第7話:小神殿の報せ
マーヤの家の物置で休むことになった吉継とチヨネ。
しかしその頃、小神殿には測定石の異常を記した報告が届いていました。
マーヤの家の物置は、薬草の匂いで満ちていた。
干した葉、刻まれた根、酒に漬けられた樹皮、粉に挽かれた鉱石。
どれも薬であり、量を間違えれば毒にもなるものばかりだった。
寝床としては狭い。
しかし、雨風はしのげる。
光神教の聖印もない。
今の大谷吉継とチヨネにとっては、それだけで十分だった。
「ここを使って」
マーヤは古い毛布を二枚置いた。
「戸は内側から掛けられる。でも、外から火をつけられたら終わり。だから寝るなら浅く寝なさい。嫌な忠告だけど、今は必要よ」
チヨネの影が、ぴくりと動く。
吉継は毛布を受け取った。
「心得た」
「普通は礼の前に怖がるところよ」
「怖がっても戸は厚くならぬ。なら、怖がる分だけ耳を澄ませる」
マーヤは一瞬だけ黙った。
それから、鼻で小さく笑う。
「本当に変な人ね。怖いのか冷静なのか、どっちなの」
「よく言われる」
「この世界でも?」
「来たばかりだ。まだ言われるほど知人がいない。これから増えるだろう」
グレンが物置の戸口で肩を震わせた。
「真面目な顔で冗談を言うな」
「冗談ではない」
「だから困る」
吉継は首を傾げた。
チヨネが裾を引く。
一度。
危険ではない。
たぶん、笑われている、という報告。
「そうか」
「ふん」
チヨネは小さく頷いた。
マーヤは包帯の替えと、小瓶を二本置く。
「灰色の瓶は痛み止め。黒い瓶は熱が上がった時だけ。飲みすぎると内臓にくる」
「内臓にくる薬を渡すのか」
「飲まなければ熱で倒れる時にね」
「量と目的、だったな」
「覚えがいい」
マーヤはそう言って、チヨネへ目を向けた。
「あなたの分もあるわ」
チヨネが警戒する。
マーヤは小さな包みを開いた。
中には黒パンと、薄く切った干し肉が入っている。
「毒じゃない。食事。そんな顔をされると、作った方が傷つくわ」
チヨネは動かなかった。
視線だけが、吉継へ向く。
吉継は胸の奥が少し痛んだ。
許可なく食べることを恐れる癖。
それは、たった一度の言葉で消えるものではない。
「チヨネ」
「ふん……」
「これは報酬だ。今日、よく働いた。食べなさい。誰の許可も待たなくていい」
チヨネの目が揺れる。
それから、両手で黒パンを受け取った。
小さくかじる。
かじって、すぐに吉継を見る。
咎められないことを確認している。
吉継は頷いた。
「お前のものだ。取られぬよう、俺が見ている」
チヨネは、もう一口かじった。
「ふん……」
甘えるような、安心するような鼻鳴らし。
マーヤはその様子を見ていたが、何も言わなかった。
言わないという配慮もある。
吉継は、それを理解した。
「世話をかける」
「患者だからね」
「患者というには、厄介だろう」
「厄介じゃない患者はいないわ」
マーヤは短く言い、グレンと共に物置を出ていった。
戸が閉まる。
外の足音が遠ざかる。
チヨネは黒パンを抱えたまま、しばらく戸を見ていた。
「悪い者ではなさそうだ。少なくとも、今夜の戸を閉めてくれた」
吉継が言うと、チヨネは首を傾げた。
「ふん?」
「まだ断言はできぬ。だが、今すぐ敵ではない。人を信じる時は、少しずつでよい」
チヨネは少し考え、こくりと頷いた。
そして、毛布を一枚、吉継の膝へ押しつける。
「私に使えと?」
「ふん」
「お前が使いなさい」
チヨネは首を横に振った。
無言。
だが、目が言っている。
怪我人はあなたです。
吉継は白布の下で苦笑した。
「では、半分だ」
毛布を広げ、片側をチヨネへかける。
チヨネは一瞬固まった。
それから、恐る恐る吉継のそばへ寄る。
影が、吉継の影に寄り添った。
影の抱擁。
ずっと傍にいる、という誓い。
吉継は左手でチヨネの頭を軽く撫でた。
「今日は眠れ」
「ふん……」
小さな返事。
安心と、まだ残る警戒。
チヨネは目を閉じた。
だが、影だけは戸口へ薄く伸びている。
眠りながら見張るつもりらしい。
無理をするな、と言おうとして、吉継はやめた。
自分も同じことをしている。
人にだけ休めと言うのは、筋が通らない。
吉継は壁に背を預け、目を閉じた。
眠りは浅い。
傷が疼く。
包帯の下で、病毒の魔力が静かに蠢く。
この力は、使えば身を削る。
だが、使わねば守れない時が来る。
ならば、削られる速度を抑える術がいる。
光ではない治療。
水と土の魔力。
気力。
オーラ。
知らぬ言葉が、少しずつ意味を持ち始めている。
だが、まだ足りない。
この世界の理を知らぬままでは、また間に合わない。
関ヶ原の泥が、夢の底から滲み上がる。
折れた旗。
裏切りの声。
白い空。
三成殿。
今度こそ。
その誓いが、眠りの縁で何度も繰り返された。
同じころ。
町の小神殿では、一枚の薄い石板が机の上に置かれていた。
石板には測定石の記録が刻まれている。
四属性への反応。
上限を超えた魔力量。
病毒反応。
そして、測定を拒まれた影使いの少女。
「……これは」
小神殿の司祭補、セラは、石板を前にして眉を寄せた。
年若い女だった。
白い修道服の襟元に、簡素な聖印を下げている。
その顔には、怒りよりも困惑があった。
「本当に門の測定石が示したのですか」
報告に来た門番が頷く。
「はい。魔力量は目盛りを振り切りました。ですが、病毒反応も出ています」
「上限超過の魔力と病毒反応が同時に……」
セラは石板へ指をかざした。
薄い白光が灯る。
「浄光印」
白い紋が、石板の上に浮かぶ。
その紋の中心に、黒い染みがじわりと広がった。
セラの表情が硬くなる。
光神教では、病毒の反応は危険な敵性の力と教えられる。
人を病ませ、土地を穢し、魂を腐らせるもの。
だが、記録だけでは人となりは分からない。
それもまた、セラは知っていた。
「その男は、町で暴れましたか」
「いえ。むしろ、グレン隊長が連れていきました」
「グレン隊長が」
セラは小さくため息をついた。
グレン・ハルト。
町の警備隊長。
腕は立つ。
町民からの信頼もある。
だが、神殿の命令に素直に従う男ではない。
「影使いの少女は」
「測定前に隊長が止めました」
「止めた、ですか」
セラは目を伏せた。
測定を拒んだ影使い。
病毒反応を示した白布の男。
そして、グレンが保護に近い形で連れていった。
厄介な形だ。
すぐに捕縛を命じれば、町の警備隊と衝突する。
放置すれば、上位神殿から怠慢を問われる。
セラは石板を布で包んだ。
「王都ではなく、まず東境神殿へ報告を送ります。私の判断だけで握り潰せる反応ではありません」
門番が顔を上げる。
「捕らえないのですか」
「今すぐには」
「危険では」
「危険かどうかを確かめるための報告です。恐れだけで人を裁くわけにはいきません」
セラの声は硬かった。
自分でも、それが建前に近いことは分かっている。
教義に従えば、病毒反応の持ち主は監視対象。
影使いも同様。
だが、まだ町で人を傷つけてはいない。
それに、グレンが動いた。
あの男は粗野だが、無意味に町へ危険を入れるほど愚かではない。
「神殿の見張りを二名、町に出します。接触は避け、居場所だけ確認してください」
「はっ」
門番が去る。
セラは一人になった部屋で、もう一度石板を見る。
布越しでも、黒い反応が残っているような気がした。
「病毒の男に、影の少女……どうして、こんな火種ばかりこの町へ来るの」
セラは小さく呟いた。
「なぜ、この町に」
答えはない。
小神殿の窓の外で、夕日が白い聖印を赤く染めていた。
そのころ、マーヤの家では、グレンが裏口の錠を確かめていた。
「見張りが出るな」
彼は低く言った。
マーヤは薬草を束ねながら答える。
「神殿? ……もう動いたのか」
「ああ。セラなら即捕縛はしない。だが報告は送る」
「東境神殿まで?」
「早馬なら明日の昼には届く」
マーヤの手が止まる。
「長くは置けないわね」
「分かってる」
グレンは物置の方を見る。
「だが、あの腕で外へ放り出せば死ぬ。俺は警備隊長で、人捨て場の番人じゃない」
「あなた、情が移った? 顔に出てるわよ」
「面倒を持ち込んだ責任を感じてるだけだ。……それ以上ではない、たぶん」
「同じことよ」
グレンは返事をしなかった。
マーヤは小さく息を吐く。
「あの人、光を浴びたら本当に危ない。聖属性の強い術なら、たぶん倒れる」
「神殿が一番使うやつだな」
「そう」
「最悪だ。よりによって、相性最悪の相手に見つかるわけか」
「ええ」
二人の間に、短い沈黙が落ちる。
グレンは頭をかいた。
「明日の朝、町を出す」
「どこへ」
「王都方面はまずい。街道もまずい。だが、北の旧採石場を抜ければ、巡礼道を避けて西へ出られる」
「魔物が出る」
「神殿に捕まるよりはましだ」
マーヤは物置の戸を見た。
「あの子は歩ける?」
「影使いの子か」
「ええ」
「歩けるだろうが、心がまだ追いついてない」
「あなたにしてはよく見てる」
「あんな目の子供を見間違えるほど、鈍くはない。あれは、逃げ場をなくした子供の目だ」
グレンの声は、いつもの軽さを失っていた。
マーヤはそれ以上聞かなかった。
その夜。
物置の中で、チヨネが目を開けた。
音がしたわけではない。
だが、影が揺れた。
戸の外。
塀の向こう。
人の気配が二つ。
チヨネは吉継の袖を引いた。
二度。
危険。
吉継の目が、すぐに開く。
眠っていたようで、眠っていなかった。
「数は」
チヨネは指を二本立てる。
「敵意は」
チヨネは少し迷い、影を細く震わせた。
強い殺意ではない。
見張り。
吉継は、そう読んだ。
「神殿か」
チヨネは小さく頷く。
吉継はゆっくりと身体を起こした。
右腕が痛む。
だが、動ける。
まだ戦う段階ではない。
ここで見張りを倒せば、敵意は確信に変わる。
ならば、まずは情報を取る。
吉継はチヨネを見る。
「近づきすぎるな。影だけでよい。会話が聞こえれば、私に伝えろ。危うければ、戻れ」
チヨネは胸に手を当て、こくりと頷いた。
そして、影が床へ沈む。
影渡。
未完成の影移動。
チヨネの身体すべてではなく、影だけが薄く戸口へ伸びていく。
吉継は、その様子を見ていた。
まだ危うい。
だが、確かに伸びている。
この子は成長する。
守られるだけではなく、いずれ自ら守る力を得る。
その時まで、潰させるわけにはいかない。
やがて、チヨネの影が戻ってきた。
少女は眉を寄せ、小さく鼻を鳴らす。
「ふん……ふん」
吉継は意味を探る。
二人。
神殿。
見張り。
朝。
言葉ではない断片が、仕草と影で伝わってくる。
「明日の朝まで監視か」
チヨネが頷く。
「報告は」
チヨネは首を傾げる。
そこまでは分からないらしい。
「十分だ」
吉継は左手でチヨネの頭を撫でた。
「よくやった。お前の影が、俺たちの耳になった」
「ふんふん……」
嬉しそうに目を細める。
だが、すぐに吉継の右腕を見て、無言でプルプル震えた。
動くな。
寝ろ。
たぶん、そう言っている。
「分かった。今は動かぬ。焦れば、向こうの網に足を入れるだけだ」
チヨネは疑いの目を向ける。
「本当だ。お前の目が疑っているのは分かるがな」
まだ見ている。
「今は」
チヨネの頬が、わずかにふくらんだ。
吉継は目を伏せた。
「……できるだけ」
チヨネは諦めたように、吉継の影へ自分の影を重ねた。
物置の外では、神殿の見張りが息を潜めている。
町の小神殿には、報告が残った。
東境神殿へ向かう使者も、夜明けには出るだろう。
吉継は浅い眠りへ戻りながら、頭の中で道を描いた。
町の門。
裏道。
旧採石場。
巡礼道。
神殿の報告。
グレンの立場。
マーヤの薬。
チヨネの影。
戦場は、もう始まっている。
剣も槍もない。
だが、情報と時間と疑念がぶつかる戦場だ。
吉継は、静かに息を吐いた。
ならば、朝までに策を組む。
守るために。
そして、この町を敵に回しすぎぬために。
お読みいただきありがとうございます。
今回は戦闘ではなく、町と神殿の警戒が静かに強まる回でした。
チヨネも少しずつ、吉継のために情報を拾う役割を持ち始めています。




