第68話:信仰を汚す者
白蝶城の檻の中で、ラザルはついに語り始める。
救済、奉公、慈悲。その言葉の奥にあったものとは。
「……私は」
ラザルの声は、そこで折れた。
広間にいる誰も、急かさなかった。
急かせば、彼は怒鳴るだろう。
怒鳴れば、言葉は散る。
吉継が欲しいのは、怒鳴り声ではない。筋道だ。誰が、いつ、何を命じ、どこへ流したか。それだけが必要だった。
エルネは羽根ペンを構えたまま、息を殺している。
チヨネの影は扉の下に薄く伸び、トモエリアは長刀の鞘をラザルの退路に置いたままだ。
ジゼリアだけが、胸の十字架を握っていた。
「ラザル殿」
吉継は静かに言った。
「ここで沈黙を選べば、貴殿はただの罪人として王都へ送られる。話せば、少なくとも何を守ろうとしたのかは記録に残る」
「守ろうと……」
ラザルが笑った。
弱い笑いだった。
「私は、神殿を守ろうとしたのです」
ジゼリアの指が、十字架に食い込む。
「神殿を?」
「救貧院の倉は空でした。寄進は減り、王都からの補助も遅れる。孤児、病人、行き場のない者は増えるばかりです。食わせねばならない。寝かせねばならない。聖職者にも俸給は要る」
「だから人を売った」
ジゼリアの声は震えていた。
ラザルは彼女を見なかった。
「奉公先を斡旋したのです」
「言葉を変えるな」
吉継の声が落ちる。
「本人の意思を聞かず、行き先を伏せ、支度金を受け取った。戻った者を確認していない。それを奉公とは呼ばぬ」
ラザルの喉が動いた。
「最初は、そうではなかった」
エルネのペンが走る。
「最初は、街の店へ送るだけでした。洗濯、炊事、荷運び。神殿に残るより食える者もいた。黒楡商会は、紹介料を出した。私は、それを救貧院へ戻した」
「途中で変わったな」
吉継は言った。
ラザルは目を伏せる。
「……商会の支度金が増えました。扱う者の数も増えた。こちらが名を残さなければ、追えないと分かっていた。だが、倉には金が必要だった」
「誰に命じた」
「ベリオです。司祭たちには、救済対象の移送とだけ伝えた。詳しい行き先は知らせていません」
「黒楡商会の誰から金を受けた」
「西旧道の仲介人。名は、ダリム。商会の表の帳簿には出ません。黒い楡の焼印が入った木札を持っていました」
トモエリアが小さく舌を鳴らした。
「表に出ない仲介人か。嫌な仕事ほど、名札を外すものだな」
「通行記録は」
「東境神殿の裏門記録にあります。ただし、荷車の名目は薬草、古布、寝具です」
「保護対象の名は」
「救貧院台帳に残っています。処理済みにすれば追及される。未処理にしておけば、戻った時に書き換えられると」
「戻ると思っていたのか」
ジゼリアが問うた。
ラザルは答えない。
その沈黙が、答えだった。
ジゼリアは一歩、前へ出た。
「あなたは、戻らないと分かっていた」
「……全員ではありません」
「一人でも戻らないと分かっていて、送ったのですね」
ラザルの顔が歪む。
「救えない者もいるのです!」
ついに声が荒れた。
「聖女のような方には分からない! 倉が空になる恐怖も、泣く子を黙らせる粥がない夜も、死体を埋める穴を掘らせる金がない朝も! 私は、神殿を回すために」
「神殿を回すために、人を捨てた」
ジゼリアの言葉が、ラザルの叫びを断った。
ラザルは口を閉じた。
白い法衣の胸元が、大きく上下している。
吉継は、その姿を見ながら思う。
前世にも、似たものはあった。
大義。
家。
寺。
国。
大きな名を守るために、小さな命を数として扱う者はいくらでもいた。
自分もまた、戦場で数を動かした男だ。
だからこそ、線を引かねばならない。
「エルネ。今の証言をまとめろ」
「はい。救貧院財政難。黒楡商会仲介人ダリム。支度金。裏門記録。薬草、古布、寝具名目。ベリオへの指示。未処理記録の意図。まとめます」
エルネの声は硬い。
怒っているのだ。
それでいい。
紙は冷たく見えるが、書く者まで冷えている必要はない。
「ラザル殿」
吉継は言った。
「貴殿をこの場では斬らぬ」
ラザルが、わずかに顔を上げる。
安堵ではない。
まだ助かる道を探している顔だ。
「王都へ送る。宰相の前で、今の証言をもう一度話せ。帳簿、印、裏門記録、黒楡商会の木札。すべて照合する」
「神殿の名は」
「貴殿が汚した」
吉継は即座に返した。
「だが、私は光神教を裁くためにこの場を作ったのではない。貴殿の罪を、貴殿の名で記録するために作った」
ジゼリアが、ゆっくり吉継を見た。
その目は、少しだけ揺れていた。
「大谷吉継」
「何だ」
「私の信じたものは、間違いだったのか」
広間が静まり返る。
それは、吉継が答えるべき問いではないのかもしれない。
だが、今ここで誰かが答えなければ、ジゼリアは自分の怒りで自分を焼く。
「間違えたのは、信仰ではない」
吉継は言った。
「信仰を、己の保身と銭の言い訳に使った人間だ」
ジゼリアの唇が震えた。
「なら、私は」
「守れ。貴殿が信じた光を、貴殿の手で守れ。汚した者を許さぬことも、守ることの一つだ」
ジゼリアは、胸の十字架から手を離した。
指の跡が、白く残っていた。
「……分かりました」
その声は小さい。
だが、先ほどより強かった。
トモエリアがふっと息を吐く。
「白布の領主殿。貴殿、思ったより面倒なことを言う」
「褒めているのか」
「半分は」
「残り半分は」
「ミセリアが気にする理由が、ますます分からなくなった」
チヨネが小さく「ふん」と鳴いた。
少し不満らしい。
吉継は、苦く笑いかけてやめた。
ラザルはその間も、黙っていた。
沈黙は、もう武器ではない。
ただの敗北だった。
「トモエリア殿」
「何だ」
「ラザルを王都へ送る。生け捕りのまま、頼めるか」
「親友からの命令と一致する。断る理由がない」
トモエリアは長刀の鞘を少し持ち上げた。
「ただし、逃げたら転ばせる。斬らない程度に痛い転ばせ方でな」
ラザルの肩が震えた。
チヨネが今度は満足そうに、ふんふん、と鳴いた。
吉継はエルネの帳面へ目を落とす。
証言は得た。
だが黒楡商会は残っている。
裏門記録も、仲介人ダリムも、まだ追わねばならない。
白蝶城の檻は一人を捕らえた。
次は、檻の外へ伸びた鎖を断つ番だった。
今回はラザルの証言回です。
吉継は光神教そのものを裁くのではなく、ラザル個人の罪として切り分けました。
そしてジゼリアには、信仰を捨てるのではなく、自分の手で守る道を示しています。
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