第6話:光なき治療
警備隊長グレンに導かれ、吉継とチヨネは薬師マーヤの家へ向かう。
そこには、光魔法に頼らない治療がありました。
境の町リュカの石畳は、王都へ続く街道よりも荒れていた。
荷車の轍が残り、雨水の染みが黒くこびりつき、家々の壁には風除けの板が継ぎ足されている。
町の中央に近づくほど人の声は増えたが、その声は吉継たちへ向けられるたびに少し低くなった。
白布で顔を覆った男。
外套に包まれた小さな影使いの少女。
門前の測定石が示したものは、すでに噂になり始めているのだろう。
膨大な魔力量、病毒反応、危険な力。
噂はそれだけで十分に人を遠ざける。
言葉は聞こえない。
だが、視線には十分すぎるほど敵意があった。
吉継は、視線の数を数えながら歩いていた。
正面の肉屋から一人、右の井戸端から二人、左の二階窓から一人。
背後には、ついてくる子供が二人。
この町の人間は、まだ石を投げてこない。
だが、理由があれば投げる。
そういう空気だった。
「気にするな。噂で腹は膨れん」
前を歩くグレン・ハルトが、振り返らずに言った。
「辺境の町は噂が早い。だが、飯の時間になれば半分は忘れる」
「残り半分は。悪い噂ほど、妙にしぶといものだ」
「酒場で膨らむ」
「厄介だな」
「人の口ってのは、どこの国でも厄介だろ」
吉継は答えなかった。
その通りだったからだ。
前世でも、人は病より噂を恐れた。
正しさよりも、誰が言ったかを気にした。
戦場の裏切りも、酒席の陰口も、根は似たようなものだ。
チヨネは吉継の半歩後ろにいた。
裾を掴む指は、町に入ってから一度も離れていない。
「ふん……」
小さな鼻鳴らし。
不安。
警戒。
そして、吉継の右腕への心配。
右腕の包帯は、川の水と血で重くなっていた。
光に焼かれた傷口が、町の乾いた空気に触れるたび奥で疼く。
吉継は、痛みを気配に出さぬよう呼吸を整えた。
チヨネの指が、裾を引く。
一度。
危険ではない。
抗議でもない。
気づいています、という合図。
「隠しきれぬか」
「ふん」
小さな肯定。
グレンが横目で二人を見る。
「その子、喋らないのか。無理に聞く気はないけどね」
「言葉は使わない」
「使えない、じゃなくてか」
「まだ分からぬ」
吉継は、チヨネを見下ろした。
チヨネは視線を伏せ、外套の中へ少しだけ顔を隠す。
「無理に問うことではない。言葉を急かされる怖さは、顔に出る」
「そうか」
グレンはそれ以上聞かなかった。
その沈黙で、吉継はこの男への評価を少しだけ改めた。
無遠慮ではある。
だが、踏み込む線は見ている。
町の北側に、小さな薬師の家があった。
干した薬草が軒下に吊るされ、窓辺には色の違う瓶が並んでいる。
扉の前には、光神教の聖印がない。
代わりに、木彫りの葉の印が掛かっていた。
「ここだ」
グレンが扉を叩く。
「マーヤ、いるか」
「いるわよ。足音がうるさい。患者を連れてくる時くらい静かに歩けないの」
中から、落ち着いた女の声が返ってきた。
扉が開く。
現れたのは、灰色がかった茶髪を後ろでまとめた女だった。
年はグレンと同じくらいだろう。
簡素な作業着の上に、薬草の匂いが染みついた前掛けをつけている。
目が鋭い。
だが、敵意ではない。
診る者の目だった。
「その人?」
「その人だ」
マーヤと呼ばれた女は、吉継の白布、右腕、チヨネ、足元の影を順に見た。
「入って」
「よいのか」
吉継が問うと、マーヤは眉を上げた。
「立ったまま血を垂らされるよりはね。床掃除を増やしたいわけじゃないの」
グレンが笑う。
「口は悪いが腕はいい」
「あなたほどじゃないわ」
「俺の口は愛嬌だ」
「騒音よ」
夫婦らしい。
吉継は短いやり取りを聞きながら、家の中へ入った。
チヨネも影のようについてくる。
薬師の家の中は、光ではなく匂いで満ちていた。
乾いた草。
煮詰めた根。
樹脂。
酒精。
鉄錆に似た薬液。
施療院のような白い清潔さはない。
だが、こちらの方が吉継には落ち着いた。
マーヤは作業台を片づけ、椅子を指差す。
「座って。右腕を出して」
チヨネが即座に吉継の前へ出た。
足元の影がふくらむ。
影牙。
まだ完全な攻撃ではない。
だが、黒い影が獣のように牙を剥く。
マーヤは少しも動じなかった。
「いい影ね。怯えているのに、逃げない」
チヨネが目を丸くする。
褒められたのか、警戒されたのか分からない顔だ。
「ふん……?」
「あなたの大事な人を診るだけ。切らない。焼かない。光も使わない。だから、睨むなら少しだけ弱めて」
光。
その言葉で、チヨネの影がさらに強張った。
吉継は左手をチヨネの頭に置く。
「聞いたか。光は使わぬそうだ」
チヨネは吉継を見上げる。
それから、マーヤを見る。
最後に、渋々と一歩下がった。
「ふん」
許可。
たぶん。
マーヤは苦笑した。
「許されたみたいね。小さな護衛殿に」
「そのようだ」
吉継は椅子に座り、右腕の包帯を解いた。
布が剥がれるたび、皮膚の下から黒い脈動が見えた。
光に触れた部分は赤く爛れ、周囲には壊死に似た色が滲んでいる。
グレンが息を呑んだ。
マーヤは顔色を変えなかった。
代わりに、近くの小瓶を一本取り、傷口の匂いを嗅ぐ。
「光の回復を受けた?」
「ああ」
「弱いものと、少し強いもの。二回以上」
「分かるのか」
「焼け方が違う」
マーヤは淡々と言った。
「普通の怪我じゃない。あなたの身体は、光の治癒と相性が悪い。治ろうとする力が、逆に傷を暴れさせている。ひどい話ね、善意で焼かれるなんて」
「そう見える」
「見える、じゃなくて、そう」
吉継は少しだけ目を細めた。
言葉に迷いがない。
ミセリアに似ている、と思った。
まだ見ぬ三成の転生体ではなく、前世の三成に似ているわけでもない。
ただ、結論を短く置く人間の声だった。
「治せるか」
「治す、ではなく抑える。悔しいけど、今の私にできるのはそこまで。壊死の進みを遅らせ、痛みを鈍らせ、包帯の下で腐らないようにする」
「十分だ」
「十分じゃないわ。根本原因が残る。患者が諦め顔をするの、薬師として腹が立つのよ」
「その原因は、私の中にある」
「なら、あなた自身も治療対象ね。逃げられると思わないで」
マーヤは棚から黒緑色の軟膏を取り出した。
チヨネが身構える。
「毒ではないわ。毒に近い薬よ」
吉継は思わず聞き返した。
「違いは」
「量と目的」
グレンが肩をすくめる。
「マーヤの薬師論だ。毒は悪、薬は善なんて単純な話じゃないらしい」
「単純なら薬師はいらないわ。毒も薬も、人の扱い方次第よ」
マーヤは軟膏を傷口の周囲に塗る。
冷たい。
直後に、焼けるような痛みが少しだけ引いた。
完全には消えない。
だが、熱の暴走が外へ逃げていく感覚がある。
「これは魔法か」
吉継が問う。
「半分は薬。半分は魔力操作」
「光ではない」
「水と土。冷やして、留める。傷を癒やすというより、悪化しない環境を作る」
水。
土。
四大魔法の基礎。
吉継は、マーヤの指先を見た。
淡い青と黄の魔力が、軟膏に染み込むように流れている。
火壁のような派手さはない。
施療院の光のような眩さもない。
だが、精密だった。
「同じ魔法でも、使い方でこれほど違うのか。光に焼かれた直後だと、なおさら皮肉に見える」
「同じ刃物でも、料理にも殺しにも使えるでしょう」
「なるほど」
吉継は頷いた。
この女は、魔法を信仰ではなく技術として見ている。
学ぶ相手としては、悪くない。
「私にも扱えるか」
マーヤは手を止めずに答えた。
「今は無理。やりたそうな顔をしても無理」
「理由は」
「魔力量は大きい。でも流し方を知らない。水瓶だけ大きくて、注ぎ口がない状態」
門前で吉継自身が抱いた印象と近い。
やはりそうか。
「学べば」
「学べば、小さな水くらいは出せるようになる。でも、あなたの場合は先に制御。量が多すぎる人は、基礎を飛ばすと周りを壊す」
「兵と同じだな」
「兵?」
「多ければよいわけではない。動かし方を知らぬ大軍は、味方の兵糧を食い潰して自滅する。魔力も同じなら、恐ろしい」
マーヤの手が一瞬止まった。
「変な例え。でも分かりやすい」
グレンが笑う。
「傭兵に近いって言ってたが、あんた本当に何者だ」
吉継は少し考えた。
武士。
軍師。
大谷吉継。
どれも、この世界ではそのまま通じない。
「戦で人を動かす役目を負っていた」
「指揮官か」
「それに近い」
「近いが多いな」
「この国の言葉に、私を正しく置ける箱がまだ見つからぬ。無理に入れれば、箱の方が割れる」
グレンは目を丸くし、それから大きく笑った。
「箱か。そりゃいい」
マーヤは笑わなかったが、目元だけが少し緩んだ。
「包帯を巻くわ。しばらく光には近づかないこと」
「近づかねばよいのか」
「強い光魔法は、近くで使われるだけでもあなたの傷を騒がせるかもしれない。直接浴びれば悪化。聖属性なら、倒れてもおかしくない。だから本当に近づかないで」
チヨネが無言でプルプル震えた。
吉継は、左手でその頭を撫でる。
「気をつける」
チヨネはまだ震えている。
「本当にだ」
震えが少し止まった。
マーヤは新しい包帯を巻き終えた。
黒ではなく、灰色がかった布。
「薬草を染み込ませてある。毎晩替えること。あと、熱が上がったら無理に動かない」
「難しい注文だ」
「なら倒れる。脅しじゃなくて、診断よ」
「分かりやすい」
グレンが腕を組む。
「次は俺だな」
「何を」
「さっきの話だ。あんた、俺の立ち方を見て、魔法とは別の何かがあると読んだ」
吉継は頷く。
「魔力とは違う圧があった」
「それが気力だ。で、気力を身体や武器にまとわせる技を、この辺じゃオーラと呼ぶ」
グレンは木剣を一本取り、作業場の隅へ立てかけてあった丸太の前に立つ。
「魔法使いの障壁は、魔力で作った壁だ。普通の剣で叩けば弾かれる。だが、気力を通すと」
グレンの呼吸が変わった。
肩の力が抜け、足裏が床へ沈む。
身体の周囲に、見えない圧が生まれる。
派手な光はない。
だが、空気が重くなった。
次の瞬間、木剣が丸太を打つ。
鈍い音。
丸太の表面に、深い亀裂が走った。
チヨネが目を丸くする。
「ふん」
驚き。
グレンは木剣を肩に担いだ。
「こんな具合だ。魔法を知らない奴でも、鍛えれば魔術師に抵抗できる」
吉継は、丸太の亀裂を見た。
力任せではない。
打つ瞬間、木剣の先に何かが集中していた。
前世の剣術に近い部分もある。
だが、違う。
これは、この世界の理だ。
「見ただけで真似するなよ。あんた、絶対にやりそうな顔をしてる」
グレンが釘を刺す。
「なぜだ」
「気力は身体の芯を使う。下手にやると筋を痛める。あんたの腕なら、まず悪化する」
「なるほど」
「分かった顔をしているが、やるなよ」
チヨネが吉継を見た。
じっと。
「やらぬ。……今は」
チヨネはまだ見ている。
「今は」
無言のプルプル。
「……治ってから、教えを請う」
チヨネは、ようやく小さく頷いた。
マーヤがため息をつく。
「この子の方が、あなたの扱いを分かっているみたいね。いい監視役だわ」
「私もそう思う」
「ふん」
チヨネが、少しだけ胸を張った。
ドヤふんふん。
吉継はその意味を、もう間違えなかった。
「役に立っている、と言っている」
「見れば分かるわ。こんなに得意げな無言、初めて見たもの」
マーヤは淡々と言った。
チヨネが驚いた顔をする。
吉継以外に、少しでも意味を拾われたのが意外だったのだろう。
小さな鼻鳴らし。
「ふん……」
困惑。
少しの照れ。
グレンが扉の外を見る。
「長居は危ない。神殿に報告が行く前に、今夜の寝床を決める。うちの物置なら、二人くらいは隠せる」
「迷惑では」
「迷惑だ。正直に言えば、かなり」
グレンは即答した。
「だが、町中で倒れられる方がもっと迷惑だ。だから物置を使いなさい」
マーヤも頷く。
「それに、あなたの傷は経過を見たい」
「症例としてか」
「患者として」
吉継は少しだけ沈黙した。
この世界に来てから、敵意は多く受けた。
だが、善意もまたあった。
リナのパン。
マーヤの薬。
グレンの条件付きの保護。
どれも無条件ではない。
だが、それでいい。
無条件の善意ほど、人を縛ることもある。
条件がある方が、交渉できる。
「世話になる」
吉継は頭を下げた。
チヨネも慌てて真似をする。
グレンは気まずそうに鼻を鳴らした。
「堅いな」
「礼は必要だ」
「傭兵に近い男が、妙に礼儀正しい」
「礼を失えば、兵はついてこぬ」
グレンは笑わなかった。
その言葉だけは、少し真面目に受け取ったようだった。
「やっぱり、ただの傭兵じゃないな」
「近いだけだと言った」
吉継はそう返し、包帯を巻かれた右腕を見た。
まだ痛む。
だが、熱は引き始めている。
光ではない治療。
魔法ではない対抗術。
この世界の人々。
知らぬものが、少しずつ形を持ち始めていた。
吉継は窓の外を見る。
小神殿の尖塔が、夕日に白く染まっている。
あの光は、まだ遠い。
だが、こちらを見ている。
いずれ向き合うことになる。
その前に、学ばねばならない。
この世界の理を。
そして、守るための新しい戦い方を。
お読みいただきありがとうございます。
今回は薬師マーヤの登場と、光魔法以外の治療、そしてオーラの実演回でした。
吉継はまだ何も知りません。だからこそ、観察し、問い、学んでいきます。




