を見せろ」
セドリックの笑みが、ほんの少し止まった。
「もちろんです」
差し出された羊皮紙は、よくできていた。
字は細かい。余白は少ない。いかにも正式な契約らしく、ギルド風の印まで押されている。
吉継は読める。
この世界に来てから、文字は少しずつ頭へ染み込むように入ってきた。だが、ここで自分だけが読んでも意味がない。
「リーネ」
呼ばれた少女が、びくりと肩を揺らした。
「はい」
「読めるところだけでよい。声に出せ」
セドリックが目を細めた。
「まだ学び始めの方に、このような難しい書面は」
「だから読む」
吉継の声は静かだった。
「読めぬ者へ難しい書面を出すなら、なおさらだ」
リーネは羊皮紙を受け取った。指が震えている。だが、逃げなかった。
エルネが隣へ立ち、声を落とす。
「大丈夫。分からないところは飛ばしていいわ。怖い字から先に逃げても、文字は怒らないから」
リーネは小さく頷き、最初の行を追った。
「雇用……見習い……王都……給金は、試用の後に定める」
「そこまでは普通ですね」
ロウエンが低く言う。
リーネの目が、次の細い行で止まった。
「前金は、支度金として扱う。契約者が途中で……戻る時は、本人、または保証人が、三倍を返す」
礼拝堂の中が、静かになった。
リーネの喉が鳴る。
「保証人って、白蝶城、ですか」
「そう書いてある」
吉継が答えると、セドリックは困ったように笑った。
「商いではよくあることです。途中で逃げられては、こちらも損をしますので」
「逃げる、か」
ジゼリアの声が硬くなった。
「学び始めたばかりの者を十人まとめて連れていき、戻れば借金を背負わせる。それを逃げると言うのですか」
「聖騎将様。誤解です。こちらは仕事を与える側で」
「言葉を飾るな」
ジゼリアが一歩踏み出した。
胸の十字架が小さく揺れる。怒りはある。けれど、剣には手をかけていない。
「私は、救うと言いながら人を売った者を見た。あなたの紙は、その臭いがする」
セドリックの笑みが消えた。
吉継はリーネへ視線を戻す。
「続きは読めるか」
「……はい」
リーネは唇を噛み、続きを追った。
「王都到着後、配属先は商隊が定める。本人は異議を申し立てない。病、怪我、逃亡、能力不足による損失は、前金より差し引く」
エルネが息を吐いた。
「これは雇用じゃない。借金で首に縄をかける書面です」
「言い過ぎでは?」
セドリックが笑おうとした。
その笑みは、もう綺麗ではなかった。
「言い過ぎかどうかは、本人が読めば分かる」
吉継は革袋を押し返した。
「この話は受けぬ」
「白蝶城は、ずいぶん余裕がおありで。銀貨を断れる領など、そう多くありませんよ」
「銀貨は欲しい」
吉継は隠さなかった。
「屋根も直す。米もいる。薬もいる。教師の賃も払わねばならぬ。だが、金に困っているからといって、人を先に売れば、白蝶城はただの市になる」
「人を売るなどと」
「ならば条件を変えろ」
吉継は指を一本立てた。
「一人ずつ面談する。本人が断れる。試用は十日まで。日当を払う。住む場所を先に見せる。戻る場合の旅費を雇い主が持つ。前金は本人の借金にしない。配属先を勝手に変えない」
ロウエンが目を丸くした。
「領主様、それを全部飲む商人は少ないですよ」
「なら少なくてよい」
吉継はセドリックを見た。
「人を欲しがる者は多い。だが、育てた者を渡す相手は選ぶ」
ミラ・クラインが、入口の柱にもたれて聞いていた。いつの間に来たのか、腰の帳面を指で叩いている。
「ギルドは、その条件なら記録できます。雇い主が破れば、次から依頼受理に響かせる」
「ギルドまで口を出すのですか」
「人材が消えると、こっちの記録係も困るんですよ。せっかく読める者が増えるなら、長く使える方が得です」
ミラは淡々と言ったが、目は笑っていなかった。
バズも後ろで腹を撫でながら、気まずそうに口を挟む。
「うちも、今の条件を紙にします。いや、しますとも。飯と寝床だけなんて言った昨日の自分を少し殴りたい気分です」
チヨネが柱の影で、小さく「ふん」と鳴らした。
今のは、少し足りない。もっと殴れ、だ。
「チヨネ。気持ちは分かるが、顔に出すな」
チヨネは真顔でこくりと頷いた。
セドリックは革袋を戻し、丁寧に頭を下げた。
「本日は、失礼いたしました。条件を整えて、また参ります」
「来るなら、紙を変えて来い」
「ええ。よく覚えておきます」
商隊は去っていった。
馬車の音が遠ざかると、リーネはその場に膝をつきかけた。ジゼリアが支えようとするより早く、エルネが肩を抱く。
「よく読んだわ。怖かったでしょう」
「怖かったです。でも……読めたら、少しだけ、息ができました」
その言葉に、ジゼリアが目を伏せた。
吉継はリーネの前で膝を折った。
「今日、お前は自分を守った」
「私が、ですか」
「ああ。剣を持たずに、紙でな」
リーネの目に涙が浮かんだ。
泣きながら、それでも笑おうとしている。
吉継は立ち上がり、ロウエンへ言った。
「白蝶城で学んだ者を雇う時の標準契約を作る。日当、試用、帰還、前金の扱い。これを定める」
「また仕事が増えましたな」
「増える。だが、これは必要な仕事だ」
その時、外から戻ったチヨネが吉継の袖を軽く引いた。
「ふん……」
いつもの鼻鳴らしではない。
影から出した小さな木片には、焦げた楡の葉を思わせる印が刻まれていた。馬車の後部から剥がしてきたものだろう。
黒楡商会。
潰したはずの名が、まだ白霧境の外で息をしている。
吉継は木片を握り込んだ。
「やはり、前金だけの話では終わらぬか」
人を育てれば、価値が生まれる。
価値が生まれれば、それを奪おうとする者も来る。
学び舎の戦は、始まったばかりだった。
今回は、リーネが「読めること」で自分を守る回でした。
吉継にとって教育は、綺麗事ではなく搾取されないための武器です。
人材を育て、仕事につなげ、信用と銭を回す。その仕組みを作ろうとするほど、今度はその価値を奪おうとする者も現れます。
次回の展開が気になる!面白い!と思ってくださった方は、ぜひブックマークや、広告下の【☆☆☆☆☆】の評価(カクヨムなら★)での応援をよろしくお願いいたします!皆さんの応援が何よりの執筆の原動力です!




