第67話:言葉の出口
白蝶城の広間で、ラザルは「誤解」と言い逃れようとする。
だが吉継は、証言、帳簿写し、王都の封書で逃げ道を一つずつ塞いでいきます。
「言葉で出られるなら、出てみせよ」
吉継の声が広間に落ちた。
ラザルは、すぐには答えなかった。
沈黙を選んだのではない。言葉を探しているのだ。逃げ道になる言葉。責任を薄める言葉。誰も傷つけていないように聞こえる、綺麗な言葉。
こういう男は、刃を抜く前から人を斬っている。
吉継はそう見た。
「……領主殿」
ラザルは、ようやく口を開いた。
「救貧院の記録は、神殿内部の手続きです。そこに未処理と記されていたとしても、それは保護の継続を意味します。商会の名が出たとしても、奉公先の候補を調べたに過ぎません」
「奉公先か」
「ええ。生活の場を持たぬ者へ、働く場を用意する。神殿の慈悲です」
ジゼリアの拳が震えた。
光は出ていない。
だが、怒りは出ていた。
「慈悲と呼ぶなら、本人に説明したのか」
ラザルは困ったように眉を下げた。
「傷ついた者に、すべてを一度に説明するのは酷というものです。まずは安全な場所へ」
「黒楡商会が、安全な場所か」
ジゼリアの声が、さらに低くなる。
ラザルは彼女へ向き直った。
「ジゼリア様。あなたは清らかな方だ。だから、現場の泥をご存じない。救済には金がかかる。食糧も、寝床も、薬も、護衛も必要です。理想だけでは人は救えません」
「だから売ったのか」
広間が凍った。
ラザルの表情が、ほんのわずかに歪む。
「売った、などと。あまりに乱暴な言葉です」
「乱暴なのは言葉ではない」
吉継は言った。
「貴殿らの手順だ」
エルネが帳面を開く音がした。
紙の音は小さい。
だが、この場では刃より鋭かった。
「読み上げます」
エルネの声は震えていない。
「救貧院帳簿写し。白霧境、未処理。黒楡商会、支度金、銀貨四十。ラザル印。日付は、保護対象が白蝶城に運び込まれた翌朝」
「写しだと?」
ラザルの指が、また聖印の指輪へ伸びた。
トモエリアが、その指を見て小さく笑う。
「分かりやすい癖だな」
「何を」
「考える時、その指輪を触る。逃げる時も触るなら、次は手首ごと押さえる」
風が鳴った。
長刀は抜いていない。
だが、ラザルの従者二人が半歩下がるには十分だった。
チヨネが柱の影から、ほんの少し顔を出す。
「ふん」
今のは、少し気に入った、だ。
吉継はわずかに頷いた。
トモエリアは横目でチヨネを見た。
「今のは褒められたのか?」
「おそらくな」
「ふむ。難しいな、白蝶城は」
ほんの一瞬だけ、広間の張り詰めた空気が緩む。
ラザルは、その隙に息を吸った。
「その写しが真実だという保証はどこにあります。神殿帳簿は厳重に管理されています。外部の者が触れることなど」
「外部の者が触れていないなら、なおさら貴殿の問題だ」
吉継は即座に返した。
「帳簿が偽なら、神殿内部の帳簿管理が崩れている。真なら、貴殿が嘘をついている。どちらに転んでも、王都へ報告する価値がある」
ラザルの喉が動く。
「領主殿は、神殿と争うおつもりですか」
「違う」
吉継は静かに言った。
「私は神殿と争うつもりはない。今、私が問うているのは貴方だ。ラザル副院監」
ラザルの顔から、ほんの少し血の気が引いた。
神殿という大きな名の後ろへ逃げ込ませない。
罪を教義へ散らさせない。
この場で裁くべきは、神ではない。
人を奪う手順を作った、一人の男だ。
ジゼリアが顔を上げた。
その目に、怒りだけではないものが宿る。
痛みだ。
信じたものが汚されていた痛み。
それでも、まだ信じたいものを捨て切れない痛み。
「ラザル副院監」
ジゼリアは一歩前へ出た。
「私は、光神教を信じています」
ラザルの表情が少しだけ和らいだ。
そこにすがろうとしたのだろう。
「ええ、ジゼリア様。あなたなら」
「だからこそ、あなたを許せない」
言葉が、まっすぐ刺さった。
ラザルの口が止まる。
「教義は、弱き者を守れと教えました。あなたは、その言葉を盾にして、弱き者を商会へ渡した。信仰を言い訳にしないでください。私の信じた光を、あなたの保身に使わないでください」
ジゼリアの声は震えていた。
だが、折れてはいなかった。
吉継は、その横顔を見た。
真田の左衛門佐を思い出す。
まっすぐすぎて、折れる時は一瞬だ。
だから、折らせない。
「エルネ」
「はい」
「ベリオの証言を」
エルネは次の紙を広げた。
「東境神殿副院監補佐ベリオ証言。救貧院予算不足を理由に、保護対象を奉公斡旋名目で黒楡商会へ送った。商会より支度金を受け、帳簿には処理前の名で残した。指示は副院監ラザル」
「ベリオが……」
ラザルは初めて、名前をこぼした。
失敗だ。
知らないふりをするなら、そこは聞き返すべきだった。
吉継は逃さない。
「知っている名だな」
「補佐官です。当然でしょう」
「では、その補佐官がなぜ貴殿の名を出した」
「責任逃れです。部下が上官の名を使うことなど」
「あり得る」
吉継はあっさり認めた。
ラザルの目が揺れる。
否定されると思っていた顔だ。
「だから、もう一つ重ねる」
吉継はトモエリアを見た。
「王都の封書を」
トモエリアが封を切らずに掲げる。
「宰相印は割れていない。ここで開封すれば、この場の全員が証人になる。ラザル殿、開けるか?」
ラザルは答えない。
開ければ、王都が動いた証拠になる。
開けなければ、王都の命を拒んだ形になる。
どちらも逃げ道ではない。
「開けよ」
吉継が言った。
トモエリアは封を切った。
中の文を開き、声に出す。
「宰相ミセリア・イシダの名において、白霧境領内における保護対象移送未遂、東境神殿救貧院記録、黒楡商会との金銭授受について、現地確認を命ずる。関係者は王国法に基づき、証言、帳簿、印、通行記録の提出を拒んではならない」
トモエリアは文から目を上げた。
「だそうだ。私は難しい政務文が嫌いだが、これは分かる。逃げるな、と書いてある」
ラザルの足が、ほんの少し後ろへ動いた。
その瞬間、床の影が伸びた。
チヨネの影が、扉の下を黒く縫う。
同時に、トモエリアが一歩踏み込んだ。
風が足元で鳴る。
ラザルの退路に、長刀の鞘が置かれていた。
「生け捕り、だったな」
トモエリアは軽く笑った。
「安心しろ。まだ斬っていない」
ラザルの顔から、血の気が引いた。
ジゼリアがその姿を見て、拳をほどく。
怒りをぶつける相手が、ようやく見えたのだ。
吉継は白布の奥で息を吐いた。
檻は閉じた。
だが、まだ終わりではない。
「ラザル殿」
吉継は言った。
「次は、貴殿の口で話せ。誰に命じ、誰から金を受け、どこへ人を流した」
ラザルは聖印の指輪を握りしめた。
その指が、震えていた。
「……私は」
広間にいる全員が、その続きを待った。
白蝶城の檻の中で、ようやく獲物が声を失い始めていた。
今回は、ラザルを言葉で追い詰める回です。
ジゼリアは信仰を捨てるのではなく、信じているからこそラザルを許せない。
トモエリアは王都の使者として、そして風の刃として逃げ道を塞ぐ役になりました。
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